閑古な汚れ
咽喉で開演ブザーがわたくしを呼んでおりますが、衣装の一枚も用意が出来ておりませんで、濡れ鼠にスーツケースを引摺った姿のまま表に出ざるを得ず。台本通りに足を舞わせられはしましても肝心の泣き顔をとんと忘れており、袖口を囲む水滴で頬を濡らして遊んでみせました。歯列の観客は未だガチャガチャと揃わず、電波を通して声を掛けてはみたとて総てが等閑と帰します。けれど、態とらしいピーチパイのお出まし頃には揃って歯茎の席に着いていてくれれば、それで構いません。
カウンセラーごっこに興ずる男児のランドセルが口を酸っぱくし、懐古の椅子に深く腰掛ける白衣の者に頼るのは止せと仰りました。近頃の診療所は皆して〝儲かりやすい薬に漬け、依存させて、さア、お終い!〟と云う姿勢でなくなり、偏見が些かばかり緩和したのは保健所のお達の成果でありますから、其処に跪かない者といったら、後はもう、お察しの通りで御座います。
副詞がわからず、名詞の後に助詞すら碌に置けず、ら抜き言葉ばかりを使い低俗な話題しか口にしません。ですから、わたくしには愛が何ぞやと説く事も叶いません。巷で人気の詩人が羨ましく、歯噛みをする日も稀にあり。とはいえ最も妬ましいのは、語れるだけの愛を知っているらしいと云う姿であるのでしょう。
