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芥川龍之介ステーション「春」発「木の上で絵を描くサル」

芥川龍之介「春」に発想を得て、短編小説を書きました。
原作は未完の作品ですが、「春」というタイトルに意味を持たせて創作しました。

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芥川龍之介「春」
勝手ながら私が書いたあらすじ↓

妹の辰子から手紙をもらい、広子は妹の恋愛を知った。
恋愛の相手に篤介(あつすけ)を選んだことは意外だった。
篤介は洋画研究所に通う絵描きで、広子たち姉妹は密かに「猿」とあだ名したほど猿じみた青年だった。顔が赤く妙に目ばかり赫(かがや)かせている。
篤介が人目も気にせず電車でパンをかじり出した時は「野蛮人よ。」と辰子は積極的に憎んでいるように見えた。
しかし辰子は篤介と毎日顔を合わせているうち、いつか彼を愛したのだった。
篤介と会ってほしいと広子は辰子に頼まれた。
表慶館で篤介と待ち合わせた広子は、彼の姿を見た時、とっさに敵意の起こるのを感じた。
広子を見る篤介の顔や態度にたちまち昔の「猿」を感じた。同時にまた気安い軽蔑を感じた。
広子が無言で並んで歩くと、篤介には精神的拷問に等しいらしかった。
広子は彼の苦痛に多少の憐憫(れんびん)と多少の享楽を感じていた。
一緒に歩きながら、広子は篤介の家族や親戚や交友のことを質問した。かなり尋ねにくいことも巧みに話を進めて行った。
「じゃ余りお友達はおありにならないんでございますね?」(未完)

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「木の上で絵を描くサル」みゆ

サルに恋する女の子がいたっていいけど、妹がサルに恋するのは嫌だ。

40歳の緑子にとって、25歳の妹の恋や将来には理想がある。

大手スーパーに勤める緑子は人材管理、マーケティング、仕入れのアイディアなど幅広く自由に働かせてもらっているし、趣味のボウリングでは試合にも出たりする。
父母は亡くなったが、妹のあおいと二人で楽しく暮らしている。

それなりに恋愛はしたけど縁が無かった。
自分の結婚はもう無理かな? しなくてもいいかな?と思っているが、あおいの結婚については関心がある。
ていうか心配。

あおいは美人でしっかり者と思っていたが、数か月前に付き合った相手が妻子持ちだったことがわかった直後、サルに似た絵描きの男にナンパされ、けっこう危なっかしい。

✨✨✨✨✨

会社の春の年度替わりの定例飲み会で、緑子はいつものように緑のワンピースを着て、
「緑子だから緑のワンピースです。」
と名前のおふざけトークを入れつつ、中間の年齢のポジションを考え、ウザくならないよう適度に気を使っていた。

「緑子だから緑のワンピース」も、若い時はミントグリーンを着ていたが、最近はモスグリーンみたいな暗い緑を着るようになった。

たまたま隣の席に鈴村くんが座った。

鈴村はアイドル顔のイケメン二十五歳。
偏差値の高い大学を出て入社3年目、将来の幹部候補という期待の人材だ。

彼女はいないと言うので、緑子が趣味を聞くと、
「引かれると思うけど一人ボウリングです。」
と言うから、びっくりした。緑子と同じだ。
試合にも出ると言う。

緑子はその瞬間、鈴村と自分とあおいの三人でボウリングに行って楽しく遊ぶイメージを、リアルに描いてしまった。

世話焼きねーさんをやりたくないが、鈴村を逃したくなく、緑子はあおいの写真をスマホで「さりげなく」見せた。
鈴村が実家の猫の写真を見せてくれた流れで、可愛い猫ちゃん、実は私にも可愛い妹がいて、という無理矢理な流れだ。

