『ドールズ・ハイ』 第1章『黒の残響』第63話『認識欠損』
ーあらすじー
消えた記録。
認識できない名前。
存在しているはずの情報が、
思考の途中で滑り落ちていく現象。
第七封鎖区画へ近付くにつれ、
異常は「欠落」ではなく
「認識そのものの遮断」へと変質していく。
ミレイ(ルナ)はそれを選択的認識遮断
と仮定し始める。
カイン(ヴォルグ)班は
旧データベースから存在しないはずの
ゲゼール登録痕跡を発見する。
ガルド(ドライグ)は修復区画で
戦闘記録の断片に触れ始める。
そしてアルト(ノア)は、
資料に残された“読めるのに
認識できない識別コード”に遭遇する――。

第63話『認識欠損』
朝の教導院は、
いつも通りの形をしていた。
冷たい空気。
規則正しい足音。
何事もなかったように流れていく時間。
だが会話の隙間にだけ、
小さな歪みが混ざっている。
「その話、
誰から聞いたんだっけ」
「見たはずなのに、
思い出せない」
記憶を探ろうとした瞬間、
途中で思考が落ちる。
そこだけが最初から存在しなかったように。
しかし誰も、
それを問題として扱わない。
◇
講義は淡々と進行していた。
戦術理論。
情報管理。
施設運用。
理論は整い、
体系は崩れない。
数字も式も、
正確に成立している。
それでも理解の奥に、
薄い違和感が沈殿していた。
アルト(ノア)はそれを感じながら
黒板を見ている。
意味は理解できる。
だが“核心だけ”が掴めない。
視界のどこかに、
常に欠けた領域がある。
◇
教練区画では複数班が同時に展開していた。
アルト班。
カイン班。
ダグ班。
フィオナ班。
シエラ班。
戦域は分割され、
同時進行している。
アルト班は特異な状態だった。
アルトは観測席。
リオ(フェル)とミレイ(ルナ)は実機展開。
同じ班でありながら、
同じ空間に存在していない。
それでも連携は成立している。
それが当然のように処理されていること自体が、歪みだった。
カイン班
(ヴォルグ、エルク、セシル)は戦術連携。
ダグ班は前衛突破。
フィオナ班は指揮統制。
シエラ班は電子戦・解析。
全てが正常に動いている。
それなのに、
戦場のどこかだけが微かに欠けている。
◇
観測席のモニターに、
フェルとルナの機動軌跡が流れていく。
アルトはそれを見ている。
以前なら、
自分もその中にいた。
今は外側にいる。
戦術は完成していく。
連携は洗練されていく。
そこに自分がいなくても成立することだけが、
静かに残る。
その思考が浮かんだ瞬間、
途中で途切れた。
◇
解析室。
ミレイ(ルナ)は端末を見つめていた。
異常発生地点。
欠番記録。
認識異常報告。
全てが同じ方向へ収束している。
第七封鎖区画。
ミレイは指を止める。
これは欠落ではない。
「最初から“選ばれている”」
残る情報と消える情報が分けられている。
偶然ではなく、
構造として。
◇
旧データベース。
カイン(ヴォルグ)が画面を睨む。
エルクがスクロールを止める。
セシルが眉をひそめる。
そこには存在しないはずの
ゲゼール登録痕跡があった。
だが名前が読めない。
文字はある。
構造もある。
それなのに意味だけが成立しない。
エルクが呟く。
「これ……消されてるんじゃない」
カインが続ける。
「最初から“認識できない形”になってる」
◇
フィオナ班は報告書を整理していた。
証言が噛み合わない。
同じ出来事のはずなのに、
細部が違う。
フィオナは紙を閉じる。
「記憶じゃなくて……認識が揃ってない」
それ以上の言葉が出てこない。
◇
シエラ班(エドガー)は
解析結果を見つめていた。
「拡大じゃない」
「選別だ」
シエラは画面を見たまま沈黙する。
増えているのではない。
残るものが減っている。
◇
ダグ班の整列確認。
人数は合っている。
だが誰かが小さく言った。
「さっきのやつ……名前なんだっけ」
誰も答えない。
誰も思い出せない。
◇
特別修復区画。
ドライグは修復フレームの中で
静かに再構築されている。
ガルドはその機体を見上げていた。
一瞬だけ、
戦場の光景が脳裏に浮かぶ。
爆発。
金属音。
誰かの声。
だが次の瞬間、
それは切断される。
「今のは……何だ」
記憶に手が届かない。
存在だけが残っている。
◇
機体内部データには欠損がある。
だがそれが異常なのかどうか、
誰にも判断できない。
最初からそこが
空白だったように扱われている。
◇
夕方。
アルト、
ミレイ、
カイン、
ガルド。
それぞれが別の場所で
同じ異常に触れている。
互いに知らないまま。
それでも同じ一点へ向かっている。
◇
資料室。
アルトは空白領域を見つめていた。
地図として成立していない場所。
そこだけが“ないこと”になっている。
だがアルトは確信している。
ないのではない。
消されている。
◇
夜。
教導院データベース。
ログ画面が一瞬だけ揺れる。
『認識保護領域:第七封鎖区画』
次の瞬間、消失。
記録にも残らない。
誰の記憶にも固定されない。
それでも確かに、
そこに“あった”。
