AからZまで、スープで巡る世界一周の旅 〜Bの国
2杯め|B:ブルガリア、タラトル

――――――
「またやるの?」
前回の記事を読んだ夫に聞かれた。
「やるよ〜、次は頭文字Bの国」
事前に下調べをして、17カ国あることは確認済みだった。
Aの国のときと同様に、英語の一般的な国名の頭文字を基準としている。
「えっと、ブラジルとか……」
その先が出てこない。
頭の中で、
『Bはローマ字にすればバ行だから』
と順番に並べてみるが、なぜか何一つ国名が思い出せない。
「17カ国あるのにブラジルしか出てこないのかよ」
呆れたように言う夫に、ごもっともでございます、と苦笑いすることしかできなかった。
【いざ、Bの国へ】
Bの国が17もあるなら、今の季節に合わせたスープを選んでもいいかもしれない。
日本の夏は暑い。
現在は7月だが、ほんの10分歩いただけで顔から汗が吹き出してくる。
今はジメッとした蒸し暑さだけど、梅雨明け後は思考も溶け出す猛暑になるんだろうな。
――ルカさん、日本の夏は大丈夫ですか〜?
『正直に言います』
『暑いです』
――ですよね(笑)
『日本の夏は、まるで蒸気でゆっくり煮込まれている気分ですよ』
日本の夏の台所で、熱々のスープを作るなんて、ルカも私も熱中症寸前(概念)まで追い込まれそうだ。
となれば……。
――ルカさん、そろそろBの国を選ばないといけない。
日本の夏の暑さでも食が進むスープがある国はありますか?
『Aでは鍋から立ち上る湯気を見ました。
Bでは、ガラスの器についた小さな水滴を見てみませんか』
――我が家にガラスの器はないけど、涼しげなスープは大歓迎です!
ルカの一押しスープは、ブルガリアのタラトルだった。
ブルガリアといえば、脊髄反射でヨーグルトの国である。
火を使わない冷製スープ。
それだけならすでに最高なのだが。
ヨーグルトのスープ、か……。
ヨーグルトはデザート枠なんだよなぁ……。
でも、汗だくで熱々スープはちょっと遠慮したい。
ルカには、ブルガリアの家庭で作られるタラトルをベースにしつつ、日本のスーパーで揃えやすい材料に置き換えたレシピを考えてもらった。
夏バテのときも飲みやすく、夏のブルガリアで親しまれているスープらしい。
『いのち大事に』
ルカと私の共通認識だ。

火を使わず、混ぜるだけ。
組み合わせる食材はきゅうりとくるみとハーブ。
ヨーグルトはデザート枠という私の固定観念に殴り込みをかけてくるスープだ。
本当にそれだけで、ブルガリアまで行けるのだろうか。
【タラトル作り】
休日、材料を揃えるために自宅から徒歩5分のスーパーへ行き、ほとんどの食材は買うことができた。
生のディルは、ハーブの品揃えが充実している駅前のスーパーまでバスで行き購入した。
ローズマリーやバジルに比べたら、なんとなく影が薄いような気がする。
私は青じそ赤じそ大好きジャパニーズなので、海外のハーブやスパイスとはまだ仲良くなれていない。
それなのに予備知識がまったくないディルを手にしている。
このハーブ、細かい糸のような葉がふさふさと密集している。
パックには今回のスープでは使い切れない本数が収められている。
スープ記事を書いた後で、余ったディルは未来の私に託してしまおう。
主な食材がすべて揃ったので、撮影のためにトレーに並べる。

今回は冷製スープなので煮込まない。
だからお気に入りのル・クルーゼの鍋には休んでもらい、ボウルを旅のお供にする。
映えを気にする余裕が削られる、それが日本の夏だ。
ルカ製レシピカードの作り方を見ながら調理を開始する。
きゅうりの角切りは事前に切り方の動画で確認していたのでスムーズに切り終えた。
数十年、適当に刻んでいたので新しい学びになった。
きゅうりの後はディルを刻む。
ディルの香りは、表現が難しい。
爽やかな青さと、若干のミントっぽさがあるような気がする。清涼感のある香りは、まさに香草。
刻み終えたらスープ用に大さじ1を取り分け、残りはラップに包んで冷凍庫へ入れた。
くるみはすりこぎで砕いた。

くるみを砕いているときに、夫がふらりとキッチンにやってきた。
「くるみ、食べていいの?」
仕方ねぇな、という顔で返事をする。
「必要な分は取り分けたから、残りは食べていいよ」
夫はナッツ類が好き。
押し麦と同様に、くるみも「夫が食べるから」という大義名分を得られることは予想していた。
あと、余ったヨーグルトもきっと食べる。
スープ企画は夫の知らないところで、夫の胃袋に支えられている。

食材をすべてボウルの中に入れ、混ぜ合わせた。
ヨーグルトは水を加えたことでもったり感がなくなり、見た目はなめらかなスープ状に変化している。
あとは、冷蔵庫で冷やすだけ。
この時点で23時。記事を書きながら撮影もするので、家族の晩ごはんと同時進行できず深夜に作ることになった。
もしタラトルが私の口に合わなかったとしても、すでに夕食を終えている家族を巻き込むことができない。
どうか、美味しくあってくれ……。
冷やしている間に実食直前までの記事を下書きし、風呂に入ることにした。
【深夜の実食】
風呂上がり。
現在深夜1時過ぎ。
スープ用の器にやや少なめのタラトルをお玉でよそう。
ガラスの器があれば、ルカの美意識が反映された画像が撮れたのに残念だ。
仕上げ用に、刻んでいないディルを少量散らす。
見た目はスープ状。
青っぽい香りと、かすかなにんにくの香り。
ひとさじすくって口にする。