写真を見せながら鈴村の表情を観察した。

あおいを気に入らない男なんているわけないが、上司(緑子)の押し付けはホラー映画より怖い。

すると鈴村の表情が輝くのがわかった。

妹の写真を見せると言った時は、明らかに警戒した表情だった。
平凡な顔つきの緑子の妹だから、それほど可愛くないと思ったのかもしれない。

「二十五歳なの。彼氏もいなくて。」
「可愛い人ですね。」

鈴村は照れたように言い、あおいの写真から目を離さない。
(よっしゃ!)緑子は小さくこぶしを握った。

緑子は鈴村がトイレから戻ってくるところをスマホを見るふりして、素早く隠し撮りした。

あおいに鈴村の写真を見せるためだ。

鈴村は立ち姿も素敵で、恋愛ドラマで主役をやる俳優レベルに格好良いな、と緑子は密かにはしゃいだ。

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「お姉ちゃん、黙っててごめん。彼氏がいるの。」

緑子が鈴村の隠し撮りの写真を見せようとしたところ、どんなにカッコ良いと言っても、あおいは頑なに見ようとせず、彼氏がいると言い出した。

緑子とあおいは気楽に話す関係だ。
妻子持ちに引っかかったことも、絵描きのサルにナンパされたことも聞いている。
なのに、なぜ彼氏ができたことを話さなかったのか?

嫌な予感がした。

「彼氏⋯サルじゃないよね?」

あおいが黙った。目が泳いでいる。

「嘘! だってサルのこと、失礼な奴で頭にくるとか、笑えないお笑い芸人みたいとか、さんざん言ってたじゃん。」

「笑えないお笑い芸人だったのが、楽しい彼氏に格上げしちゃった。」

「見かけがサルそっくりなんだよ?」
「サルそっくりってことはないよ。人間には近いと思う。」

「動物に例えたら?って聞いたら、100人のうち99人があいつのことサルって言うよ。」
「99人は言い過ぎ。中にはチンパンジーとか、オランウータンとか言う人もいるよ。」

「鈴村くんは人気俳優レベルだよ。まだ引き返せる。一度だけ見て。」
「嫌だ。」

緑子はマンションの狭い中をスマホを持ってあおいを追いかけた。
あおいは逃げた。絶対に写真を見ないという強い意志を感じた。

(よりにもよって因縁のサルと。)
緑子は力が抜けてしゃがみこんだ。

緑子とサルは一悶着あったのだ。

「お姉ちゃん、お願い。先入観なく、もう一度彼と会って!」
あおいが頼んできた。

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サルとの出会いを話そう。

まず、緑子があおいから聞いた話だ。

あおいは会社帰り、いつも公園を抜けて駅へ出る。
その方が気分が良いと言う。

数か月前、あおいは大阪支社から期間限定で異動になっていた男と、恋に落ちた。
その男の名前はもういい。
妻子持ちを隠していたロクデナシだ。

その男が大阪支社に戻る前日、あおいは彼と公園を歩いた。

公園の一番の大木の下、男は実は妻子持ちだということを告白し、あおいを残して逃げるように去った。

びっくりしたあおいが追いかけようとすると、大木の上から、スケッチブックを抱えたサルが飛び降りてきた。

「ドンマイ」サルは言った。

突然、不倫していたことが知らされ、飛び降りてきたサルがドンマイと言ったのだ。
あおいは何がなんだかわからなかった。

「ドンマイはさ、人生で誰でもたくさんあるよ。今は単なるドンマイ。」

サルはあおいの前に靴で線を引いた。

「でもここから先、踏み出すならドンマイじゃすまないよ。共犯だ。」

「あなた、誰なの?」

「通りすがりの絵描き。」

サルはスケッチブックを見せた。
さっきの男が大きなあくびをしている絵が描いてある。

「俺さ、木の上から見てたんだ。あんたたちが歩いてくるの。男はあんな話をする前なのに、ほら、この通り大あくび。」

「⋯嘘よ。」

「嘘じゃないよ。信じなくてもいいけど、どっちみち不倫は確定でしょ?」

失礼な物言いをされて、あおいは頭にきて歩き去った。

「ドンマーイ!」

振り返ると、サルがスケッチブックを持ってするすると大木を登っていった。

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この話を「ムカつく」とあおいは緑子に話した。

誰にムカつくのか聞くと「サル!」と答えた。

確かに無関係なのに割り込んできて、不倫男が大あくびした絵を描いて見せたり、ドンマイとからかうのはムカつくだろう。
しかし、原因をつくった妻子持ちを隠した大阪支社の男にはムカつかないのか?

