「サルに恋する5秒前」9「さささささっくん🎵」
くるみはあおいから誘われ、昼休みに外のお店でランチした。

「くるみん、カッキーと別れたの?」
「カッキーに聞いたの?」
「彼は言わないけど電話で泣いちゃったことがあったのね。心配でお菓子を持って行ったの」
「あおいさんの大切なお友達なのに傷つけてごめんね」
「仕方ないわ。恋って突然始まり、突然終わるものでしょ?」
くるみは驚いた。あおいがそんなことを言うとは思わなかった。
あおいは過去の恋を語った。
「大学生の時に彼氏がいたの。同じ大学の上級生で三年つき合ったの。彼が会社勤めして、仕事が忙しいって言われて、デートの回数が減って距離を置かれたのね」
「…」
「しばらくして別れを切り出されたんだけど、会わないうちに自分の気持ちも冷めたから冷静でいられたの」
「…」
「さとるんは今そんな感じなのかなあって思って」
「……」
「コンクールに専念したいから、しばらく会えないって言われたの」
「……」
「前にさとるんに話したの。さっきの彼のこと。距離を置かれて冷静になったから、深く悲しまずにすんだのよって」
くるみも悟流と会っていない。
酔いつぶれて泊まった朝、キスしたのが最後だ。
態度をはっきりさせるのは、コンクールの後まで待って欲しいと言われている。
自惚れでなかったら、悟流はあおいと別れるため、そして、あおいが深く傷つかないように距離を置いているのだろうか?
「カッキーに相談したの。さとるん、他に好きな人ができたのかなあって」
「…」
「そしたらカッキー不機嫌になって、俺なんかに電話する暇があったら、しっかり悟流の心を繋ぎ止めろ。もう俺のとこ電話してくんなって言われちゃったの」
「…」
「それでね、気になって仕方ないの」
「何が?」
「カッキーのこと。さとるんと会えない淋しさより、カッキーに電話するなって言われた淋しさのほうが大きいの。不思議なんだけど」
くるみにはわかった。
あおいに自覚が無さそうだけど、カッキーを好きになっているのだと。
「ねえ、くるみん。今日家に来ない?」
✨✨✨
勤務終了後、くるみはあおいのマンションに招かれた。
「さあ、くるみんあがって」
くるみが玄関に足を踏み入れると、悟流と鉢合わせした。
「え、さとるん来てたの」
あおいがびっくりすると、姉の緑子が来た。
「木登りのモデルで膝すりむいちゃったら、悟流が送ってくれてご飯つくってくれたの。コンクールの絵を描くから帰るって」
「えっ、ご飯くらい食べてってよ」
あおいが悟流を複雑な表情で睨んだ。
くるみは心臓がドキンとした。
悟流が困っていると、
「つかまえた」緑子が彼の腕をつかんで引き戻した。
四人で悟流のつくったご飯を食べた。
悟流はくるみを見ないし、あおいにもあまり話さない。
あおいが場の空気を変えるように明るく言った。
「そうだ。ご飯の後、くるみんのファッションショーをやりましょう」
え?とみんな、びっくりした。
✨✨✨
くるみはあおいの部屋に招かれた。
3着ワンピースが置いてある。
あおいは左の服から1,2,3と番号を振った。
「1番はミントグリーンのワンピース。爽やかでしょう?」
鏡の前にくるみを連れて行って服を当てた。
緑子が突然、鏡に割り込んだ。
「あらあら? この子、グリーンが似合わないわ」
「何言ってるの、お姉ちゃん。似合うじゃない」
緑子はミントグリーンのワンピースを自分に引き寄せ、「こっちの方がずっと似合うわ」
と2番の水色のワンピースをくるみに当てた。
「このライトブルーは大人っぽいデザインで、確かにくるみん、いつもと印象が全然違って見えるわね」
あおいも同調した。
緑子は嬉しそうにミントグリーンのワンピースを後ろに隠した。
「3番もくるみんが着ると可愛いと思うの。小花柄のピンクが愛らしいでしょう?」
「似合う似合う。2番も3番も! 1番は全然似合わない」
緑子はミントグリーンを自分の胸に当て、歌うように言った。
あおいは緑子からミントグリーンを奪った。
「くるみん、これ着てみて」
「ええ? 似合わないのに着る意味ないでしょ?」
緑子が取り返そうとするが、
「画家の意見を聞いてみないと」
あおいはくるみを着替えさせた。
緑子は悟流のところへ飛んで行った。
「悟流。頼みがあるの。ミントグリーンは『てんでだめ』って言って」
「え?」
悟流は何のことやらさっぱりだ。
「いい?『てんでだめ』。2番と3番は褒めちぎってね」
ミントグリーンのワンピースを着せたくるみを連れて、あおいが来た。
「さとるん。画家の意見を聞かせて。似合う?」
緑子はA4のコピー用紙にマジックで「てんでだめ」と大きく書いて、あおいの死角からカンペみたいに掲げて悟流に見せた。
悟流は緑子の意図を理解したが、
「てんでだめ」の言葉が変てこに強すぎて笑ってしまった。
緑子は「てんでだめ」と口を動かして必死に伝えてくる。
「てんでだめ、かなあ?」
悟流は笑いをこらえて言った。
「え、そうなの?」
あおいはくるみを連れて奥へ戻った。
緑子は大喜びで悟流に抱きついて、
「ありがとう、我が弟よ」
と、ほっぺにちゅーした。
悟流はかゆそうにした。
あおいが水色の大人っぽいワンピースを着せたくるみを連れて来た。
悟流は息をのんだ。
今まで見たことがないような大人っぽい雰囲気のくるみに、新たな魅力を感じたのだ。

