見出し画像

写真はあるのに、思い出が薄い人。


映える写真を残すことに夢中になるほど、その瞬間を味わう時間が薄くなることがある。

旅先で、料理が運ばれてくる。

湯気が立っている。
香りもいい。
目の前の人も、少し嬉しそうな顔をしている。

けれど、食べる前にまずスマホを構える。

角度を変える。
明るさを見る。
もう少し寄る。
背景に余計なものが入らないようにする。

その間に、料理の温度は少し下がる。
会話の流れも、少し止まる。

もちろん、写真を撮ることが悪いわけではない。

旅の記録は楽しい。
後で見返せば、その時の気分を思い出すこともある。
大切な人との時間を、形に残したくなる気持ちも分かる。

ただ、最近は残すことに一生懸命になりすぎて、味わうことが後回しになっている場面をよく見る。

綺麗な景色を見た瞬間、まず感動する前に構図を探す。
海の音を聞く前に、動画を回す。
家族や友人との会話より先に、「いい感じに撮れたか」を確認する。

そして、旅から帰ってくる。

写真はたくさんある。
スマホの中には、綺麗な一枚が何枚も残っている。

でも、その時どんな風が吹いていたか。
隣にいた人が何を言って笑ったのか。
最初の一口を食べた時、どんな気持ちになったのか。

そこが少し曖昧になっていることがある。

写真は、思い出そのものではない。

思い出の入口である。

本当に残るのは、画面の中の景色だけではない。

その場にいた自分の感覚。
相手の声。
待っている時間。
思い通りにいかなかった小さな出来事。
予定外に笑った瞬間。

そういうものが重なって、旅の記憶になる。

映える一枚を撮ることに必死になると、旅が「体験」ではなく「素材」になってしまう。

これは、少し寂しい。

人に見せるための写真は残っている。
でも、自分の中に残る時間が薄くなる。

本当に豊かな人は、撮る前にちゃんと見る。

料理が来たら、まず香りを感じる。
景色の前では、少し黙る。
一緒にいる人の表情を見てから、スマホを出す。

その数秒があるだけで、写真の意味は変わる。

残すために撮るのではなく、味わった後に少し残す。

それくらいが、ちょうどいいのかもしれない。

写真はあるのに、思い出が薄い人。

それは、今の時代の少し切ないあるあるだと思う。

せっかくなら、映える旅より、帰ってから何度も思い出したくなる旅をしたい。

写真を見なくても、ふと思い出せる時間。

それが、本当の思い出なのだと思う。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集