その疑問を振ってみると、
「妻子持ちって聞いたら興味無くしたから、もう存在を消去した。大阪支社の男は存在してない。ムカつく対象外。」とあおいは言う。

この話を突き詰めると、サルはムカつく対象で、興味があるということになるので、緑子は「へえ。」と打ち切った。

しかし翌日も、またその翌日も、あおいからサルの話が続くのだ。

会社帰り、公園を通ったあおいの前に、またスケッチブックを抱えたサルが大木から飛び降りてきて言った。
「サルに恋する5秒前♪」

サルは1.2.3.4.5と英語でリズムに乗って、ぱっとスケッチブックを見せた。

サルがひざまずいて花束を差し出す絵が描いてある。

あおいがキョトンとしていると、現実のサルが芝生にひざまずいて歌った。

「サルに恋しちゃいそうな約束の5秒前♪」

サルは隠していた花一輪をあおいに差し出した。

ちなみにその花は家の一輪挿しに飾られた。
あおいがムカつくと言いながら飾ったのだ。

「全くなんなの? サルに恋する5秒前って。サルに5秒で恋するかっての。」

「広末涼子のマジに恋する5秒前の歌をモジッているのでは?」と緑子が言うと、

「知らないよ。世代じゃないもん。」
「サルは世代なの? おっさん?」
「27歳だって。」
「なんで年まで知ってるの!」

あおいは微妙な感じで笑ってごまかした。

これはヤバいと緑子は思った。

妻子持ちの次にサルにひっかかったらヤバすぎる!

✨✨✨♥️✨♥️✨

サルに恋する5秒前の翌日、緑子は仕事が休みだったので例の公園に行ってみた。

大木の上に登り、スケッチブックに絵を描いている男を見つけた。
ほぼイメージ通りのサルだった。

緑子が近づいてジーッと睨んでいると、サルがするすると木から降りてきた。

「あおいちゃんのお母さん?」サルは聞いた。

「違うわよ。何で?」

「目もとがそっくりで、俺を睨むから。」

サルは緑子をあおいの母だと思ったのだ。

美人のあおいと目もとがそっくりというのは嬉しいが、十五歳違いでお母さんはひどすぎる。
あおいの名前を知っているのも何気にショックだった。

「あおいの姉です。」緑子はきっぱり訂正した。

「座って話しましょうか?」
サルがカフェにでも誘うように、そのへんの芝生に座った。
「なんか話があるんでしょう?」
サルが自分の隣の芝生をポンと叩いた。

ここに直に座れってか。何も敷かないで。

仕方なく緑子は隣に座った。
今朝降った雨で少し湿っていた。お尻がひんやりする。サルは気にしてないようだ。

隣から顔を覗けば覗くほどサルに似ている。
直近で話した若い男は鈴村なので、その落差にくらくらした。

「失恋したばかりの女の子を毎日待ち伏せってどうなの?」
「待ち伏せかなあ?」
「じゃあなんでいつもここにいるの?」

「理由1、木の上で絵を描くのが好きだから。理由2、あおいちゃんに会いたいから。」

「ほら。待ち伏せじゃない!」

サルは首を傾げた。
「あおいちゃんが避けたいなら、公園を通らなければいいのでは?」

嫌がってないと言いたいのか?
確かにサルから貰った花を飾っていたが。

「あおいちゃんも僕に会いたいんてすよ。」

「はあ?」

サルのくせに自惚れる気か?
緑子が睨みつけると、

「いやいや、そういう意味じゃなくて。僕が描いたあの男の大あくびの絵を見たあおいちゃんは、プライドがすごく傷ついた顔をしたんです。アホなことしちゃったな、と思ったんでしょうね。だから自分よりアホな奴を、毎日仕事帰りにちょこっと見て喋ったら気晴らしになるんじゃないかと。」

あおいは大阪支社の男を消去した、と簡単に言っていたけど、やはり傷ついていたのか。

「じゃあ、おたくはこのドサクサに乗じてあおいをひっかけようとしているわけじゃないの?」

「気をひこうとするなら、もっとカッコよく振る舞いますよ。」

カッコよく振る舞ったところでサルはサルじゃないの?と緑子は思った。

「でも私にもあおいの相手に理想があるから。近づいてほしくない。」
緑子は本音を言った。

「自分の代わりにあおいちゃんに期待しちゃってるとか?」

緑子は急所を突かれたが、切り替えして笑った。
「美女と野獣が恋するのは映画の中だけよ。サルは動物園にお帰り。」

サルは真面目な顔になって言った。
「人間は時として充たされるか充たされないか、わからない欲望のために一生を捧げてしまう。その愚を笑う者は、人生に対する路傍の人に過ぎない。芥川龍之介の小説の言葉なんですけどね。」

