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徳川美術館『とんがり美術-キワだつ個性-』

d十二月十五日、日曜日。
十二月も半ばではあるものの、陽射しは暖かく。
吹けばおそらく冷たかろうが、風は凪いで、おだやかな日。
名古屋の日本庭園の、徳川園をクルリとひとめぐりすれば、少し汗ばむか、どうか。そんな小春日。

瑞龍亭より龍仙湖を望む。

尾張徳川家ゆかりの徳川園は、明日から年末年始の閉園期間ということで、多くの人が、紅葉の名残を惜しみに訪れておりました。
まるで秋の盛りの様に、赤い葉黄の葉が、光の濃い、青い空によく映える。寒さに背を丸めることもなく、皆、上を見上げて、葉に透かして降る陽射しを頬に受けておりました。

虎の尾方面へ、虎仙橋を見上げる。

隣接する徳川美術館も、今年は今日で閉館。
この一か月、開催されていた企画展は
『とんがり美術 -キワだつ個性-』
という、変わり種の作品を集めた展示でした。
終わってしまった展示ですが、記録としてここに書きとめることとします。


神農。

黄金造神農像

展示の一番初めにドカンと登場。ポスターでも一人で主役を張っている彼。この企画展の、イメージキャラクターといったところか。
尾張徳川家の初代からあるらしい。
写真ではかすんでしまっているけれど、ナマで見ると、黄金は濡れたみたいにヌメヌメと光っていて、何か、まじないでもかかっていそうな、妙な空気感。
でも、ポスターで見たイメージよりもずいぶん小さい。
大きさ的には……アレだ。インディ・ジョーンズの一番最初に出てきたアレだ。質感、色味からしてもアレだ。
インディ・ジョーンズが、和風舞台だったら、あの黄金偶像はこんな感じになるのかな、っていう。

真っ黒な目は、さらにゴマ粒みたいに小さいのに、妙に存在感があって、さらにさらに小さい一つの点が、星と光っている。可愛いような不気味なような……
丸っこいフォームは、葉っぱを着ているのかな。でも、バサッと被ってこの形になっているんじゃなくて、ミッチリ肉がつまっていそう。そんな肉体、人間じゃありえない。
取って付けたような頭や手足が、かえって人間離れを加速している……コレ、ホントに日本のモノなの?
いやもちろん、神農というのが古い中華の神様というのは知ってるけど……このセンス……何だろう? 何かフィクション臭いというか、異世界ッポイというか……和風、中華風ファンタジーのアイテムじゃないですか。

いやむしろ「昔の日本の美術のセンスって、こういうのとは違うんじゃないか」なんていう、自分の固定イメージの方が間違っているのだ。実際にコレがあるんだから。
今回の展示は、まさにそういう固定イメージをぶっ壊すのがコンセプトなのだ。

ゴマちゃん。

萩山焼膃肭臍置物

天保四年、江戸前に迷い込んできた海獣。
記録ではオットセイと書かれているけれど、どう見てもゴマフアザラシ。大人気だったそうです。
そういえば、タマちゃんフィーバーってのもありましたね。
え……? もう二十年も前なの!?

実物はもっと大きかったんだろうけど、この置物は床の間に置けるていどの大きさ。子供の粘土細工みたいに見えるが、江戸城の御庭で作った焼き物だというから、お庭焼なのだ。
将軍様とか、徳川幕府の偉い人たちが
「もっと目はクリクリしてて可愛いだろ!」
「もっとお腹はプックリしてて可愛いだろ!」
「もっとヒレはポッチャリしてて可愛いだろ!」
とか言い合いながら作ってたのかしら。

でも天保四年って、天保の大飢饉があった年……
その最中にこんなことしてたら、そりゃあ大塩平八郎だって
乱を起こしますよね。
可愛いから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。

伝・徳川家光作『鶏図』

鶏図

三代将軍・徳川家光は、参勤交代を定め、徳川家による諸大名の支配を確たるものにした。老中や年寄などの役職や権限を明確にして、政治機構として確かなものにした。島原の乱を平定し、キリシタンの禁令と鎖国の体制を固めた……さあ、そんな剛毅辣腕な将軍の描く絵はどんなものだろうか?
……コレ?

展示の説明文にも「紙の端に小さく描いているのは性格だろうか」なんて書かれちゃっている。そうなのか家光。
掛け軸を仕立てた職人も、何か思うところあったのか、絵の下の布に刷られた葵のご紋も、なんかヘニョヘニョしてる。

スケベ犬と、つぶれたタヌキのぬいぐるみ?

