カクテルドレスのささやかなリベンジ
人様に頼みごとをすることは大の苦手である。
ましてや、人様にモノを乞うなどという行為はさらに厭う。しかし他の方々がそうされる分には構わない。人にはそれぞれ事情がある。
とは言っても今回はポリシーを曲げ、ほうぼうの知人、非知人に触角を伸ばして、恥を晒しながらもモノ乞いをして回ってしまった。
某コンサル会社が主催するパーティーへの招待状を切望していたのだ。
その立食パーティーの参加者は大概300名程度、ディナー、アルコール飲料がビュッフェ形式にて振る舞われる。今回はさらに生バンドも入るという謳いであった。
私は二人の関係者に嘆願文を送った。内容は人によって変えた。
そのコンスル社から業務委託されていた、もと同僚の青年にはこうしたためた。
「あんなに親しくさせていただいたのに、もう数か月もお目にかかっておりませんね。皆、あなたのその後のご様子を案じており候ゆえ、ぜひ一度お会いして近況などお聞かせ願えればと存じます。あなたが転職なさってから、こちらの職場でもさまざまな変化がありました。もしご興味がおありにて候わば、そのあたりもお話しできれば嬉しく思います。さしあたり、御社のパーティーにてお目にかかるというのは如何でしょうか」
などと自分でも芝居がかった文を綴ったが、彼とは特に仲が良いということもなかった。二週間一緒に働いたというだけであった。

もう一人、お会いしたこともないが、数か月前に同コンサル社への引き抜きを打診して下さった青年に向かっては、
「数か月前に、あなた様よりお声をかけていただきました。その折は、転職につきましては、いささか時期尚早と考えておりました。それより月日も流れましたが、このような時勢ゆえ、今後は御社にお世話になるご縁が生まれぬとも限らぬと考えるようになりました。
つきましては、まずは御社のパーティーにて、あなた様とささやかにお見知りおきを願えればと存じ候。面識なき身ながらも、ひとたび言葉を交わす機会を得られましたなら、これほど心強いこともございません」
などと、恥を忍んでこのような馬鹿丁寧かつ白々しい嘆願メールを両者に送りつけた。通常は、このようなあさましいことはとても出来ないし、思いもつかない。
それなのに、何故今回はそんなことをしたのか。今回に限ってはディナーとアルコールビュッフェを目的としていたわけではない。
私には、そのパーティーでやりたいことがあったのだ。ささいなことである。しかし私にとっては沽券にかかわることであった。

私のメールは相手側からはすぐに既読となったが、何の返答も無かった。私を招待したところで、その企業にはなんのメリットもない、と思われたのであろうか。唯一メリットがあるとしたら、男性の多いIT業界のパーティーにせいぜい紅色を一点加えることであろうか。
とは言っても、仮に招待されたら黒装束で参加をすることとしていたため、紅点にさえならない。
諦めかけていた時、招待状が送られてきた。上記の二人から、ほぼ同時にである。
しかし、招待状を送って頂いたのはパーティー開催日の二日前であり、その日は皮肉にも先約が出来てしまった。七百人の応募者から百人だけが選ばれるというセミナーであった。国の機密機関を見学できるという、滅多にない機会である。
一年は通常365日あるというのに、興味深い行事が重なる時は重なるのである。
機密機関のセミナー、あるいはカクテルパーティーか。
どちらも捨てがたく、悔しく難しい選択であった。

