半日だけの小さな旅 (ギターを抱えて)
昨日はマンドリン合奏の練習日だった。
ギターパートの私は、いつものようにギターを抱えて近隣センターへ向かった。
会場は家から近い。だから道路渋滞の心配はほとんどない。それでも通勤時間帯と重なるので、少し車の流れが悪いことはある。
「今日は道が混んでいた」
そんな言葉は、練習仲間との会話によく登場する。
もっとも、昨日は特別な出来事もなく、いつもの朝だった。
けれど、振り返ってみると、その「いつも」が案外幸せなことなのかもしれない。
練習会場はゴルフ場に隣接していて、林の中に建っている。
私は会場に着くと、すぐに楽器を出さない。
まず窓の外を見る。
天気を見る。
木々を見る。
風を見る。
何を考えるわけでもない。
ただ眺める。
それだけで気持ちが落ち着く。
忙しかった日常の時間が、そこで一度途切れるのだ。
そしてようやく楽器ケースを開く。
私にとっては、その数分が音楽の時間への入口なのかもしれない。
練習前には必ずやることがある。
手洗いと調弦だ。
手洗いは単なる衛生のためだけではない。
指先の感触を整えるためでもある。
そして調弦。
こればかりは毎回同じではない。
「今日は一発で決まるな」
そんな日もあれば、
「なんで今日は合わないんだ」
と首を傾げる日もある。
年に何度かは、
「楽器のほうが私に反抗しているのではないか」
と思うことさえある。
昨日は幸い機嫌が良かったらしい。
比較的素直に音が合ってくれた。
その後は指を動かす準備運動だ。
若い頃は速く弾けることが嬉しかった。
難しいフレーズが弾けるようになると、それだけで満足だった。
しかし不思議なもので、年齢を重ねるにつれて楽しみ方が変わってきた。
今は速さよりも響きのほうが面白い。
一つの音をどう鳴らすか。
どの音を少しだけ前に出すか。
どの音をそっと支えるか。
そんなことを考える時間が増えた。
作曲者が本当に聴いてほしかった音はどこなのだろう。
譜面を見ながら探していると、まるで宝探しをしているような気分になる。
そして、
「ここだ」
と思える音に出会えた時の喜びは、若い頃には知らなかった楽しさかもしれない。
歳を取ると失敗も増える。
練習会場を間違える。
楽譜を忘れる。
そして何より老眼鏡を忘れる。
楽器よりも老眼鏡のほうが大事ではないかと思う日もある。
昨日は幸い忘れなかった。
それだけでも上出来だ。
最近は、そんな小さな成功に少し嬉しくなる。
演奏会は十月。
まだ先だ。
練習時間はたっぷり残されている。
だから焦りはない。
もちろん課題は山ほどある。
けれど、それも含めて楽しい。
完成した演奏を目指す時間も大切だが、その途中の時間も同じくらい大切なのだと思う。
昨日の半日は、特別な出来事があったわけではない。
誰かが大活躍したわけでもない。
感動的な出来事があったわけでもない。
ただ林を眺めて、調弦をして、仲間と音を重ねた。
そして昼になり、それぞれが帰っていった。
それだけのことだ。
でも、その「それだけ」が、なんとも心地よい。
私にとってマンドリン合奏の時間は、日常から少しだけ離れるための小さな旅である。
遠くへ行くわけではない。
豪華な体験でもない。
けれど確かに非日常がある。
音楽があり、仲間がいて、静かな喜びがある。
昨日もまた、そんな半日だった。
振り返れば、無色透明な時間だったのかもしれない。
だからこそ、その透明さの中に、ささやかな幸せがよく見える。
そして今朝になって思う。
次の練習日も、きっと楽しみだな、と。
