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【毎日投稿204日目】映画評『サンセット・サンライズ』ーー「震災疲れ」にそっと距離を取る映画

正直に言うと、これは「震災の映画」ではない

まず最初に、誤解を恐れずに言っておきたい。
**サンセット・サンライズ**は、
いわゆる「震災を描いた映画」ではない。

津波の惨状が前面に描かれるわけでもない。
被災の苦しみや復興の尊さを正面から語る映画でもない。

けれどこの映画は、
東日本大震災以後の“空気”を、極めて正確に共有している映画だと思った。

描いているのは震災そのものではなく、
震災から十数年を経た社会に、いつの間にか漂うようになった
「ある種の疲労感」だ。


「善意」が空気になった時代の息苦しさ

震災以降、私たちは明らかに変わった。

  • 被災地のために何かできないか

  • 人の幸せとは何かを考えるべきだ

  • 誰かのために生きることは尊い

  • 次の世代のために、今の私たちができることとは

こうした価値観自体が間違っているとは思わない。
むしろ、とてもまっとうで、誠実で、美しい考え方だ。

ただ、この映画が静かに示しているのは、
それらが「善意」から「空気」へと変わってしまった瞬間の、居心地の悪さだと思う。

「そう考えるのが正しいよね」
「そう振る舞うべきだよね」
「それができないのは、どこか欠けているよね」

そんな無言の圧力が、
善意の顔をして社会に広がっていった。


この映画は「正解」を探すことをやめさせる

『サンセット・サンライズ』が面白いのは、
その息苦しさを真正面から否定しないところにある。

声高に社会を批判するわけでもない。
説教臭く「正しさを疑え」と言うわけでもない。

代わりに、
少しシニカルで、少しふざけたテンポで、
こんな声が聞こえてくる。

「いや、正解なんて無いでしょ」
「みんな、ちょっと考えすぎじゃない?」
「誰かのための正解を探す前に、
 自分が楽しいと思うことをやってみれば?」

この距離感が、この映画の最大の誠実さだと思う。


震災、そしてコロナ禍を経た“反動”としての映画

震災後に生まれた「正しさの模索」は、
コロナ禍によって一気に加速した。

何が正しい行動か。
何が配慮で、何が不謹慎か。
どこまでが自由で、どこからが迷惑か。

社会全体が
「正解を外したくない」空気に包まれていた時代。

この映画は、その真っただ中では作れなかったと思う。
不謹慎だと言われただろうし、
空気を読めと言われただろう。

だからこそこれは、
あの時代を少し過ぎた今だからこそ生まれた、遅れてきたカウンターなのだと思う。


「自分勝手でいい」という、静かな肯定

この映画は、
「誰かのために生きるな」とは言わない。

ただ順序を、そっと入れ替える。

誰かの幸せを考える前に、
まず自分が何をしたら幸せなのかを考えてみる。

自分が楽しいと思える場所に身を置く。
自分が心地いい距離で、人と関わる。

それが結果的に、
誰かを傷つけない生き方につながることもある。

そんな当たり前のようで、言いづらくなっていた感覚を、
この映画は軽やかに肯定している。


終わりに

『サンセット・サンライズ』は、
希望を声高に語る映画ではない。
再生を押しつける映画でもない。

ただ、
「正しさに疲れた人間が、少し肩の力を抜くための映画」だと思った。

震災を忘れろとも言わない。
誰かを思うなとも言わない。

ただ、
「もう少し自分勝手に生きてもいいんじゃない?」
と、夕暮れ時みたいなトーンで語りかけてくる。

その距離感こそが、
この映画のいちばんの優しさなのかもしれない。

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