子どもを育てさせてもらっているんだ
え?女神ですか?
私です。
子どもを育てさせてもらってありがたいと思ってしまったんですよね。思ってしまったってオイ。
子どもを育てるという行為の中に家事や育児があるわけですが、それをしていて偉いなぁ、誰か褒めてよ!と思うことばかり、いや、思うことしかなかったんですよ。本当に毎日毎秒いろいろあるし。
でも、子育てって、すごくありがたいなって思ったんです。それは、子どもの成長が1番間近で見られるとかもあるんですけれど、やさしい気持ちが育つなぁと思ったんですね。
子どもという存在に対して。とはいえ、まだ私の子育ては14年間1人の女の子ですから経験値がその範囲かもしれないのですが。
最近、隣の部屋に赤ちゃん2人が引っ越してきたんですね。そして翌朝から早速、早朝からまぁ騒がしい。私がベッドの中で起きてしまうレベル。ドタドタ走り回ってあっち行ったりこっち行ったり、転んでは大泣きしたり。
目に浮かぶんですその光景が。こちらが生活音を立てれば全く気にならないのですが、なんせベッドの中でシーンとしている時間ですから、気づいてしまったわけで。申し訳ないけれど、「あ~懐かしい。この時間からこの泣き声の対応って大変だよね、それに比べたら中学生になった今の子どもがいいのかも」なんてありがたさを味わってしまう。
それでもなんとか今日は保育園に行かなくてはならないのでしょう。その様子も伝わってくるんです。ベランダで洗濯物を干していると、駐車場から子どもをなんとか車に乗せようとする気配が。大泣きして、それはそれは響き渡るのです。きっと親は周りの事も気になるし、でも正直、参ったな~という気持ちも隠し切れない。なんとか色々上手にあやしながらの乗車サポート。でも「いいから、早く乗って!」と言ってしまう日もある。
わかるよ~わかるよ~わかりすぎるよ~!でしかない。
私は、私という人間は、子育てをしていなかったら、そんな優しい気持ちにはなれなかったと思うんですね。
いやね、子どもという存在に対して不快感を抱くという意味ではなくって。
子どもをみんなで大切にしよう、という気持ちにはならなかったと思うんです。親の気持ちに寄り添って、心の中で「頑張れ!」とエールを送るほどにまでは至らなかったでしょう。
そんな私が今や、手動の重い扉の向こうからベビーカーでどうにかこうにか取っ手を掴む姿を見かければ、率先して開けるわけです。私がよく行くアイスクリーム屋さんの扉がものすごく重いんですよ。よく学生が開けられるなぁって思いますけど、みんな体重を全力でかけてます。だから、その扉は重くて開かないことを熟知しているのです。
そしてあらゆる親子を見るたびに、私もこの時期を経験させてもらったんだなぁ、って振り返ります。いつどんな場面を振り返っても「いやー、マジで大変だった、大変でしかない、大変なことしか覚えてない」って思ってしまうんですけどね。
でもその大変なことばかりが記憶に残るのも、私の親としての特徴であって、許しています。子どもには過去の話はしません。聞かれたら答えますけど「大変だったんだよ」とか「あの頃は可愛かったのに」みたいなことって聞きたくないでしょうし。
でも大変だったし今も大変とは言え、私は今の娘が1番かわいいと思っていますし、思ってきました。今が1番かわいいを更新し続けるんです。過去より今がかわいい。
そして子育てという感覚から離れて、一緒に暮らしていることがうれしくて、楽しいんです。存在がありがたくて、かわいい。
娘より幼い子どもの親を見ながら、その気持ちをまたもらってるんです。
子どもは親を選んで生まれてくる説がありますが、私は子どもに選んでもらった感覚はありません。私が「あなたを育てさせてくれませんか?」という立候補したところ当選した、と思っています。
我が子を誰かと比べることもありません。立候補したのは私で、この子だから産み、育てると決めたので。この子の爆走を応援したい前提です。
よく食べて、よく眠って、感情を爆発させながらズンズン歩いて行って欲しい。言葉遣いにはちょっとうるさい母親ですが、大抵のことにはオッケーを出せる力量を持てるように、働くんだ。
やっぱり私の中心には、娘がいるんだなぁ。
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