「なんなの?」

「お姉さんにはお姉さんの人生がある。あおいちゃんにはあおいちゃんの人生があり、俺には俺の人生がある。あおいちゃんが俺を拒否するのも自由。好きになるのも自由。」

「あおいは好きになったりしないよ。」

緑子は立ち上がって、歩いて行った。
もう話したくない。

しばらく歩くと、サルがぱっと前に現れた。
怒って追いかけて来たのかとギクッとすると、サルはスケッチブックの絵を緑子にくれた。

明るいレモンイエローのワンピースを着た女性が、公園で柔らかく微笑んでいる。
繊細なタッチの美しい絵だ。
顔立ちが緑子に似ている。

これは私?  

「こういう感じだとお姉さんに見えるよ。」

サルは「じゃあね、ねーさん。」と大木へ走って行き、またするするとスケッチブックを持って木の上に登った。

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先入観なくサルと会うようにあおいに頼まれた緑子は、明日、美術館前でサルと待ち合わせすることになった。

もしも願い事が叶うなら、明日が吹っ飛んであさってになってくれないかと切実に思う。

明日が来るのが憂鬱で憂鬱で仕方ない。

「動物園にお帰り」と初対面で捨て台詞を言った相手に、妹の彼氏として対応できるか難題だ。

「あおいの相手に理想があるから近づいてほしくない。」と本音を言い、
「自分の代わりにあおいちゃんに期待しちゃってるとか?」と見透かされ、緑子を人生の路傍の人扱いしてきた因縁の相手だ。

サルの方だって会いたくないだろうに、よく承知したものだ。

緑子の部屋にはまだサルが描いた絵があった。

レモンイエローのワンピースを着た例の絵だ。

ゴキブリを見つけたら、これで叩いてやろうと、絵をくるくるっとポスターのように丸めて輪ゴムをして置いてあった。

改めて開いて見ると、美しい絵だった。

あの時の言い合いも、緑子だけ小学生の口喧嘩みたいだったのが、思い出すと恥ずかしい。

✨✨✨✨✨

明日は何を着ていこう、と緑子は考えた。
またお母さんと言われると腹が立つ。

クローゼットを開けると、春なのに暗い色の服ばかりが並んでいた。

有給休暇を取っていたので、緑子は何となく街に出た。
いつもなら一人でボウリングをして、街などぶらつかず帰るのだが、今日は久しぶりにマイボール、マイシューズを持たず、身軽に歩きながらウインドゥショッピングした。

すると、サルが描いた絵と似たレモンイエローのワンピースがショーウインドゥに飾られていた。
春らしい綺麗な色だ。

デートじゃあるまいし、あのサルと会うためにこれを着るの?

もし着ていったらサルはからかって笑うだろう。

笑われたら、ものすごく失礼な奴だ、と改めてあおいに言ってやればいいか。

だいたいサルは私を描いた絵のことなんて覚えていないだろう、と緑子は思う。

最近太ったし、サイズが合わないかもしれない。

試着だけしようか。
しかし似合わないだろう、とショーウインドゥの前で迷っていると、ショップの女の子が素早く出て来た。
「素敵でしょう? 試着なさいますか?」

「着られないと思うけど。」
「ウエストがゴムなんですよ。」
「そうなの?」

ショップの女の子に招かれて、試着することになってしまった。 

着てみると、あの絵のような華やかさがあった。 

ウエストがゴムでお腹周りが楽に着られる上に、同素材のリボンベルトがついていて、ゴムが隠れるようになっていた。

「すごくお似合いですよ。」
すかさず店員の女の子がほめた。

「もともと着ていらした服の時より、十歳は若く見えます。別人みたいにお綺麗です。」

営業トークだろうが悪い気はしない。
何より緑子自身が鏡に映るこれを着た自分を、普段の自分とは思えず見惚れてしまった。

「このお色は最後の一着です。」と、さらなる一押し。

どんなに高くてもこれは買いたい、と思って値札を見ると、そんなに高くなかった。

明日着るかどうかは別として、なんとしても欲しくなり購入した。

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サルに会う当日となり、緑子はまだ着る服を迷っていた。

気持ちとしてはレモンイエローのワンピースを着たいのだが、サルに見られ、その反応(からかわれるんじゃないか?)を考えると、家にある無難な服にしようかと思う。

しかしお母さんには思われたくない。
店員の女の子に十歳違うと言われたのだ。

そこで、いったんサルと会うということは忘れて、美術館へ行くので美術館主体に考えてみた。

それなら華やかなレモンイエローのワンピースの方が相応しいのでは?