悟流はドキドキしながら、くるみと目を合わせないようにして言った。
「この服が一番似合うと思う」
「まだ3番の服を見てないでしょう?」
あおいが言うと、
「この服より素敵なのは無いよ。じゃあね、あおいちゃん」
と帰って行った。
「本当に避けられているみたい」
あおいは溜息ついた。
「くるみん、どうする? 私は3番のピンクが似合うと思うけど」
くるみは複雑な感情を抱えながら、あおいに言った。
「水色のワンピースをください」
くるみはその時、言葉の意味を重く深く感じた。
悟流がすごく気に入って、くるみに似合うと言ったあおいのワンピースを「ください」と言ったのだ。
何も気付いていないあおいを見つめ、くるみは息が苦しくなった。
「いいわよ。着て帰ったら」
あおいは微笑んで言ってくれた。
✨✨✨
悟流から、くるみへの電話はしばらく無かった。
距離を置いているあおいに対して罪悪感があるのかもしれない。
くるみは自分から電話した。
あおいがカッキーに恋し始めていることを確信したので(あおいに自覚が無いので悟流に言うつもりは無いが)、悟流ほど罪悪感は無い。

「もしもし悟流さん」
「くるみちゃん。電話できなくてごめん」
「鈴村くんは裸体画を了解してくれたの?」
「まだ鈴村くんに頼んでないんだ。将棋の勉強してる」
「え、将棋の勉強?」
「鈴村くんに熱意を見せたい。彼に一度も飛車落ちで勝ったことが無いから、勝って勢いを得て頼みたいんだ」
「そうなのね」
くるみは鈴村朔に電話した。
「もしもし、さっくん」
「え、くるみ、どうしたの」
「将棋教えて欲しいの。飛車落ちで」
「いいよ。いつがいい?」
「なるべく早く教わりたいの」
「明日の土曜日、こないだの公園でいい?」
「ありがとう!」
✨✨✨
土曜日がきて、鈴村朔はくるみに会えると思ったら、一時間も早く公園に来てしまった。
会うまでの時間を公園のグリーンシャワーを浴びながら、ぶらぶら歩くのは好ましく有意義だった。
薔薇園に早咲きの薔薇が咲いている。
鈴村朔は花の中で薔薇が一番好きだ。女王の風格とプリンセスの清純さの両方を備えた魅惑的な花だ。
様々な種類の薔薇を眺めて歩き、30分前に待ち合わせ場所へ行くと、ギターを背負ったくるみが大荷物を抱えて走ってきた。
「さっくん、お待たせ」
「お待たせって、まだ30分前だよ」
「教えてもらうから早く来たけど、ああ、さっくんより遅かったぁ」
くるみは走ったので、はあはあ息をしている。
あおいが3番のピンクの小花柄のワンピースもくれたので着てきた。
お洒落したくるみは、鈴村朔にはいつにも増して愛らしく見えた。
「なんでギター? こんな大荷物なら将棋盤持って来たのに」
「さっくんの将棋盤、おにぎりで汚したらいけないから」
「また、おにぎり握ってきてくれたんだ」
「鮭のおにぎり好きでしょう?」
「うん」