小犬図

淀稲葉家十二代当主、稲葉正邦の筆による小犬の絵です。
もうちょっと何とかならなかったんですか? こんなのを代々引き継いできた親族も親族ですよ。当主の正邦に、何か怨みでもあったのか。

昭和の、ちょっとスケベなギャグ漫画の絵だよなあコレ。
白い犬の目や鼻や口の描き方、下手クソなのに、妙にこなれているというか、画風として固まってる感じなのは何故?

下の、ダメなウルヴァリンみたいな顔の作りも謎だ。下手と言っても、こうはならんのではないか?
鼻はあるけどマズルになってないし、目が人間みたいだし、耳なのかツノなのか分からんし、前足後ろ足シッポがもう、こんがらがって、どこにどうついているのか分からん。
平たくなっちゃって、ハラワタの抜けた毛皮みたい。

かばうとすると、下手は下手なりに、見て描いてはいるんだろうと思う。ワチャワチャとじゃれ合っている小犬の、足やシッポがどうなっているのか……そんなの、正しくスケッチしろっていう方が無茶な話だ。有名な蘆雪の小犬とか、可愛いと評価されてる定番の絵は、だいたい寝てたり座ってたりと、動いていないシーンだ。
正邦さんはよく、じゃれ合う小犬なんて、無茶な題材に挑戦したと思う。よっぽど犬が好きだったんだろう。それも、元気よくじゃれ合っているところが好きだったのだ。

その気持ちはしっかり伝わってくる。そう考えれば、一周回って良い絵と言えるでしょう。稲葉家の皆さんも、それを伝えたくて、この絵を代々受け継いできたのでしょう。
正邦さんは、良い親族をお持ちになりましたね。

お手本を見て描いても、下手は下手、だけど……

人物画巻。

尾張徳川家三代綱誠の手によるものだそうで……殿様というのは、よっぽどヒマなのか? でも、ヘタっちゃヘタだけど、でも自分だって絵が上手いわけじゃないしなあ。
立烏帽子、折烏帽子、水干の紋は雪の輪・朝顔・七宝・五弁の花。そのあたりがちゃんと描き分けられてるあたり、歌仙絵巻か何かを、描き写したのかな?
上手くなりたいから、お手本を描きうつして練習する。何も間違っちゃいない。筆の細い線が、スゥと素直に引けているあたり、むしろ、ちゃんとしているようにも思う。
ヘタだけど、画面が汚くないのは、やはり筆の扱い自体は、慣れていて間違いがないからなんだろうなあ。

現業公務員の営業廻り絵日記。

説明書きによると、今でいう岐阜羽島あたりを、巡見、領地の調査で見回りをした時に、そのお侍が描いた絵日記だとのこと。
どこの仕事場にも、妙に絵の上手いヤツが一人二人はいるもので、それは江戸時代から変わらないらしい。

1846年の作、とある。
葛飾北斎の『北斎漫画』は1814年から随時刊行され、1834年に第十二編、この絵日記の三年後に第十三編が発行される。
主な版元は、名古屋の永楽屋東四郎。絵の手本、図案集として刊行されていた。となると、この絵を描いた者も、北斎漫画を手本にしていた事は大いにありうる……というか、ポーズのつけ方とか、着物の描き方とか、あからさまに北斎漫画を見て描いてますね。

御在所絵日記その一。

左の絵は、レンコンでも掘ってるのかしら。芋って文字が見えるけど。右は、犬を追う図? 画面奥に、走り描きみたいな犬がピューッてしている。しかし、みんな着物をまくり上げて袴もはかず、フンドシが見えそう。というか、半分お尻が出てる。
北斎漫画を見て描いているとしても、この生き生きとした描写、しっかり描き手の血肉になっているなあ……というより、北斎が教えたかったのは、こういう遠慮のないモノの見方なんだろう。遠慮なく描かれすぎていて、ちょっと不安になるくらい。
……お侍なんだよね? このオッサンたち……

御在所絵日記その二。

間違いなく、お侍である。しっかり、二本差している。手甲脚絆もキリリと締めて、間違いなく武士の旅姿。
それで、やってる事がミカン泥棒。
ダメ押しとばかりに、添え文に「みかんをぬすみとる図」ってハッキリ書かれちゃってる。申し開きの余地を残さない。
その上、一人一人に添えられてる字……コレ、名前か?
頬の膨らんだヤツ、鼻の尖ったヤツ、エラの張ってるヤツ、無精ヒゲ描かれちゃってるヤツまでいて、みんな顔が違う、いかにも似顔絵なのに、ダメ押しで名前まで書いてある。
「そっくりだなあ」
「俺はもっとイイ男だぞ」
なんて言い合いながら、ワイワイ楽しんでたのかしら。
楽しそうだなあ。これには北斎もニッコリ。

