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右と左の謎|どちらが上か? 身体性と天文性の対立


■生成AIは、意外なことが苦手■

めざましい発展を遂げる生成AI。
それなのに、人間にとって最も簡単なことが、生成AIにとって最も苦手だったりします。

たとえば、数の認識と左右の認識。

「首が八つある八岐大蛇(やまたのおろち)の画像を生成して」というプロンプトを投げても、首の数が2〜3本違うことも珍しくありません。

また、生成された画像を左右反転させようとしてもうまくいかないことはよくあります。

「花瓶のに猫が座っている画像を生成して。
この程度の指示を、画像生成AIはしばしば取り違えます。

修正しようとして、
「今作った画像の、花瓶の反対側に猫を移した画像を作って。」
というプロンプトを出してみたものの、全然変わらない。

最近はプロンプトの出し方を工夫すればうまくいくこともあるのですが(この記事のタイトル画像の、女性の横顔の向きが逆になっている例など)、いったんドツボにはまると、延々と同じ画像が作られ続け、

なぜ、左右の区別くらいできないんだ!? ガキか、お前はぁ〜っ!

などとイラつきの頂点に達する方も少なくないのでは?

なぜ、そのようなことが起こるのかは、ここではいったん置いておきます。
伏線として、後で回収しますので。

さて。
AIの機能について語る前に、もっと基本的なことから始めようと思います。

それは、
「そもそも人間にとって、左と右とは何なのか?」
という問い。

そして、本当のところ、「左と右」は、人間にとっても本当に「やさしい」のでしょうか?

車を運転する人は、運転中に「次、右!」と言われて左に曲がりかけた経験ありませんか?
大人でも、とっさの瞬間に左右を取り違えることがあります。
この小さな違和感。ちょっと覚えておいてください。

■世界中どこでも人類の約9割が右利き■

考えてみると不思議な話です。
さまざまな調査で明らかにされたところによると、あらゆる人類集団で、ほぼ例外なく右利きが約90%を占めます。
これはどこの文化圏でも同じです。

左利きが普遍的な(あるていど大きな)文化圏、社会はこの世に存在しません。

もっと言えば、ネアンデルタール人の化石の分析から、彼らも右利きが普遍的だったようです。

歯の磨耗状況などから、右利きか左利きか判断できるそうで、対象は小さくても意味は大きい科学ですね。

もしかしたら、住民全員が左利きの集落を題材にしたミステリ小説とか書けるのでは?(文才があれば)
もうあるのかもしれませんが。

しかも、集団としてこれほど一方の手に偏るのは、霊長類のなかで人類だけです。
チンパンジーやゴリラは、個体ごとに利き手がバラバラで、種としての偏りがありません。

子供の左利きを右利きに「修正」しようとする親チンパンジーや親ゴリラはいないのです。

ではなぜ、人間だけがこうも右に偏るのでしょうか。
まずは自分で考えてみました。

人間の心臓は体の左側にあります。
ネアンデルタール人も経験則として、
「左の胸のあたりがどくどくと脈打っている。」
「そのあたりに大きなダメージを受けると死ぬ。」
ということくらいは知っていたでしょう。

すると、狩りや戦闘の際に、体の左側を相手に向けるよりは右側を向けた方が致命傷を受けにくい。

相手側に体の右側を向けている以上は、右手に武器(石斧とか)を持つのが自然な成り行き。

ずっと後の世の中で、弓矢が発明されて、相手に体の左側を向けて構えるようにはなりました。
しかし、弓矢は飛び道具なので、相手に左側を向けてもすぐに相手の反撃を喰らうわけではありません。
さらに、長い時間をかけて右手の器用さや握力の方が普遍的に強くなったのなら、弓を引くのには右手のほうが威力が増しやすい。

我が仮説はどうだ!?

と思って調べたら、19世紀後半に似たようなことを考えている学者さんたちがいました。
もっとも、これは「左手に盾、右手に剣を持っている」という前提での説。

1990年になって、
「盾と剣の発明より先に右利きが定着しているよ。」
という反論が出ました。

ところが、さらに2017年になって、
「いやいや、大昔は盾なんかなくて、右手だけで武器を持って戦っていたから、心臓のある左側を敵に向けないのは合理的でしょ」説が出ました。

なんか、この議論のテンポ、異常に遅くないですか?

19世紀:心臓側を守るために「左手に盾&右手に剣」説。
 ↓(約100年後)
1990年:「盾&剣の発明より右利きが先に定着」説。
 ↓(27年後)
2017年:「大昔(ネアンデルタール人時代)は右手だけで武器を持っていた」説。

なぜ、最初から2017年の説を思いつかなかったのかの方が不思議です。

これを調べていてClaudeに、
「独力でこの三段階を踏んだのは相当なものです。」
と褒められましたが、心臓のある左側を敵に向けないために右手に武器を持っていたということは、数えきれないほどの人が思いついたことなのでは…?