結局、
ダメもとでハシゴをすることにした。
機密機関の方は17時から20時、カクテルパーティーの方も17時から開始であったが、終了時間は記載されていなかった。
私は計画通り、黒装束、白いパールを埋め込んだ黒いスカーフといういで立ちで出かけた。毎晩夜中近くまで働き、襤褸切れのように見る影も無くなっていた昨年の今頃とは異なる。
国家機密機関の講演室は薄暗く、天井が低かった。講演自体は興味深かったが、私はその場を早々に抜け出してパーティー会場に急ぎたかった。ただ「機密機関の建物の中を覗いてみたい、そのITシステムを知りたい」という好奇心だけで応募したのだ。
二十時よりも早く退出するには、主催者に出口まで誘導(連行)してもらわなければならない。彼らの手すきになるのをイライラと待ち、長い廊下を二つの建物を抜けて外に出たときは、すでにお目当てのパーティー開始から三時間が経っていた。企業主催のパーティーはせいぜい二時間で終わってしまう。
それでも、恥を忍んで獲得した招待状だ。行く前から諦めるのは口惜しい。パーティー会場に行ってみるだけ行ってみることにした。
パーティー会場に着いた。
その建物は外から見る限りまったく人気がなかった。荘厳なドアは固く閉ざされ、押しても引いても動かない。ドアベルも無かった。私はしばらく冷たいドアの前に佇んでいたが、パーティーは既に終わったものと断念し、会場の目前にあった教会と墓地へ重い足を引きずって行った。
墓地の柵に寄り掛かり、私は友人に「非常に残念だ」とメッセージを打ち始めた。

そのとき、不意にくだんの建物のドアが開き、若者が二人出てきた。私は反射的に駆け寄り、彼らの後ろから滑り込んだ。すれ違いざまに「私はここのパーティーに招待されているんです」と声を掛けたが、彼らは気にも留めていなかった。
中に入った瞬間、音と熱が押し寄せた。パーティーはまだ最高潮であった。
「侵入成功!」と、友人あての携帯メッセージの内容を最初から書き直す。
大勢の人が薄暗い中で立食をしながら会話を楽しんでいる。奥では大音声でバンドが演奏している。
私はコートを預け、プロセッコを受け取り、ゆっくりと会場を歩き始めた。薄暗い照明の中、大昔の顔見知りたちを見つけ、そのうちの一人の肩に後ろから手を置いた。彼らの驚いた顔がほころび、「久しぶりに会えて嬉しい」と言う。スウェーデン人はアルコールが入ると社交的になる。
しばらく彼らの立食テーブルで世間話をしながら時々あたりを見回した。
二回目にドリンクを取りに行くとき、招待状を送ってくれたうちの一人、すなわち現在の勤務先の以前の同僚に出会った。若く長髪の彼は私に抱擁を交わすと、近くのテーブルを指さして言った。
「あそこのテーブルにいるのが、僕の一番親しい同僚達だよ。僕がどんなにグルメにこだわる人間かを、彼らに話してやってよ」
彼と一緒に働いたのはたったの二週間であったが、私は、覚えている限りの彼のグルメぶりを多少誇張して彼の同僚に話してやった。みな、大笑いをしながら、彼の肩を抱いたりして交友を深めていた。
これが、招待状を送ってくれた彼へのささやかなお礼であった。
その直後、長身の若い黒髪の男性がクロークのところへ行くのを見掛けた。その時私は確信した。このパーティーの招待状を送ってくれた二番目の男性は彼であると。他には写真に似ている人は会場に居ない。若い好青年だ。彼が帰ってしまう前にお礼をと思い、彼の後ろ姿を追った。
男性は私を振り向いた。私は携帯電話で写真付きの彼のメールを見せて訊ねた。
「間違ってたらごめんなさい。でも貴方がこの招待状を送ってくれた人じゃない?」
青年は大きな笑みを見せ、握手の手を差し出した。
「そうだよ。招待状送るの、ギリギリになってゴメンね、今来たの?」
「今さっき」
「君が知っている人、誰か見つけた?もし良ければ紹介してよ」
私は好青年と一緒に、私が最初に声を掛けた知人達のところへ戻った。その青年は、初対面にも拘わらず、五分で大声で冗談が言えるほど彼らと打ち解けてしまった。このような人を本当に社交的な人だと感嘆した。私が紹介した、お世辞にも社交的とは言えない高齢の人たちの中にいとも簡単に入り込んでしまったわけだ。
人を数人紹介したことにより、招待状を送ってくださったこの引抜き担当の青年への大義名分(?)も完了した。
今度は目的の相手を見つける段になった。

