アステールプラザ・大ホールで「広島交響楽団 ディスカバリー・シリーズ 『ノーノ、シャリーノ、イタリアーノ!!』シモーノによるイタリア管弦楽集」を聴く。
2021年6月4日(金)
指揮:下野竜也
コンサートマスター・ヴァイオリンソロ:佐久間聡一
管弦楽:広島交響楽団
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「和声と創意の試み」第1番ホ長調「春」
レスピーギ:「リュートのための古風な舞曲とアリア」第1組曲
ロッシーニ:歌劇「チェネレントラ(シンデレラ)」序曲
ルイジ・ノーノ:24の楽器のための「遭遇」
ヴェルディ:歌劇「ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)」序曲
アンコール
ボッケリーニ:メヌエット
聴衆の多くがここ一週間の内にイタリア料理を食べに行くこと間違いない「広島交響楽団 ディスカバリー・シリーズ 『ノーノ、シャリーノ、イタリアーノ!!』シモーノによるイタリア管弦楽集」を聴きに行った。
昨シーズンは会員も座席を指定しての毎度の購入だったので、ひさしぶりに下野さん就任後から変わらない席に戻って音楽を聴くと、2階席後方でもこれほどよい音があったのかと、来シーズンの定期演奏会の席移動を考えてしまった。前回の定期演奏会で尾高さんが述べていたように、楽団の成長がそのまま音楽に表れて響いたのを別の位置で確かめた形だ。
昔から知っているわけではないが、今日の演奏会でも強く感じたことは各曲の表現の明確さで、下野さんの実力と楽団員の意志疎通がうまくとれているようだった。何も今回だけが特別にそうではなく、以前からそれを感じていたように、シューベルトやベートーヴェン、シェーンベルクやヴェーベルンなども思い出されるが、今年に入ってから公演の取り組みそのものが好意的な快活さで腕を広げていて、楽しく愉快に堂々と、それらを含めた音楽の自信が全体に表れているのだろう。そして今日のプログラムは、今まで聴いたことのない古楽の響きもあった。
ヴィヴァルディの「春」は小編成のオーケストラよりは、アンサンブルの響きが綺麗に涼しく、厚みよりも細く張った糸らしい響きは今まで広響で聴いたことのなかった音色だった。華やかさのなかに技巧が細かく整然と奏でられ、有名な曲ではあるが独特な構成と表現は新鮮な発見があり、特に佐久間さんのソロはまるで違った実力の側面を見せてくれるように存在を放っていた。
レスピーギの曲は古風で地中海を感じさせる音があり、どことなくイギリスらしい詩情性を備えながらフランスも想起され、第4楽章ではロシア的な管弦楽の発展も聴こえるようだった。第410回定期公演のローマ三部作でたっぷり味わった経験を踏まえると、第2第3楽章に茫洋としてつかめないながら作曲家の個性があるようで、新味のないやや取り残されたヴァラエティのようでも、映像的な楽曲表現の印象は今回も各部分に見るようだった。
ロッシーニのシンデレラは、やや奇抜な印象を受けるほど展開は落ち着かなかったが、それが何とも巧みで人を食ったようで、叙情的な物語よりも喜劇のように人を弄ぶ性格を持ちながら、大々的に歌劇世界の色表紙に引き込む強さがあった。
ディスカバリー・シリーズに必ず組み込まれるあまり聴けない曲こそ、醍醐味の一つだろう。ルイジ・ノーノの24の楽器のための「遭遇」は日本初演らしく、回文を例にこの曲の構造が下野さんに説明されると、鏡の世界に対して持つ自意識について考えることになった。ただ実際に聴いた曲は抽象的な音の発生となり、和音や連関よりも、偶発的にも思えるミロやカンディンスキーらしい絵画と時計の運びで、心地良さよりも不可解な時間に対して疑義を持たせる内容になっていて、このような音楽表現と体感があるからこそディスカバリー・シリーズだと満足を自身に課する音楽だった。
そして単純ながら強烈な力技でねじ伏せるヴェルディのジャンヌ・ダルクで爆発する。一段一段と音は明瞭に強さを持ち、くどいほど上昇させて有機的に発達する形は、疑いなく下野さんの腕が発揮されていた。大曲も軽々しく扱うような印象を持たせるほどで、それでいておかしな枠をはみ出さず、各声部は突き出ることなく印象を保ちつつ丸みを持って連結している。演奏会の雰囲気を存分に与えてくれる内容は、特にフルート、オーボエ、クラリネットの三重奏に牧歌の意味を考えることなく揺れていた。
アンコールがアレンジではなかったのがすこし残念だったものの、イタリアという色彩を広響で味わえるシリーズは見た目以上に濃く始まった。ドイツ料理とイタリア料理では同じ素材でも作りは異なっていながら時に似る事もあるように、下野さんと佐久間さんを前にした広響の音楽は、違ったテイストでクラシック音楽を面白く味到させてくれるはずだ。