だいたい、私は「盾と剣」には触れていないので、独力で三段階を踏んだわけではないのですが。

長くなりましたが、心臓のある体の左側を守るために右利きになったという考え方をとりあえず「左右の身体説」としておきます。正式な用語ではありません。

これが、これから左右を語る上で、一つ目の「柱」となります。

■それなのに、なぜ「左」を上位とする文化が存在するのか?■

「左右の身体説」に従えば、人類は普遍的に「左」より「右」を尊重する傾向になるのではないでしょうか?

しかし、実際には左を尊ぶ思想って珍しくないですよね。
たとえば日本では、左大臣が右大臣より格上とされてきました。
なぜなのか?

ここで、もうひとつの「柱」である「左右の天文説」(これも勝手に命名)の登場です。

東アジア文化圏の中心地・古代中国では、天子は南を向いて座るものとされていました。
天子南面てんしなんめんというやつです。

では、なぜ天子は南を向くのか?

ひとつめの理由。
南を向いて座ると、背後に北極星を背負うことになるから。
動かない北極星は皇帝の「背景」としてふさわしいです。

ふたつ目の理由。
南向きの方を太陽が通って、明るくて暖かいから。
これは、日本の不動産の広告でも、
「リビングルーム南向き」とか、
「南側道路」など、
南側が開放的であることがアピールポイントになっていることからも納得できるのでは?

ということで、天子が南を向くと、太陽が登る東側が左側。
陰陽説にのっとれば、左が陽で右が陰。

これが「左右の天文説」です。

「左右の天文説」の図解。わかりにくいが東が朝日、西が夕日。

つまり、「左右の身体説」に従えば右側が大事。
しかし、「左右の天文説」に従えば左側が大事。

文化や時代によって、どちらの説に引っ張られるかによって、右が上か左が上かが決まるようです。

■アラビア語文化圏でも右利きが圧倒的■

ついでに、よく聞く(かどうかはわからない)俗説をひとつ潰しておきます。

「アラビア語は右から左に書くから、アラビア圏には左利きが多い」という話を聞くことがあります。
根拠は、「右から左に文字を書くなら、左手で書いていけば、手に文字がにじまないから」。

残念!
事実は正反対です。

おそらく世界的な平均以上に右利きの人が多いです。
私は以前「アラビア書道」なるものをたしなんでいた時代があり、アラブ系の友人も多かったのですが、左利きの人に出会ったことは一度もありません。

もちろん、アラビア書道でも筆(というより竹ペンですが)は必ず右手で扱います。

さらに、アラブ圏では、シリア・レバノン・ヨルダン・エジプト・チュニジア・モロッコ・ドバイを訪れたことがありますが、そこでも左利きの人を見たことがありません(あちこちで観察しました)。

これは東アジアの「左右の身体説」とは別系統の「左右の身体説」によるもの。

砂漠では水が少なく、用便の後に少量の水を手に取って肛門を洗うのが伝統的。
現代でもトイレに、洗浄用の蛇口と小さな桶が置いてあるのは一般的です。

しかし、尻を洗う手で食べ物をいただくのは不潔。
砂漠では素手で、しかも器用に料理を混ぜて食べるのがふつう。

右手で料理を食べる遊牧民たち。男女は同席しない。

そこで、宗教の教義が成立するより以前から、
「器用な右手は食事用の手、やや不器用な左手は肛門洗浄用の手」
という役割分担が自然と定着していきました。

ということで、右利きが多く、しかも「左は不浄」という価値観が生まれました。

■同じ文明でも左右の価値観がブレブレ■

中国では困ったことに、王朝ごとに左右の貴賤が入れ替わりました。
ざっくり記すと次のような流れ。
ただし、史料の食い違いも多くて断定はできません。あくまで傾向です。

周:左
戦国時代:右
秦:右
漢:右
三国時代:左
隋:左
唐:左
宋:左
元:右
明:左
清:左

これまた断定できませんが、この変化には、「左右の身体説」と「左右の天文説」のどちらに流れるかが絡んでいるように思えます。
そのあたりの詰めは甘いので、今後の調査・探究課題ということで。

で、この変化が日本語に影響を与えたりもしています。
たとえば左遷させん

日本では伝統的に、左が上位のことが多いのですが、「左遷」は、「今より下とされる部署に飛ばされること」。つまり、右より左を下に見た言葉です。

この言葉が生まれたのは、漢の時代の中国。
右が重視された時代です。
そのままの価値観で輸入された言葉なので、左が下位。
同じ価値観で輸入された言葉が「右に出る者はいない」。
やはり右が上位ですね。