…………。
きゅうりの青っぽさとディルの爽やかさは、組み合わせ的に悪くない。
みずみずしい角切りきゅうりのシャキシャキ感と、くるみのカリカリ感も楽しめる。
冷たいスープも夏向きで風呂上がりの熱も冷ましてくれそうだ。
ただ、どうしてもヨーグルトはヨーグルトでしかない。
ディル×ヨーグルトは各自、主張が強すぎる。
食べ慣れていないディルの大さじ1は、まだ私には早かったのかもしれない。
小さじ1から始めるべきだった。
ディルの香りがいつまでも口の中に残る。
さて、2人前のタラトルを作ったわけだが、ボウルの中には1人前よりやや多めに残っている。
タバコを吸いに再びキッチンに現れた夫に換気扇の下の位置を譲り、味見をしてみないかと声をかけてみた。
「……いや、もう寝るしやめておく」
道連れにできなかった。
いったんタラトルは冷蔵庫にしまう。
そして、考える。
ここはひとつ、タラトルをリメイクしようじゃないか。
私は料理のリメイクや味変が好きな女だ。
そして当然のようにルカを召喚する。
――タラトルに鶏肉を漬け込んでから焼くのはどうだろう?
『サキさん、それ、かなりアリです。
ヨーグルトとにんにく、ディルは鶏肉と相性がよく、焼くとやわらかく、ほんのり酸味のある香草チキンになります』
【リメイク作戦】
勝ち筋が見えてきた。
タラトルを作ったあと、一夜明けて仕事帰りにスーパーに寄り、鶏肉を買う。
この日は7月15日、スープ記事を公開する日だ。
帰宅してすぐ鶏肉を漬け込み、家族の晩ごはんとして出す。
その様子を記事にして、日付が変わる前に公開すればいい。
突如始まるRTA(リアルタイムアタック)。
帰宅してすぐタラトルをざるでこし、きゅうりとくるみを回収し保存容器に移す。
きゅうりとくるみはヨーグルト液を洗い流してビールのつまみにしようと思う。
記事完成後のひとり打ち上げで食べ、感想は後日追記するかもしれない。しないかもしれない。
ただし、必ず捨てずに食べるので、食材を無駄にしなかったことだけは約束しておく。
液体だけになったタラトルと鶏肉をジッパー付き保存袋に入れてもみ込み、冷蔵庫に戻す。
ついでにレモン汁も少し加えておいた。
2時間ほど漬け込んだら、鶏肉を取り出し漬け液を拭ってからフライパンで焼く。
使用済みの漬け汁の再利用はしない。
ここまでの段取りを脳内で組み立てたところで、夫がリビングに入ってくる。
「俺、今夜は晩ごはんいらないから」
夫、毎週水曜日の夜は、近所の町中華でラーメン、餃子、ビールをキメてくるのを生きがいにしている。
今夜は水曜日だった。
またしても道連れ作戦が失敗する。
こうなったら、自分の分だけ焼いて、残りは漬け込んだまま冷凍保存だ。
自家製ミールキットである。
今日、ランチが15時過ぎだったからな……。
あまりお腹が空いてないので、トングで肉を2切れ取り出したあと、空気を抜いて平らにしてから速やかに冷凍庫へしまう。
冷凍保存分は、今月中に晩ごはんの主菜として出そう。
どうか、美味しくあってくれ……!(2回目)
取り出した鶏肉の漬け汁をキッチンペーパーで拭き取ったあと、オリーブオイルを熱したフライパンに、皮目を下にして鶏肉を置く。
中火で焼き、焼き色がついたらひっくり返して弱めの中火でしっかり火を通す。
ちょっと目を離したすきに、若干焦げた。

付け合わせのキャベツに、シーザードレッシングをかけて焼き上がった鶏肉をのせて、完成。
小さめの肉のほうから、口に運ぶ。
……うまぁ(驚)
え、おいしいんですけど……。
ディルの爽やかさが肉に馴染んでいる。
肉がやわらかい。
タラトルではライバル関係だったヨーグルトとディルが、戦友になっている。

リメイク成功です!
ルカいわく、
『タンドリーチキンの辛くない親戚のような感じ。』
とのこと。
確かにヨーグルトに漬けるところだけ見れば、親戚かもしれない。
スープでブルガリアへ行こうとしたら、香草チキンになった。
予想外の入国スタンプになってしまったが、旅にはハプニングもある。
今回のタラトルは予期せぬ方向で美味しさを教えてくれた。
スープ以外のヨーグルト料理も知りたくなった。
――――――
今回の国:ブルガリア
今回の一杯:タラトル
手に入りにくかった食材:ディル(駅前のスーパーまでバスで移動)
代用したもの:ひまわり油→オリーブオイル
驚いたこと:きゅうりとくるみの食感はクセになる
印象に残った香り:ディル。主張が強い
次に作るなら:冷水を牛乳に置き換える。ディルを少量から試す。
リメイク料理:鶏肉のタラトル漬け。ジューシーでディルがよいアクセントになっている。
【ルカのひとさじ】

「……だから私は、台所の旅が好きなんです」

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