生命線に乗って
憔悴しきった鼠の頭痛の種は、何と言っても紙面が謳う水仙の脂ぎった注意力であった。六カケ五の学習机からは個々の頭蓋骨が生えており、澄ました顔した一年生達はランドセルを落として毎朝砕いている。レズビアンとて人間なのだから、踝には例外無く影が落ちて、メディアの視聴回数には目もくれないまんまでバッグクロージャーを舐る事だって朝飯前さ。
少し気のおかしいリモートコントローラが寝床で跳ねる時、窓の外では無数の耳栓達が竜巻に踊らされている。さて彼等は本当に対の数で存在しているのだか、誰一人知りゃあしませんとも。鼻骨の辺りで萌える花々に込められた嘘八百でありながら枝葉の不自然な感情にようく似合いでありそうな言葉も哀しそうに踊っていた。
空腹を訴える貝の子が可愛かったためしがあるかい。陽光眩しく細めた眼には、右から左へ回遊魚が通過している。まるで憐憫を溢れさせる様に、或いは気の利かない伴奏を内緒にしたがる様に。
此処で立ち止まるのでは心臓も据わりが悪いと騒ぐので、振り返りもせずに瀟洒な鯨を御用意しましょう。望むらくは、粉末に卸した嘆きを御手玉に出来る様に。或いはいつかあや取りの橋で向う岸に渡れる様に。