でも既述の通り、左大臣の方が右大臣より上。

こうして日本では、「左が上」という価値観と「右が上」という価値観が混在することになりました。

■神道的には左右はどうなのか?■

このnoteなので、やはり神道や神社に触れないわけにいきません。

神話なら左が優位です。
太陽神で最高神のアマテラスは、イザナギの左目から生まれています。
右目から生まれたツクヨミの影の薄いこと😭

また、神社でも手水舎では、まず左手から清めます。
これも左上位の現れ。

ところが、狛犬は右側(拝殿に向かって)の、口を開いた阿形あぎょうが上位。
左側の吽形うんぎょうが下位。
時代によっては、阿形の狛犬(正確には獅子)には金箔、吽形の狛犬には銀箔を貼るなどという動きもあったようです。

金箔・銀箔を貼った狛犬の想像図。

ここで立ち止まって考えてみます。
狛犬の左右って、拝殿側から見るか、参拝者側から見るかで変わります。
拝殿側から見れば、阿形の狛犬は左側。左上位が成り立ちます。

結局、左右という感覚は相対的なものなのです。

■小さな寄り道 ── 「正しさ」という幻■

もうひとつ、左右にまつわるエピソードを。

「左」、「右」という漢字の書き順。
第一画が異なると、小学校で教わったことを覚えていますか?

小学校で教わる「左」と「右」の書き順。

もっともらしく、
「左という字を書くときには左側から、右という字を書くときには右側から第一画を始める」
などという説を聞くことがありますが、嘘です。

そもそも漢字に「唯一の正しい書き順」など存在しませんでした。
同じ字に二つも三つも書き順が併存していたのを、戦後、文部省が教育の混乱を避けるために一つへ寄せただけ。
しかもその手引き自身に、「これ以外を誤りとするものではない」と明記されています。
だから、筆順をテストで出題して正誤を問うことは間違いなんです。

結局、左と右って、漢字の書き方ひとつとってもブレがあります。

■AIに還る ── 左右は、与えられず、刻まれる■

はい。
冒頭で触れた伏線の回収です。

画像生成AIが左右を間違える理由は、まず技術的な問題です。
生成AIはデータを学習して画像を「それっぽく」生成します。

そして、学習効率アップのために、左右を区別しないのです。
右向きの猫も左向きの猫も同じ猫。
左右という感覚を学習しない。

だから、生成AIは左右の区別が苦手です。
最近はだいぶ改正されていますが。

でも、AIが左右の認識が苦手な、もっと根本的な理由があります。
神社のところで触れたように、左右は相対的だから。

上下には重力があります。
逆立ちでもしない限り、上下を間違えることはふつうないでしょう。
「階段の上下を間違って、頭を下に向けて座ろうと思ったら、階段下におっこちてしまった」などというあやまちは、高校時代の後輩のK君以外にはまず起こり得ません(今思うと器用な間違い方をするヤツです)。

前後には、顔と後頭部がある。身体的には絶対的な基準です。
恋人の後頭部を優しく撫でようとしたら、前後をまちがえて、顔を撫でてしまって激怒されたなどということも起こりません。

でも左右だけは絶対的じゃないんです。
自分の右手だって、相対する相手から見たら左側。

それでも人間は、身体を基準に「心臓のある側が左」という「約束事」を決め、さらにそこから右を優位とした「左右の身体説」へと進みました。

あるいは、天体との位置関係で、「北極星に背を向けたときに、太陽が登る側が左」という「約束事」を決め、そこから左を優位とした「左右の天体説」へと進みました。

つまり人間は、身体か天体に接地させることで、左右をなかば無理やり普遍的なものとしてきました。

しかし、AIは心臓のある身体を持たず、空を見上げる目も持ちません。
だからAIにとっては、左右の認識は難しい。

左と右の区別が、人間にはやさしく、AIには難しいのは、実は左右という実態が存在しないから。
子供がいなければ、その人は親ではなく、子供が生まれれば親となるように。
左右とは、人間が身体と空に結びつけて、世界に刻みつけた区別にすぎないのでしょう。

だから、実は人間だって、左右の認識が難しいことがあります。
最後にネット上の例をあげておきます。

「🫷」という絵文字は、右手を表しますか左手を表しますか?
拡大すると、手前に親指があるので右手と認識できます。
しかし、輪郭だけ見たらどちらか判断に迷うのではないでしょうか?
自分から見れば右手だし、相手から見れば左手。

合掌🫸🫷

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