へたじゃなくて、あじわいなんだなあ。みつを。

賭弓之式 藤原定家筆。

藤原定家は『小倉百人一首』を選んだ人。『新古今和歌集』や『新勅撰和歌集』の編纂にも大きな役割を果たしている。現代まで続く、日本の美意識の基礎を作った人物の一人。

書も、個性的という扱いだけど、実は定家流というちゃんとした一派なのだった。徳川家康も習っていたとか。
いわゆる能書とは違うかもしれないけれど、読みやすくって一筆ごとにキリッと力がこもっていて、一語一語をゆっくり発音するような話し方を思わせる。良いフォント。
この朴訥な感じを、茶人が好んだ、というのもむべなるかな。流行りすぎてニセモノも多いとか。

……知らなかったなあ。よく展示されている名筆というのは、大抵、スラスラーっと、細い線が一つながりに流れるようなのばかりだもの。

出来が良すぎて見えなかったコレ。

金七宝唐草文薬入。

コレ、こまかい細工がすごいらしいんだけど、現場では見えなかったんだよなあ。全体で、握りこぶしの中に納まっちゃうくらいの大きさ。この写真でようやく、フタのところに花が並んでいる事に気づいたくらい。
下の布目と花が同じ大きさなんだもの。どんな道具を使っていたのかなあ。
肉眼で鑑賞できたのは、ウサギの根付くらい。目に朱の石が入っているのが何とか分かった程度。

やっぱり、単眼鏡あった方がいいのかなあ……ほしいなあ……

化石の硯、だけでなく。

化石鳳凰硯。

清国で作られた硯だそうで。化石が顕す天然の紋様を、鳳凰の尾に見立てているのが見どころ、とのこと。
でもやっぱり、よく見えないのでした。
なので、フタの石の細工を見ていました。フタも貴石なのかしら。光っているのは水晶? 赤いのは何だろう?
しっかり立体に組んであるけれど、一つ一つの石は妙に硬そうで、加工の手間を考えると、ドキドキしてしまう。
ベースは漆かな? 黒く塗られた部分が、柔らかくフワリとした感じなのは、よほど使い込まれたのだろう。
石の部分まで、しっとりと滑らかなのも、やはり掌で撫で続けられた様子で、使われて完成するという、工芸の本分を果たしているのが、何ともよろしい。

……でもやっぱり、鳳凰の姿を認識できなかったのはチョット悔しい。単眼鏡、必要なのかなあ……

オーパーツ?

真珠貝玉箱。

東南アジアからの輸入品だとか。黒っぽくなっているのは、銀なのかな。銀の線の唐草に、金の鳥、真珠の花。
説明文によると、類似した作品が存在しないとあった。

見た事があるような気がするけれど、よく考えると、確かに見た事がない。真ん中にドームを乗せたような形の箱なら、木工でもありそう。銀線の唐草は、衝立や硯屏で見た気がする。鳥の小さな金細工なんて、刀の拵えとか、いくらでもある。そうやって、一つ一つの要素はチョクチョク見かけるけど、それらをこんな風に組み合わせるのは無かったなあ。

東南アジアでも無いんだろうか?
造りからして壊れやすそうなので、それこそ尾張徳川家みたいな環境じゃないと、保存ができないのかもしれない。

海のモノでできた、海の色の刀。

青貝酢貝星入合口拵。

ポツポツとちりばめられているのは、サザエのフタみたいなヤツの、うんと小さいヤツ。グルグル模様は異国風。しかもその下は青貝の細工なのか、表面は透け感があって、その青みがかった透明な層の下に、螺鈿のキラキラした虹色の層が沈んでいるのが、まさに海のよう。

柄を覆う白い皮は、鮫革と呼ばれるが、実際にはエイの皮。どのみち海のモノである。皮の真ん中にポコンと出ているオヘソみたいなのは親粒といって、歳をとったエイほどデカいので、この粒がデカいほど、希少な皮を使った高級品……
うわ、デケェ!
短刀匕首などは、柄のサイズ自体が小さいから、皮もエイの子供でオッケーなので、こんなデカい親粒なんて、まずないのだ。どこまでも贅沢な造りだなあ。