「まずはライブ聴いてくれる?」
くるみは鈴村朔を木の下に立たせた。
「さっくんのために歌をつくったの」
「え」
鈴村朔はラブソングかと思ってドキドキしたが、そんなわけはないことを胸に刻んだ。
「歌のタイトルは?」

「飛車のさっくん、龍に成る」🎵
くるみはギターを鳴らして綺麗な声で歌った。
さっくん
あなたは飛車です
言ってくれたよね?
俺はくるみの飛車になる
飛車になる?
どういう意味?
わかんないけど 素敵な響き
飛車のように将棋が強い
美しい美しい
くるみより美しい
飛車が成ったら無敵
さっくんが成ったら?
成ったら、どうなる?
どう成るの?
むてき
あなたはむてき
美しい美しい
くるみより美しい
飛車が成ったら龍になる
さっくんが成ったら龍になる
さささささっくん
龍になる
龍王になる
さささささっくん🎵

くるみはジャーンとギターを鳴らして歌い終わって余韻に浸った。
くるみが目を開けると、鈴村朔はお腹を抱えて笑っていた。
「え、なんで笑うの? どこかおかしい?」
「ぜんぶ」
鈴村朔は笑いが止まらない。
「ひー飛車のように将棋が強いって、バットのように野球が上手いってこと?」
「あれ? 変かな?」
「美しい美しい、くるみより美しいってなんだよ」
「だって、そうなんだもん」
「さささささっくんって」
鈴村朔は笑いが止まらない。
くるみはふくれた。
「せっかく、さっくんを思いながらつくったのに」
「え、俺を思いながら?」
「さっくんへの感謝の気持ち」
くるみは鈴村朔を真剣に見つめた。
鈴村朔はふいに自分がなんて愚かなもったいないことをしちゃったんだろうと思った。
笑わないで真剣に聴けば良かった。
もう一度聴きたい。
「薔薇園の薔薇を見に行かないか?」
くるみを誘ってみると、
「わあ見たい。花の中で薔薇が一番好きなの」と喜んだ。
くるみとは読書も将棋も、いろいろ趣味が合うと思った。

鈴村朔はギターと将棋盤を持ってやり、くるみと薔薇園に行った。
くるみは蝶のように、気に入った薔薇の匂いをかいで、「これは香水の匂い。こっちはティー(紅茶)」と楽しそうにした。
鈴村朔も時折、くるみと薔薇の匂いを共有した。




美しい薔薇のアーチがあり、鈴村朔はスマホを写真モードにした。
「さっくん、撮ってあげようか?」
くるみに聞かれて返答に困ると、
「一緒に撮る?」
と言ってくれて、アーチの前でツーショットで写真を撮った。
薔薇のおかげで思いがけず好きな人とデートのような時間を過ごすことができ、鈴村朔は心が満たされた。