✨✨✨✨✨

待ち合わせの十分前に緑子が行くと、遠目にサルが公園内にある美術館の前に立っているのが見えた。
今日も木に登れそうなカジュアルな服を着ている。

見つからないうち帰ろうかと本気で思ったが、サルが見つけて手を振ってきた。

サルはこっちを見て笑っている。

レモンイエローのワンピースなんて着てこなければ良かった。
今すぐ着替えたくなった。

サルのあの顔は、微笑んでいるのか、からかって笑っているのか判断がつかない。

微笑んでいると解釈すると気持ち悪いので、からかって笑っていると解釈すべきか。

からかって笑っていると解釈すると悔しいので、微笑んでいると解釈すべきか。

緑子はのろのろと笑っているサルの前に行った。

「お久しぶりです。チケットは買ってあります。」サルはペコンとお辞儀した。

「ねーさんをなんて呼んだらいいですか? 俺のことはサルくんでもサルでもいいですが。ねーさんのお名前は?」

緑子はサルに名前を教えたくなかった。
まだ恋人関係だから、ワンチャンあおいと別れる可能性だってある。

「ねーさんでいいわよ。」
「じゃ、ねーさんで。」

サルが緑子を少し離れて観察してくる。

「何よ。」

「思った通りだ。その色すごく似合いますね。」

覚えていたのか。恥ずかしすぎる。

似合うと言われてホイホイ着てきたワンピースで上品にしているのが恥ずかしくなって、緑子は全身でウッキッキーとサルのモノマネした。

サルはびっくりして固まった後、遅れて笑った。

あれ? 意外とノリが悪いな。
「ウッキッキー返し」してくれないとは。
ギャグが滑ったみたいで緑子は余計に恥ずかしい。

「イエローは緑の親戚だから似合うのかもね。」
緑子という名前を教えてないのに、取り繕ってそう言うと、

「緑子だから緑のワンピースですって、いつも言うんでしょ?」
サルが言った。

なんだ、あおいに聞いて私の名前を知っているんじゃないの、と緑子は思う。
知らない素振りで聞いてきて全く食えない奴だ。

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その日、美術館で開催されている展示は、年に数回、美術館に行く緑子が名前を聞いたことがある画家のコレクションだった。

順番に絵を観ていくにあたって、並んだ前の人がものすごく動くのが遅くて、緑子は苛ついた。

するとサルが「順番通り観ていかなくてもいいんですよ。好きな絵から観たり、人が少ない絵から観たり、好きな絵の前では立ち止まったり自由でいいんです。」と言った。

緑子は今いる部屋の中をぐるりと見渡して、サルの言う通り自由に観てまわった。

そのうち心がときめく絵を見つけ、近づいたり離れたりしながら、長くその絵を観た。

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幾つかの部屋をまわり、その画家の展示は観終わった。

緑子が美術館を出ようとすると、サルがなんだかモジモジしている。

「どうしたの?」
美術館にいたんじゃ話せないから、早くどこかへ移動したかった。

「無料の展示もやっているようですよ。」
「もうじゅうぶん観たから、無料のなんていいわよ。」

サルは困ったように、まだモジモジしていた。

「どうせ無名の画家でしょ?」
そう言って、緑子はハッとした。
まさか?

サルが緑子の表情の移ろいに気づいて、照れたように視線を外した。

無料の展示の入り口には、東京都の(美術館のある)区内在住で活躍中の若手画家と書いてあり、名前が5人書いてあった。
この中にサルがいるのか?

