また明日ねって言える今日でありますように。
人は幸せな瞬間に、 「生きててよかった」と言う。
今日まで生きてきたことそのものについては、いつも考えてはいない。
生きることは、 当たり前に続いていくことじゃない。
諦めたくなった日も、
投げ出したかった日も、
本当はたくさんあったのかもしれない。
それでも今日がある。
だから私は、 今日という一日を、少し奇跡みたいに思う。
人は命の危険を感じた後に、 「生きててよかった」と言う。
いつもは生きているという事実は考えない。当たり前とは思っていないかもしれないけれど、生きることは、 誰かが叶えられなかった貴重な1日だったかもしれないほど、とまでは思わない。
怖くてたまらなかった日でも、
うずくまって起き上がれなかった日でも、
それを味わうことも生きているから感じられるということを忘れてしまう。
また明日がある。
それを信じられることは、 すごく尊い生き方をしているように思う。
本当は、明日なんて来なければいいと思った日もあった。
それはあまりにも自分勝手で贅沢で。とんでもない考えだと思うのだけれど、そんな仕方がない自分を許すことも生きている証拠。
ご飯を炊くことも、
洗濯物を干すことも、
生きようとしているから。
体が痛いとか、
心が苦しいとか、
それは生き続けるためのサイン。
生きる、
生き続ける、
それは簡単なことじゃない。
洗えなかったシンクの食器、
干しっぱなしの洗濯物が夜風に吹かれている、
それも今日を生きた証。
毎日の暮らしは、生きるという選択の連続。
食べてもまた食べるし、
洗濯物を干してもまたそれを洗うことになる。
同じことの繰り返しが、生きながらえるためであることに、つい私たちは「何の意味があるんだろう?」と思ってしまうのだけれど、人間活動の連続がまた今日も生きていることに他ならない。
時に。
生きるために生きてるんだな、って思えば腑に落ちることがある。
何のために生きるかって、生き続けるために生きるのかもしれない。
だからどう生きたって、生きていればいい。
目標なんかなくても
ダイエットが続かなくても
またやってしまったと後悔しても
それはまた明日を生きようとするから。後悔をして軌道修正をしようとする心意気だから。
今日まで生きていて、奇跡。
また明日を生きようとしているから、尊い。
同じことを続けられるのは立派な強さ。
生きていてくれて、ありがとう。
また明日ねって言える今日を、ありがとう。
あなたも、わたしも。
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いつも温かいサポートありがとうございます。大切な時間をくださって、すごくうれしいです。これからも心を込めて書いていきます。