薔薇の観賞を終えて、二人はさっきの場所へ戻った。
くるみがおにぎりと、用意してきた飲み物を渡してくれた。
くるみのつくった鮭のおにぎりは不格好だったが、鈴村朔にはとても美味しかった。
将棋の時間となり、くるみに頼まれた飛車落ちを教えた。
くるみはメモを取ったり盤上をスマホで写真を撮ったりして真剣に習った。
将棋の授業が終わると、空は赤く染まっていた。
「ありがとう。帰ろう、さっくん」
くるみの頬が空の赤が染みたせいかピンク色に染まっていた。
鈴村朔はくるみの前に進み出た。
「さっきの歌、もう一度聴かせて」
「笑うくせに」
「笑わない」
鈴村朔はたった一人の観客として、木の前に立った。
くるみは赤く染まる空を背負ってギターを弾いた。
鈴村朔は「飛車のように将棋が強い」も「美しい美しい くるみより美しい」も「さささささっくん」もさっきと違う詩の音色に聴こえて心に染みた。
綺麗な声をまとって歌うくるみを、恋を秘めて見つめた。
さささささっくん🎵
✨✨✨
くるみは悟流と将棋カフェで待ち合わせした。
鈴村朔から教わった飛車落ち勝利のコツを、悟流に伝授したいと思った。
服を決める時、悟流が褒めてくれた水色のワンピース姿を見て欲しい気持ちがあった。
でも水色のワンピースはあおいに貰ったものだ。
そこに罪悪感や葛藤があった。
一時間も悩んだが、水色のワンピースを着て行きたい気持ちが勝った。
その気持ちを押ししたのは、デートじゃないよね?ってこと。
将棋をするだけだ。
ギターを背負って将棋カフェに入ると、席にいた悟流はくるみを眩しく見つめた。
でも罪悪感があるのか、水色のワンピースを褒めなかった。
そしてギターへ視線を逃した。
「サルに恋する5秒前を歌ってくれるの?」
「歌って欲しいかなぁって思って」
くるみは鈴村朔に教わった飛車落ち勝利のコツを、悟流に教えた。
「この変化が上手は一番困るって、さっくんが言ってた」
「え、さっくんって呼んでるの?」
「二人の時は呼んでもいいって言ってくれたの」
悟流は嫉妬の衝動を感じながら、鈴村朔が自分のアパートに押し掛けてきた日の言葉を思い出した。
「彼女ができたら二人の時は、さっくんって呼んで欲しい」
彼はくるみのことを好きなのかもしれない、と悟流は思った。
✨✨✨
将棋の後、野外ライブをするため公園へ行った。
水色のワンピースの裾を風に翻すくるみは、普段のイメージがくるりと代わって大人の魅力があった。
たった一人の観客、悟流のために、くるみは彼の前のステージに立った。
「コンクールで優勝して欲しくて、情熱的な曲調で作曲しました」
くるみは愛を込めて「サルに恋する5秒前」を歌った。ギターを鳴らして。



悟流は感動していた。
くるみを抱きしめたい衝動を、必死におさえた。
「サビのシャウトがすごくて心が震えた。情熱もらいました」
「情熱あげました」
くるみは微笑んだ。
「この間のポップで可愛いサルに恋する5秒前も聴きたいな」
「歌うね」
曲調によって、くるみはいろんな表情や表現を持っている、と悟流は聞き惚れた。