素材が全部、海のモノ。デザインや質感が異国風。何より、色が海の色。ひょっとして、竜宮城の乙姫様が持っている、お守り刀ってこんな風かしら。

裸足の油滴天目茶碗。

秋に静嘉堂文庫美術館に行った際、曜変天目の茶碗は二つありました。重要文化財の油滴天目、国宝の稲葉天目。

ぬめっとした青みがかった夜空のような釉の上に、バチバチ散った火花で穴だらけになって、その向こう側の灰色の空が覗いて見えているようなド迫力なのでした。
こんなのでお茶飲んだら、どっか異世界にでも飛ばされちまうんではないかしら?
そんな不安さえ感じたのが、忘れられません。

曜変天目(油滴天目)上から。

だけど、今回ここで展示されていた曜変天目はだいぶ地味。
星が細かくて釉薬の黒も、だいぶ素直な感じ。
ミッシリと詰まって、キラキラ光る小さな泡。かすかに虹色を含んでいるのだけど、それもさりげなくて。
この細波のような星雲の上に、薄茶を点てた時の、細かいクリーミーな泡が乗っかったら、それはどれほどの調和を見せることか!
雲の向こうの星空のような静かさだろうなあ。
茶碗単体のインパクトは、そりゃあ国宝の稲葉天目におよびもつかないが、のんびりと薄茶をいただくなら、こちらの茶碗の方がよっぽどくつろげるだろう。

曜変天目(油滴天目)横から。

重文や国宝の茶碗は、釉薬がトロリと高台のまわりに垂れ下がるほど、分厚くかかっているけれど、これは薄いなあ。
高台まわりもスッキリしている。天目茶碗には、こういう軽快さはなかなかない。手の中に軽々とおさまる感じ。
曜変天目は、その存在感がデカいので、直に畳に置けない。天目台に載せないと据わりが悪い。
でもこの茶碗はそんなことはない。むしろ天目台は似合わない、裸足でこその魅力がある。
この油滴天目が個性的っていうのは、やはりこの曜変の迫力や存在感を、スゥと脱ぎ捨てたような有様かな。

もっと評価されるべき絵師二人。

つれつれ睟か川 西村定雅:文 耳鳥斎:画

ゆるい人物もなかなか可愛いが、右端の、鼻先をキューッと天に向けている犬の様子が、単純化されているけどリアル。こういう仕草するよなあ。ハッハッという息使いが聞こえてきそう。クルリと巻いたシッポも、きっとギュンギュン回っているに違いない。
それにしても、どこかで見た画風だなあと思ったら、ネットでは定期的に話題にあがる、耳鳥斎の絵でした。

いつかゲンブツをナマで見たいとは思っていたけど、まさかこんなタイミングで見るとは。
こういうオモチャみたいな絵だと、額装や軸装は似合わないだろうなあ、と思っていたので、展示ケースの中に無造作に開かれた戯作本ってのは、良い出会いのシチュエーション。下が透けるほど薄い紙なのがまたよろしい。

他にこういう画風の人っていたのかなあ。
こんだけ独創的で、それなりに人気もあっただろうに、追随する者がいなかったなんてコトあるんだろうか?

不形畫藪 張月樵:画

こちらは名古屋の絵師、張月樵とのこと。寡聞にして初見。
与謝蕪村や丸山応挙の孫弟子? 長澤蘆雪とマブダチ?
どういう立ち位置だろう……週刊ジャンプには載らないけど、月刊チャンピオンあたりで、息の長い連載持ってる漫画家?

名古屋市の博物館に色々あるらしい。こういう戯作本ばかりじゃなくて、山車のデザインや装飾も手掛けてたとのこと。地元じゃ大人気だったみたい。だけどあまり聞かないのは、尾張徳川家みたいな偉い人相手ではなく、庶民向けの作品が多かったからなのかなあ。
本や机、着物とかの描き方、こんなに雑なのに、手を抜いている感じがしない。むしろ、このザクザク感が気持ちイイ。

こういう気持ち良さは、この、名古屋市博物館の解説にあるように、細かく描こうと思えばいくらでも描ける人が省略するからこそ。というか、この解説をみると、ほっとくとどこまでも細かく描き込んじゃう人ッポイ。

どちらにしろこの二人の作品は、もっと見たいなあ。でも、メインの展示というより、あればその展覧会がグッと身近になるような、そんな立ち位置が似合いそう。

狩野派の大家の遊び描き。

狩野探幽と言えば、狩野派の中でも大家。徳川家康に謁見し将軍家お抱えの絵師になり、作品リストに国宝こそないが、重要文化財が鈴なりです。
そんな探幽もオチャメな一面がありました、というお話。

戯画図巻 狩野探幽(射的する観音)