緑子はサルを引っ張って、無料展示へと進んだ。

「見てくれるの?」サルは嬉しそうな顔をした。

「今のところ、あおいの彼氏だから、姉としては将来性を見極めないと。」

「怖っ!」
サルはそう言いつつ、浮かれた感じでスキップしながらついて来た。

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無料展示の部屋に入り、どれがサルの絵なのか聞き、そのコーナーへ行った。
十七枚、展示してあるそうだ。

公園で緑子を描いたような繊細なタッチの絵が中心だった。

あおいとそっくりな女性の絵が何枚も展示されていた。
ヌードじゃなくて気まずくならずホッとした。

絵の中のあおいは、緑子の見たことのないような、いろんな表情をしていた。
ドキドキするような多角的な美しさがあった。

すると明らかに絵のタッチが違う五枚の絵があった。

色彩のはっきりしたユーモラスな絵で、「おじさんと洗濯機」と書かれてシリーズになっているようだ。

ハゲ頭のおじさんが洗濯機の中にいろんな衣類を投げ入れるところや、洗濯機めがけて小太りの体で逆立ちをしているところ、洗濯機の横で缶ビールを持って夜空を眺めているところなど、印象的な味わいのある面白い絵だった。

こんな絵も描くんだ、と緑子は「おじさんと洗濯機」シリーズの絵を近づいたり離れたりしながら魅入った。

長く観ていたことに気づいて振り向くと、サルがハゲ頭で小太りのおじさんと並んでニヤニヤしていた。

おじさんが「どーもどーも」と近づいてきて、「この絵のモデル、私なんですよ。」と自慢げに言った。

見ればわかる。絵とそっくりだ。

「こういう者です。」
おじさんに名刺を渡された。
美術館と同じ区内のコインランドリーの名前が書いてある。その経営者だ。

「私、彼のファンでしてね。お願いして描いてもらって、うちのコインランドリーに『おじさんと洗濯機』をずらりと飾っているんです。美術館に頼まれて、今回の展示のために絵をお貸ししたってわけです。気に入ってくださったようで。」

おじさんはハゲ頭をさすって、すごく嬉しそうだ。

あれだけ長く観ていたので、確かに「おじさんと洗濯機」を気に入ってしまったのかもしれない、と緑子は思う。

自分を描いてもらって自分の店に飾るなんて、おじさんは自己顕示欲が強いタイプなのか、それともお茶目なタイプなのか?

「いつでもコインランドリーにおこしください。洗濯しなくていいから、おじさんと洗濯機の絵を観に来てください。美術館に飾ってある間は、毎日、私、ここに来ています。」

「えっ、毎日来てるの?」
サルがびっくりして聞いた。

「だってよ、うちの店にあるのと、この立派な美術館に飾られているのとじゃ、こちとら気持ちの浮かれ方が違うんだよ。嬉しくって毎日通いつめてるよ。早く有名な画家になってくれよ! おじさんと洗濯機の価値が上がるから。」

「有名になったら、おじさんと洗濯機、売っちゃうの?」
「札束積まれたって売らねーよ。気に入ってんだから。」

「ところで⋯」
おじさんはサルに冷やかすように聞いた。

「年上の彼女?  この間、絵に似た綺麗なお嬢さんが来てたけど、もしかして⋯」小声で「二股?」

「違います!」
サルと緑子が同時に否定した。


✨✨✨✨✨✨

緑子とサルは美術館に併設されているカフェに入った。

コーヒーを注文するとすぐ、サルは慌ただしく美術館に繋がる店の階段を駆け上った。
スマホはテーブルに置きっぱなし。
全く落ち着きのない奴だ、と緑子は思った。

しばらくしてサルが階段を駆け下りてきて、テーブルにポストカードを置いた。

それは緑子が気に入って長く観ていた今日のメイン展示の画家の絵だった。

「ねーさん、気に入っていたでしょ? おじさんと洗濯機も気に入ってくれたみたいだけど、あいにくまだポストカードを作ってなくて。」

「ありがとう。」
気が利くところもあるんだな、とほんの少し見直した。

「ところでねーさん、お願いがあるんだけど。」

「はあ?」
まさかこのポストカード1枚で、あおいとの仲を賛成してほしいなんていうのか?

「絵のモデルになってほしいんだ。」

「私が? モデルなら、あおいがいるじゃない。」

「あおいちゃんにはモデルになってもらうけど、違ったタイプの絵のモデルを頼みたくて。」

違ったタイプの絵のモデル?

