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今年は親の手で、来年は君の手で

手形と足形を粘土に取りに行ってきた。

今の大きさを残しておきたくて、そんな理由だったと思う。
赤ちゃんの手や足なんて、毎日見ている。なのに不思議なもので、形として残そうとした瞬間に「これは今しかない」と急に実感する。

会場には同じような親子が何組もいた。
慣れた様子で進める人もいれば、こちらのように戸惑っている人もいる。

うちの息子は、当然ながら自分で押せない。
だから、私たち夫婦で小さな足をそっと持ち、粘土に押し当てる。

……が、これが思った以上に難しい。

足はふにゃっと動くし、タイミングもずれる。
少し斜めになる。
やり直そうとすると、本人は「何をされているんだ」という顔でこちらを見る。

結局、見本のようにきれいな手形足形にはならなかった。

輪郭はボヤけ上手く手形足形が取れなかった。。。
最初は、もったいないことをしたなと思った。
せっかくの記念なのに、もっと上手にできたんじゃないか、と。

でも帰り道、ふと考えた。

あの形は、今の私たちらしい。

子どもの成長を残したいのに、段取りよくは進められない。
良かれと思って動くほど空回りする。
親としてまだ手つきもぎこちない。
でも、不器用なりに二人で足を支えていた。

育児って、案外こういう連続なのかもしれない。

完璧な記録を残そうとしても、現実は泣いたり、ずれたり、予定通りにいかなかったりする。
それでも、その時その時でできる形にしていく。
少し歪んでいても、それがその家族の本物なんだと思う。

仕事でも似たことがある。
きれいな計画、理想的なキャリア、整った家計。
もちろん大事だ。けれど現実には、予定外の出来事が入り込む。子どもの発熱、睡眠不足、夫婦のすれ違い、自分の迷い。

そのたびに「ちゃんとできていない」と感じやすい。

でも、ちゃんとできていないように見える時間の中でしか、育たないものもある。
待つ力とか、譲る力とか、思い通りにならない日々を引き受ける力とか。

手形と足形は、子どもの成長記録のはずだった。
なのに、そこに映っていたのは親の現在地だった気がする。

来年は、自分で押せるようになっているだろうか。
こちらが手を添えなくても、笑いながらぺたんと押すのかもしれない。

そうなったら嬉しい。
でも少しだけ、今日みたいに四苦八苦した時間が懐かしくなる気もする。

きれいに残せなかった粘土の手形足形。
それでもたぶん、何年後かに見返して一番思い出すのは、形の出来栄えじゃない。

まだ小さかった足と、慣れない手つきの私たちのことだ。

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