徳川美術館のX投稿でもあった、スナイパー観音。
あるいは、ボサツ13。
さすがに標的は紙なんだけど、この気合の入りよう、とてもそうは見えない。殺る気マンマンじゃないですか。
膝を立てて銃を構える姿勢も、決まりすぎに決まっている。
左手は握らず、銃床を乗せるだけ。右手が動かないように、親指の付け根を頬骨に押し当てる。両目ともしっかり開く。右足は、反動を受けるために膝をグッと後ろに引く。
火縄にはしっかり火が入っていて、余った部分は右手の手首に巻いてある。

現代のアメリカ射撃競技サイトで解説されている「膝を立ててライフルを構える時の姿勢」そのまんま。
お付きの童女は、予備の火縄が消えないように吹いていて、その足元には早合・薬入れ・鉛弾などが、今まさに作業しているところですとばかりに、投げ出されている。
絵のネタは冗談なのに、描写はガチ本気。本気もいいトコ。

戯画図巻 狩野探幽(賭けカルタ)

観音様、こっちじゃ賭けカルタやってるし。
観音様だけじゃない、文殊菩薩も孔子様も、展覧会でトップを飾っていた神農も、一緒に賭けグルイしている。
左端で、巻き上げた銭を差すヒモを編んでいるのが、胴元の閻魔様。
賭けカルタと説明にはあったけど、この札の柄とかみると、コレって、手本引きッポイような……
手本引きというのは、サイコロなんかよりもずっと本格的な博打で、昭和の頃は、その道具を持ってるだけで賭博罪で逮捕されたなんて話も、どこぞのサイトに載っていました。

……探幽さん、観音様だの孔子様だのに、いったい何をさせているんですか。
ただ、手本引きが行われていた記録があるのは、実際には明治からだそうで、江戸時代にあったかどうかは未確認。

それにしても賭け事の胴元が閻魔様って、適役すぎですね。

読み始めると止まらない国芳。

こういう昔の絵を「読み解く」というのは面白くって、ついつい時間を忘れてしまいます。
浮世絵となると、そういう絵を読む楽しみを、自覚的に盛り込んでくる。遊女の絵が禁じられたからと、登場人物を、全部スズメにする歌川国芳なんか、その最たるもの。

里すゝめねぐらの仮宿(右側)

右上の大きな提灯に描かれた紋は竹の輪に笹。
「梅に鶯、松に鶴。竹に雀、柳に燕」なんて慣用句があるくらい、雀といえば笹竹なので、笹や竹の意匠が、この絵には頻出します。右上の格子の奥に立っている、スズメ頭の花魁の打掛の柄も笹ですね。

里すゝめねぐらの仮宿(左側)

左下の、台屋の雀が来ている法被の襟に描かれているのは「チウチウ」の文字かな?
チュウチュウといえば鼠だけど、雀の鳴き声でもある。

うつくしきもの(中略)雀の子の、鼠鳴きするに踊りくる。

清少納言『枕草子』

その台屋の雀が頭に乗せて運んでいる台の、さらに上にいる雀は、やはり笹の柄で染め尽くした羽織姿である。
背中の「渡」の字は何だろう? 右側にも「渡」の字入りの羽織の雀がいたけど……谷渡りするのは鶯だしなあ。
さてその隣、手拭いを被った雀の羽織は文字尽くしだけど、あからさまに「すゝめ」の大きな文字が入っている。
真ん中あたりには、笹の家紋の黒紋付姿の雀。その隣、扇を顔の前にかざしている雀の背には「百」の文字。この「百」
はもちろん「スズメ百まで踊り忘れず」の諺からだろう。

現代にまで連なる感性。

グッと時代が近くなる。昭和二十五年に、当時の徳川美術館に勤務していた桜井清香が、大正七年の米騒動を題材として描いた絵巻物。
米を手に入れようと並んでいる人々。
この昭和二十五年も米価が高騰していて、年末には池田隼人蔵相(当時)の発言として「貧乏人は麦を喰え」という見出しが新聞に載ったとか。
朝鮮戦争は始まるし、金閣寺は燃やされるし、色々と大変な年だったようです。

米騒動絵巻(右部分)

それでも、並んでいる人々の様子とか、乳母車とか、あんまり暗くないのは、名古屋特有の暢気さなのかしら。
「買ってかへるものゝ得意」
「よーけならんどるなー」
セリフものんびりしています。

米騒動絵巻(左部分)

乳母車をブンブン走らせて、中の坊やが大喜びしてる。
そんな風景も、ずいぶん楽天的。
なんだか、横山隆一『フクちゃん』の一コマみたいである。

色々と個性的な、あるいはアヴァンギャルドな表現は、これから漫画へ、アニメへ、インターネットへと広がっていくのでした。


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