借金の話を、初めてちゃんと書く
これまで、お金の話は何度か周辺で書いてきた。でも、借金そのものに正面から向き合って書くのは、今日が初めてだ。
正直、いちばん書くのがこわい回だ。
言葉にすると、現実が確定する気がする。だから今までも、どこか手前で止めていた。でも、この発信の根っこにあるのは結局この問題なので、ここを避けては始まらない。覚悟して書く。
会社の借入の大半は、コロナ融資だ
前にも少し触れたが、もう一度きちんと書く。
いまうちが抱えている会社の借入は、その大半がコロナのときに借りたものだ。一本ではない。何本も借りた。
あのときは、売上の見通しがまったく立たなかった。先がどうなるか誰にも分からない中で、会社と社員を守るために、借りられるものは借りた。当時の判断そのものは、間違っていたとは思っていない。借りなければ、もっと早く立ち行かなくなっていたかもしれない。
ただ、延命のために背負った借金が、コロナが明けたあとの会社を、ずっと圧迫し続けている。守るために借りたものに、いま首を絞められている。この感覚は、同じ時期に同じことをした経営者なら、たぶん分かってくれると思う。
そして、借金は個人にも及んでいる
これも書いておかないと、片手落ちになる。
小規模な会社をやっていると、会社と個人の財布の境界は、思っているより曖昧になる。会社を回すため、生活を支えるため、結局は自分個人としても借りることになった。
だから、会社の借入の額だけを見ても、本当の重さは分からない。会社の返済とは別に、個人の側にも毎月の返済がある。経営者の借金というのは、よく「会社の数字」として語られるが、実際には自分の人生そのものに食い込んでいる。
どうしてここまで個人で背負うことになったのか、その経緯にはいろいろある。ただ、それは今日の本題から外れるし、自分ひとりの話でもないので、書くとしてもまた別の機会にする。
返済は、日常を静かに侵食する
借金の何がいちばんきついかというと、額そのものより、「毎月、決まった日が確実に来る」ことだと思う。
売上は月によって大きく上下する。読めない。なのに、返済の額と日付だけは、何があっても変わらず来る。入金が一つ遅れるだけで、その月の組み立てが崩れる。だから、頭のどこかが常に支払いカレンダーを意識している。
夜中にふと目が覚めて、来月の計算を始めてしまうことがある。計算したところで何も解決しないのに、同じ数字を頭の中で何度もこねる。朝になると、何事もなかった顔でまた一日を始める。
そして、本当の総額は、誰にも言えない。社員にも、近い人にも、正確な数字は言っていない。心配させたくないし、見栄もある。経営者の借金は、孤独だ。
つい最近まで、全体像を見ていなかった
情けない話を書く。
つい最近まで自分は、借金の全体像を一枚にまとめてすら、いなかった。
会社の借入が何本、個人の借入が何本、それぞれの残高がいくらで、利率が何パーセントで、毎月いくら返していて、このペースだといつ終わるのか——これらを、ちゃんと一覧で並べたことがなかった。なんとなく頭の中にあるだけで、全部バラバラに把握していた。
だから、不安だけが常に巨大だった。何が一番まずいのかが分からないから、全方位に漠然と怯えていた。見たら現実が確定する気がして、ずっと正面から見なかった。一番見なければいけないものを、一番見ていなかった。
しかも、追い風のはずのAIが、逆風になっている
ここに、最近もう一つの問題が重なってきた。
世の中はAIブームだ。自分も、AIで会社を立て直そうとしている。だから本来、これは追い風のはずだった。
ところが現場で起きているのは、逆のことだ。
お客さんの側も、AIでできることが増えてきた。これまで自分たちに頼んでいた作業の一部を、自分のところで済ませられるようになってきている。当然の流れだし、止められるものでもない。
その結果、何が起きるか。値引きの要請が増える。「これ、今は自分たちでもある程度できるので」と言われれば、こちらも強くは出られない。そして、これまで続いていた取引が、少しずつ離れていく。客離れが、じわじわと始まっている。
