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暑いですね、毎日。
どうしようもないのに、「暑い!」と言ってしまいます。

秋に亡くなった父は、その最後の夏も猛暑で、そして通院ばかりでした。
そんな思い出です。

ほとんど家で寝ていましたが、風邪をひいたか何かで通院をする必要で出てきました。
およそへそ曲がりな人なので、電話口では「しんどい」と言いながらも実家に迎えにいくと
「もう、治った。大丈夫だ」
と、言います。絶対、うそ。ですし、行かないとまた母が父のグチを聴くことになる。
いつも父と酸素ボンベと母を、私の車に積んで病院まで行きました。
病院についてからが、大変です。

父を後部座席から、酸素ボンベも鼻にかけたまま降ろす。
父は最期は肺が蝋のように固くなって、動きが悪くなる。つまりは呼吸が浅くて苦しくなる症状が出ていました。

玄関に一番近い障がい者さん用の駐車場に降ろしたものの、そこからが歩くのが、とても遅い。
2、3歩進んでは、「はあ、はあ」と息を整える。私は片手で父の脇を抱え、片手で酸素ボンベを引く。
私が幼い頃の健脚で、小走りじゃないとついていけない父の足取りとは、本当に別人のようでした。

母が病院から貸してもらった車いすに座って、やっと深く息をつく。
そんな父をみて、思わずこみ上げるものがありました。

待合室で待つ間、難聴で地声の大きな父が小さな声で何やら言う。それに答える。そんな時間は、待つイライラより穏やかで静かな時間でした。

小さなころから恐れおののいていた父でしたが、老いに従って身体も声も小さくなり、また言うことも態度も、やわらかで穏やかになりました。
それが、嬉しくもあり、またどうしようもなく哀しくもありました。

あの夏のギラギラとした太陽の元で、親子三人で通院がてらのドライブ。
帰りに「まゆみの家に寄りたい」と言って、慌ててお寿司を買って家に入ってもらいました。
お寿司をついばんだけど、父の樽は半分以上残っていました。

「最後に、まゆみの家にも来れてよかったね」と母。
「またいつでも、こればいい。迎えにいくから」

父はうなづくでも、クビを振るでもなく
玄関から見える風景をみて(高台にある家なので)
「見晴らしがいい」
とだけ、また小さな声でいいました。

10年ぶりの父の来訪は、最期の来訪になりました。

今頃、彼岸で何をしているのか。
おいしい寿司と酒を、見晴らしのいい雲の上から、
たっぷり味わっているんでしょうか。

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谷脇まゆみ@「自分史上」最高の未来創りコーチ🌈自己肯定感をアップして悩みの「仕組み」を紐解く よろしければサポートお願いします。サポート頂けるのが最高の励みです。お役に立つ記事を書きます☆