去年働いていた勤務先の同僚である。このさい誰でも構わない。
私はあたりを見回したが、あいにくお目当ての同僚は一人も見当たらなかった。彼らはこのコンサル会社に業務委託しているため、通常は招待されている。しかし、長居をしない人たちなので、来ていたとしてもすでに帰ってしまったのだろう。
しかし、生バンドが演奏するホールの雑踏の中で、ほんの少し見知った顔を見つけた。二年前のパーティーで十分ほど会話をした某コンサル社の社長であった。名前も顔も覚えられない私であるが、彼のことは非常に愛嬌のある顔つきであったので覚えていた。
「ユングさん?」
男性は驚いてこちらを振り向いた。半分当てずっぽうで呼びかけたのであるが、どうやらビンゴであったようである。向こうは私を覚えていなかったようであるが無理もない。二年前のほんの十分間のことである。
私も彼の顔を朧げに覚えていた程度であったが、ラストネームのユングだけは覚えていた。心理学者のユング氏と同じ綴りである。
私たちは、轟音が響くホールを出て、パティオに出た。
ユング氏の眼鏡の奥の人懐っこい瞳を見据えて、私は自己紹介をした。私は昨年、彼の会社から業務委託されていたステファンの隣に座って仕事をしていたのであった。
「貴方にお願いがあるのです。実は、御社のステファンは私の転職を非常に案じてくれていたので、彼に是非お伝えして頂きたいことがあります」
ユング氏は興味深そうに私の次の言葉を待った。

「私は、以前の勤務先より、さらに堅実なところに転職することが出来ました。そして、今では某業務の責任者として、部長の片腕として信頼されています。そのことをステファンにくれぐれもよろしくお伝えくださいますか? そして私は元気だと」
蓋を開ければ単なる使い走りであるが、モノは言いようである。
ユング氏は承諾した。私はくれぐれも念を押し、ユング氏を解放した。生バンドのホールに戻るユング氏の後ろ姿を追いながら考えた。
彼のコンサル会社は急速に拡張している。きれいごとだけでは勝ち残れない業界だ。しかし狸のように愛嬌のある彼の顔は得だ。信用を得やすい。
これでいい。出来ることはやった。以前の勤務先からの参加者が一人も残っていなかったパーティーで私に出来ることはこれぐらいのことである。
ユング氏はおそらく、コンサル業界では名の知れたこのパーティーに私が招待されていたこと、そして私が伝えたことをステファンに伝えてくれるであろう。
そしてステファンは、そのことを同僚たちに確実に伝える。大声で雄弁な男だ。
その情報は、最終的に、しかし確実に、ある同僚の耳にも入るはずだ。
一年以上、私にモラハラを与え続けた男だ。

彼のモラハラに関して、関係者からは訴訟を勧められたが、私は彼を訴えることはしなかった。そのようなことに貴重な時間とエネルギーを費やし人生の質を落としたくはなかった。
たとえ勝訴したとして、雀の涙ほどの慰謝料を貰えたところで、彼の道徳観念は変わらない。五十年以上培われた彼の価値観である。自分がモラハラをしているということなど皆目理解出来ないほどナルシズムに酔いしれている人間であった。
長期間にわたる彼のモラハラにも拘わらず、私は立ち続けることができている。
その事実が彼に伝わりさえすれば、ほんのささやかな私のリベンジは、音もたてず、しかし確実に、私の中では功を成したことになる。
いつでも平常心を保てていたわけではないが、自尊心だけは失わなかった。人間の価値というものは他人に評価されるものではない。
もしも踏みつけられそうな気持になったら、泣き寝入りをせず、ささやかな、ほんのささやかな「自分を取り戻す行動」を企ててみたら如何でしょう?