✨✨✨

悟流が家に帰ると、カッキーがバイクを止めて待っていた。
よっ!とカッキーは気まずそうに笑った。



「くるみんにふられた。悟流のせいでひどい目にあったわ」
悟流は親友に頭を下げた。
「恋は思うようにいかんもんやからしゃーなし。まだ諦めてないしな。話したいし飯でもおごれ」
悟流は頷いて、「ちょっと待ってて。画廊に電話しないと」
と部屋へ行くと、
「コーヒー飲ませて」
カッキーがついてきた。
悟流が画廊へ電話すると、描き上げた絵を至急持ってきて欲しいという話だった。
「チャリで行ってくる」
「商談か? ゆっくり決めてこい」
悟流がいなくなった後、カッキーはよく知る親友の家の押し入れから座布団を出して、寝っ転がって鼻歌を歌った。
手持ち無沙汰になり、絵を描く部屋に入った。
コンクールの絵に専念して会ってくれないと言ったあおいの言葉を思い出した。
勝手に覗いたらいけないとは思いつつ、ライバルの親友が、どんな裸体画を描いているのか興味がわきあがってきた。
自分の方はというと、ヌードモデルを雇って描いたものの、全く情熱がわかず筆が進まない。
情熱がわかないと描けないなんて、まるで木山悟流だな、と柿本潤平は苦笑した。
悟流は情熱がわいたのだろうか?
柿本潤平は興味を隠せなくなった。
絵が何枚も部屋の隅に置かれている。
長い付き合いで柿本潤平は知っていた。
悟流は一番大切な絵を、一番奥に置くことを。
柿本潤平は一番奥の絵を見た。
その瞬間、柿本潤平は恋が、まだ心の真ん中に燃え続けている恋の色彩が、一瞬でモノクロに変わるのを感じた。
くるみの裸体画だった。
豊満な乳房が画の真ん中に描かれ、あどけない顔つきのくるみが、こちらを情熱溢れる目で見つめていた。
裸体画のモデルがくるみだったという衝撃に打ちのめされ、その絵がコンクールの一番上の賞を取るに相応しい素晴らしい絵で、悟流の類い希な才能を突きつけられ、柿本潤平は震えが止まらなくなった。
恋する男としての嫉妬と、画家としての嫉妬の二つの感情が心を打ち砕いた。
柿本潤平は咆哮を上げた。
恋人ごっこを打ち明けられたあの日、さんざん泣いたから涙は一滴も残っていない。
柿本潤平は空っぽになった心と体を持て余し、しばらく立ちつくしていた。
それから、自分の嫉妬でどす黒く塗られたこの部屋を静かに後にした。
バイクで来たことも忘れ、柿本潤平は虚ろになり歩き去った。
✨✨✨
悟流が家に戻ると、バイクを残したままカッキーの姿は無かった。
絵を描く部屋に入ると、一番奥の絵がずれていた。
カッキーはくるみの裸体画を見たのだろう。
こうなる日が来ると予期していたが、カッキーの哀しさと痛みを思うと、そして親友を失った自分の哀しさと痛みを感じ、悟流は自然と涙が溢れた。
✨✨✨
くるみの「さささささっくん🎵」を聴いた翌週の休日、鈴村朔は木山悟流に将棋の対戦を申し込まれた。
飛車落ちで勝ったら頼みを聞いて欲しいと言う。真剣な表情だ。
二人は公園で青空将棋の盤を挟んで座った。
「飛車落ちじゃ負けないけどね。頼みって何?」
「勝ったら言う」
「後出しで頼み事されてもきかないよ。先に言わないと」
「先には言えない」
「何で」
「断られるから」
「断られると思うような頼み事、後出しできくと思う?」
「俺はこの頼み事に人生を賭けてる。鈴村朔にわかってもらうために、勝負を挑んでるんだ。君に一度も勝ったことのない飛車落ちで絶対に勝つ」
木山悟流の目にはサルに似つかわしくない凄みがあった。
「真剣なのは理解した。でも飛車落ちでは負けないし、万が一負けたとしても頼み事を俺はきっと断る。それでいいか?」
「頼み事を受けるのも断るのも君の自由だ」
「よし。勝負を承った」
木山悟流は深呼吸した。
絶対に勝たなければらない。