緑子はハッとした。まさか!

「おばさんと洗濯機を描きたいとか?」

サルは爆笑した。
「それいいね。おばさんと洗濯機とか、おばさんと掃除機とか。フライパンとか。」
腹を抱えて笑っている。

失礼すぎて、緑子は完全にムカついた。
いくらおじさんと洗濯機を気に入ったからって、おばさんと洗濯機のモデルをやらされるのは聞いてない。掃除機やフライパンでも同じだ。

あのハゲ頭で小太りのおじさんと同じカテゴリーに入れられたのもムカつくけど、おばさんと洗濯機なんて二番煎じじゃないか!

「私はまだ40歳でおばさんと言われる年じゃないけど!」

本気で怒っていると知ったサルは笑うのを止めた。
「いやいやそうじゃなくって、公園のお姉さんを描きたくて。」

「公園のお姉さん?」
緑子はサルに描いてもらったレモンイエローのワンピースの絵を思い出した。
繊細なタッチの美しい絵だ。あの路線?
しかしそれなら、あおいと違ったタイプの絵とはならない。
意図がわからなくて混乱していると、

「木登りするお姉さんが描きたい。」
とサルは真剣な顔して言った。

とんでもない角度からきて、緑子はびっくりした。

「できるわけないでしよ。木登りなんて!」

「俺が教えるから。ねーさん、ボウリングがすごく上手くて運動神経いいんでしょ?」

あおいはなんでもサルに話すんだな、と思った。

「かけっこするお姉さんでもいいし、鉄棒で逆上がりするお姉さんでもいい。木登りも、できてもできなくても、お姉さんくらいの年のおば⋯お姉さんが、なんか必死に体を動かすような、食らいつく生命力みたいなものが描きたいんだ。頼みます!」

サルが頭を下げた後、緑子の目を覗き込んできた。

こんなアホみたいな企画なのに真剣に頼んでくるんだな、そして描いてみればあの「おじさんと洗濯機」のように味のある作品に仕上げるんだろう、と緑子は思った。

40歳で木登りに初挑戦するなんて思ってもみなかったが、いっちょ乗ってやるか!

「いいよ。OK」緑子は言った。

サルはカフェなのにヒャッホー!とジャンプしてテーブルのコーヒーを揺らして喜んでから、緑子にくれたポストカードをひったくって、裏の白い面に何か書いた。
自分の携帯の電話番号だ。その横に「サル」とサインした。

「ちょっと何するの! せっかくのポストカードに!」

「これに書けば捨てられないと思って。」
サルは悪戯っぽく笑った。

全くなんて子だ、あおいは彼を好きになったのか。
緑子は、もうどうにでもなれ、という気持ちになって笑ってしまった。

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サルと別れた帰り。
あおいと住むマンションへと向かう街路樹の道を歩きながら、緑子は考えた。

あおいに鈴村をすすめたのは、本当にあおいのためだったのか?

あおいはボウリングがものすごく下手くそで苦手なのだ。
三人でボウリングしたら楽しいだろうな、と思ったのは、緑子にとって楽しいからだ。
いつも一人でボウリングしている時、グルーブの賑やかさを羨ましく思う時があった。

それにあおいとの暮らしが本当に楽しくて、あおいをさらっていく男がいるなら、私の孤独と引き換えにするなら、この彼なら仕方ないと思えるような素晴らしい男が良い、と理想があった。
自分の気持ちのためだ。

あおいが好きになったのはサルだ。

「サルに恋する5秒前♪を歌って、ひざまずいて花を渡したんだって?」
とサルに別れ際に聞くと、思いがけず本気で恥ずかしがっていた。

もしかしたらサルは傷ついたあおいを笑わせようと、無理してお笑い芸人をやっていたのかもしれない。

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マンションの玄関のドアを開けると、あおいが心配そうな顔して駆け寄ってきた。
「どうだった? お姉ちゃん。」

緑子はポストカードに書かれたサルの電話番号を登録するのに、彼の名前を知りたくなった。
美術館で絵の横の画家名に、確か四文字の名前が書いてあったっけ?

「あおい。教えてほしいんだけど。」

サルの名を知る5秒前♪

1,2,3,4,5


(終わり)

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絵を描いてくださいました。

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