皮肉な話だ。自分はAIで生き残ろうとしているのに、そのAIに、先に足元を削られている。立て直すための時間を稼ぎたいのに、稼ぐための売上のほうが、AIによって細っていく。
ただ、この現実は、自分の方針を変えさせるものではなく、むしろ確信させるものになった。受け身でAIに食われるか、自分から使う側に回るか。中間はない。だったら、使い倒す側に行くしかない。のんびりしている時間は、もうない。
それでも、返すと決めた
正直に言えば、ふっと楽になりたいと思う日はある。重さを全部おろせたら、と一瞬よぎることくらいはある。
世の中には、踏み倒して時効を待つ、といった方法があるらしいことも、耳にしたことはある。詳しくは知らないし、調べる気もない。やらないと決めているからだ。
借りたものは、返す。きれいごとに聞こえるかもしれないが、自分にとってはそれが一番シンプルで、一番ぶれない軸になっている。逃げる算段にエネルギーを使うくらいなら、そのエネルギーを、返せる体力を作るほうに全部回したい。
理由はいくつかある。社員がいて、家族がいて、十数年積み上げてきたものがある。それに、逃げたところで、たぶん自分が一番、自分を許せない。だから返すと決めた。立派な決意というより、自分の中ではもう当たり前のことになっている。
決めたうえで、やり始めたことがある。
まず、見ないようにしていた全体像を、一枚に並べた。会社と個人、すべての借入の残高、利率、毎月の返済、完済時期。やってみると、「どれが一番たちが悪いか」が初めてはっきりした。漠然とした不安が、対処すべき項目に変わった。
並べて、一つ分かったこともある。ピーク時には億を超えていた借入を、リスケを重ねながらでも、数千万円規模までは減らしてきた。曲がりなりにも、ここまでは返してきたのだ。この事実は、正直、少しだけ自分を支えてくれた。
ただ、ここで安心してはいけない、ということも同時に分かった。
リスケ中というのは、返済の負担を一時的に抑えてもらっている状態だ。その分、元金の減りは鈍くなる。つまり、ここまで減ったように見えても、これからは今までのペースでは減っていかない。むしろ、本当の勝負はここからだ。猶予の中で減らせる分には限りがある。どこかで、元金をしっかり返していける形に持っていかないと、いつまでも同じところを回ることになる。
だからいま考えているのは、「どうやって元金を本格的に返せる体力を作るか」だ。受託の利益率を上げる。赤字の事業に決着をつける。受託以外の継続的な売上を立てる。そのどれもが、結局この一点につながっている。
次に、返済の条件そのものについて。実を言うと、これはもう何度も手をつけてきた。これまでに、リスケジュール——返済条件の見直しを、三回している。
一度目、二度目、そして三回目は、つい最近だ。
リスケと言うと「返済を軽くしてもらった」と聞こえるかもしれないが、実態はそう単純じゃない。三回目の今回は、二回目のときよりも多く返す条件になっている。つまり、猶予をもらいながらも、返済の負担そのものはむしろ重くなっている。何度も頭を下げて、そのうえで以前より重い約束をして、それでようやくつないでいる。これが現実だ。
借りたときの条件のまま放置せず、まとめられないか組み替えられないかも、税理士さんと相談しながら並行して探っている。ここは焦らず、慎重にやっている。
ちなみに、この「全体像を一枚にする」作業は、毎回手でやるとかなり面倒だ。だから最近は、これを仕組みにして自動で見られるようにできないか、夜に試している。その話は、また別の記事で詳しく書く。
借金は、まだ一円も減っていない。来月の資金繰りも、相変わらず綱渡りだ。この記事を書いたところで、現実は何も変わらない。
変わったのは、ぼんやりした巨大な不安だったものが、項目と数字になったことだけだ。敵の輪郭が見えた。それだけでも、逃げずに立っていられる。
もしあなたも、見たくない残高を抱えているなら。
まず、全部を一枚に並べてみてほしい。こわい作業だ。自分も、並べ終わったあとしばらく動けなかった。
でも、輪郭の見えない不安と戦うより、ずっとましだった。