くるみの裸体画をコンクールに出して点数をつけられたくない。
カッキーをこれ以上、傷つけたくない。
東大将棋部主将だった鈴村朔と、亡くなった祖父と公園で青空将棋を指した木山悟流の対戦だ。
鈴村朔が自分の飛車の駒を、駒箱にしまった。
指していくうち、鈴村朔は気づいた。
くるみに教えた飛車落ちの変化を木山悟流がしている。
くるみが伝授したのだろう。
鈴村朔はそれに乗らず、くるみに教えてない仕掛けで木山悟流を試していった。
木山悟流はよほど勉強してきたらしく、珍しい変化についてきて、飛車落ちのアドバンテージをキープしたまま駒をさばいてきた。
彼が物凄く強くなっているのがわかり、鈴村朔は姿勢を正した。
二人は時には長考しながら、一手もゆるまず集中して指した。
鈴村朔は木山悟流の飛車を奪うため、手持ちの銀の駒を二つ敵陣に使い攻めた。
悟流は飛車を逃げず、飛車を取らせている間に先手を取り、絶妙な手を放ってきた。
終盤までどっちに転ぶかわからない緊迫したやりとりが続き、自玉が詰まないと見切った悟流は、鈴村朔に王手を連続し、飛車落ちの初勝利をあげた。
木山悟流はよっしゃ!と声を上げた。
飛車落ちで負けるはずないと思っていた鈴村朔は放心した。
木山悟流は鈴村朔の前に土下座した。
「鈴村朔さま。君にお願いがあります! 水着を脱いでください!」
「は?」
「海で描いた鈴村朔の水着の絵を、裸体画のコンクールに出したい。水着を着てない素っ裸の君を描きたい。というか既に描いた! コンクールの一番上の賞を取る自信がある!」
「ちょっと待てよ。水着を着てない俺を勝手に描いたってこと?!」
「了解を得るために飛車落ちで勝ったんだ」
「断る!」
鈴村朔はきっぱり言った。
「悟流さんがそのコンクールにどれだけ人生を賭けてるか知らないけど、俺には無関係だ。俺が無名の画家のサルの前で、海で素っ裸のモデルになった変態みたいに思われる」
「一番上の賞を取れば製作過程を話す機会があるので、水着を着ていたと話して君の名誉を守る。俺が賞をとれば君に芸術の先見の明があることが証明される」
「一番上の賞をとらなかったら話す機会がないってこと? 俺はサルの前で海でヌードになった変態野郎になるってこと?」
「俺が鈴村朔を描くんだ。一番上の賞をとらないなんてあり得ない! 飛車の駒を持った素っ裸の鈴村朔を描かせてくれ。頼む!」
「画家としての木山悟流の才能は認めるし、俺は無鉄砲な男だけど、これはリスクが大きすぎる。なんのために努力して真っ当に生きてきたと思ってるんだ。断る!」
木山悟流は深くため息ついた。
「悟流さん。モデルがいなくて必死なのはわかるが、絶対に嫌だ!」
「他にもう一人、候補はいるんだ。彼女のヌードも一番上の賞を取るに相応しく描く自信はある」
「それならその女性に頼めばいい」
「わかった。くるみちゃんに頼むしかないな」
木山悟流は将棋の駒を片付けた。
「くるみ?」
鈴村朔は驚いた。

「くるみちゃんは了承している。裸体画のモデルになって、コンクールに出すことを」
木山悟流は将棋盤を持って立ち上がった。
帰ろうとする木山悟流を、鈴村朔は呼び止めた。
「ちょっと待った!」
木山悟流は振り向いた。
「5分考えさせてくれ」
「5秒じゃなくて?」
1,2,3,4,5
「許可する! 俺の裸体画をコンクールに出せばいい!」
鈴村朔は5秒で決断した。
木山悟流は雄叫びをあげ、両手を突き上げて飛び上がった。
「ただし一番上の賞をとって、俺が水着を着ていたことを言えよ! いいか、絶対に一番上の賞をとれ!」
「さっくん。情熱をありがとう!」
木山悟流は鈴村朔に飛びついて、彼をぎゅうっと抱きしめた。
「やめろ離せ!」
振りほどこうとする鈴村朔を、木山悟流は情熱的に抱きしめた。
(10話に続く)
イラストを描いてくださった方々です。


