いつになったら『母です』って言えるかな
七五三の季節。
娘の昔を思い返していました。私の着物を受け継いでくれた、3歳。
母親って、難しいなぁと思っていました。みんなの期待があるのよ。それがたとえ子どもの成長的喜びであっても、母親のプレッシャーに変わるのです。

着物の帯を結ぶ間もじっとしていられなくて、慣れない着物を嫌がりながら。お祝いできる日は華やかだけれど、日常には、あたふたすることばかりでした。
「母親って、どうすればいいの?」
必要のない問いを、わざわざ胸に抱えていました。
7歳の七五三では、うれしそうでもあり、恥ずかしそうでもあり、「早く終わってお寿司が食べたい!」というテンション。とにかく健やかに育ってくれていることに、ほっとしていました。
私は、生きる力が強いほうじゃありません。生まれた時から、どこかで、毎日をやめたくなる瞬間があって。
だから、母親になるとわかったとき、「この子はきっと、私を生き長らえさせるために生まれてくるのだ」そう思いました。子どもには申し訳ないけれど、それが私にとっての「母親」という認識の始まりでした。
着物をまとった娘は、私の手をぎゅっと握って、ただ連れられるがままに儀式に参列していました。その姿を見ながら、「この子の健やかのために、私は生まれてきたのかもしれない」そう思ったのです。

けれど、娘が12歳になった今から1年半前、私は突然倒れてしまいました。
日常生活をまともに送ることができず、母親として生きることさえ、わからなくなってしまったのです。
突如、母親を失ったような娘は、すごくいろいろと考えたでしょう。思い出すだけで、今でも泣いてしまう。
あのとき、私は思ったんです。
私がいたら、あなたの邪魔になる。
でも娘は、言いました。
「私が大変でもいいから、生きていてほしい」と。
その言葉が、私を引き戻してくれました。
あの過酷な日々の中、娘は中学受験までやり遂げました。生きるバイタリティがあるのか、揺り戻しが来るのかはわかりません。それでも、娘の存在にはもう、感謝しかありません。

今は思春期の入り口で、言葉を交わすよりも、ただ隣にいる時間が増えました。これから一緒にいる時間すら減っていくでしょう。それでも、生きていてくれることが、私には何よりのエネルギーです。
次に娘が着物を着るのは、20歳になったとき。
その日、私は何を思うのでしょう。
あの日母になった私は、「母親」という肩書きに追いついているでしょうか。

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