才能もカラクリも、体験して確信したときに、自分のものになる(No.3)
似ているな、と思った
前回まで、
超能力開発の番組での出来事を書いてきました。
勘だよりだったものが、
練習を重ねるうちに手ごたえになり、
確信に変わっていく。
仲間の確信を見たことで、
自分への評価が変わっていく。
これを見ながら、私は思いました。
これは、
私たちの「才能」や「構造(カラクリ)」にも、
あてはまる、と。
才能は、知っているだけでは発揮されない
持って生まれた才能、
いわゆる天才性というものは、
「ある」と知っているだけでは、
発揮されません。
知ったあと、
それがどこにあるのか、
どこで生かされているのか、
自分で探す必要があります。
見つかったら、
それを再現するための行動をする。
何度かやってみて、
「やっぱりこれは、自分の強みだ」
「これが、自分の個性だ」
と確信したとき、
そこから、さらに磨きがかかっていきます。
体験して確信したら、自分のものになる
つまり、
体験して、確信したら、
それは初めて、
自分のものになるのです。
知識として知っているだけでは、
まだ、自分のものは、なっていないと言えます。
カラクリも、同じ構造をしている
「構造(カラクリ)」も、そうです。
無意識で動いているとき、
カラクリは、
自分の力ではどうにもならないもの、
あらがいようのないもの、
として存在しています。
でも、
「これがカラクリだ」と、
体験して確信したとき、
初めて、自分のものとして、
扱えるようになります。
「私は悪くない」
と思っているうちは、
いつまでたっても、
カラクリを自分で扱えるようにはなりません。
どちらも、同じ道をたどる
超能力開発の番組で見た、
あの確信のプロセスは、
才能にも、カラクリにも、
同じように当てはまるのだと、
私は思っています。
知ること。
体験すること。
確信すること。
それを経て、初めて、
自分のものとして、扱えるようになる。
ただ、ここで一つ、知っておいてほしいことがあります。
「カラクリに向き合う」というと、
マイナスなことに時間をかける、
遠回りな作業のように思われがちです。
でも、それは逆なのです。
その話は、また次の記事で。
→ 続きはこちら(確信を遅らせるカラクリがある(No.4))
