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令和6年能登半島地震 被災体験レポート:【前編】日常と非日常のコントラスト

はじめに

去る令和6年元日、年末年始の旅行先において被災し帰宅難民となり、その後無事帰還した経験をもとに、普段の生活からは想像できない事態が誰にでも起こり得ることを実感しました。

自身の今後のため、また広く情報を共有するといった観点から、被災に至るまでと被災体験、そして帰還に至るまでを文章に残そうと考えた次第であります。

令和6年1月4日

令和5年12月31日

恒例・年末年始アラフィフ4人旅

年末年始を旅先で過ごすというのは、私自身の恒例行事となって(独身貴族の為せる技)いて、今回も12月31日から1月2日まで2泊3日の旅行を友人3人と行いました。

今回の目的地は富山・石川。

初日:富山を廻りながら氷見市に入り一泊。

二日目:石川県に移動し輪島を経由→能登半島の北側海岸を進んで最北端の灯台を散策した後、珠洲市にて宿泊。

最終日:能登島を経由(温泉に入って能登島バーガーを食べる)しつつ、帰路につく

というプランでした。 

前日30日の夜10時半に集合し、私の自家用車にて出発しました。
深夜出発も恒例です。

最初の目的地、高岡市の雨晴海岸(あまはらしかいがん)までの道のりは東京から約6時間。

とはいえ年末の深夜出発ということで渋滞は皆無。

3回ほど休憩を挟み、日の出前の6時半頃に雨晴海岸には到着しました。

ほのぼの富山観光

※天気が良い日の雨晴海岸

雨晴海岸は日の出が美しいことで有名でしたが、生憎の曇り空により日の出は全く拝めず、特に得るものもなく富山の駅まで移動。

駅前にて名物の鱒寿司やお酒を入手します。

その後、近くにある富岩運河環水公園という景観の美しい運河を散策します。

この運河には世界一美しい(と言われているとかいないとか)スターバックスがあり、なるほど確かに綺麗ではありました。

ブリざんまい

その後、氷見市へ移動。

氷見はブリで有名な街で、漁港の食堂でブリ丼を堪能しました。
私は海鮮丼を頼んだのですが、友人の頼んだブリ丼がやはり正解だったようです。

圧倒的に他のネタよりブリが美味しかったです。

そして初日の宿も氷見市でした。ここで出てきた食事は、まさにブリ三昧といった形で、

ブリの刺身
ブリの照り焼き
ブリ鍋
ブリしゃぶ
のブリ尽くし。

もうしばらくブリはいいや。と思えるほど堪能し、贅沢の極みと言えるのではないでしょうか。

令和6年1月1日

さて、なかなか本題に辿り着きませんが、そこは日常と非日常のコントラストをより際立たせるためでもありますので、ご容赦くださいませ。

年末年始だもの

二日目の目的地は輪島。ただし、目玉と思われる輪島の朝市(日本三大朝市に数えられるそう)が、正月三が日はお休みとなっています。

年末年始旅行は、当然ですがその土地の目玉とされる観光地やお店が開いてなかったりするのは宿命ではあります。

今回も主な目的は温泉であったり、自然の散策であったり、夜の酒盛りであったりはするので、そこは気にせず進みます。

和倉温泉リゾート

輪島に向かう途中、七尾市の和倉温泉という街を通過中にどうやらここが一大リゾート地のようだと気が付きます。

単に知識が乏しかったために和倉温泉というものの存在を知らなかっただけなのですが、とても建物が立派で活気に溢れていました。

街中を移動中、「湯っ足りパーク」という看板を目にしたため、これは当然足湯があるに違いないと思い寄り道することに。

そこには案の定、無料の足湯があり、浸かっていくことに。

この足湯は眼前に海と能登島の景色が広がっており、非常に気持ちが良かったです。

さらに、この流れで温泉にも寄っていくことになりました。

向かった温泉は「和倉温泉 総湯」オープン前から20人程度の行列ができており、人気の温泉なのだなと感じました。

泉質も非常に良く、温まりました。値段も490円とまさかのワンコイン価格。

思わぬ満足感を味わいながら、和倉温泉をあとにします。こういったイレギュラーは旅の醍醐味ですよね。

ここで、当初の旅行プランになかった行動をとったことで、後の運命に大きな変化が生じたことは、当然このときの我々には知る由もなかったことになります。

嬉しい誤算

輪島への道中、別所岳サービスエリアというところに立ち寄りました。

ここの展望台で景色を楽しんだりしたのですが、能登豚のカツカレーが異様に美味しかったのが印象に残っています。

サービスエリアで出てくるようなレベルではなかったので、いい意味での誤算でした。

見た目や口コミが当てにならないのを実感した瞬間でもあります。

その後、輪島に到着し閉まっている朝市の街並みを車内から見学します。

永井豪記念館という建物もあり、見たかったなあと思いつつ(我々世代からするとマジンガーZ、デビルマンが思い浮かぶ)、朝市を通過(スルー)。

鴨ヶ浦という海岸に出て、日本海の荒波を間近で感じ取りました。

実を言うとこの鴨ヶ浦というスポットが、なかなか豪快な日本海の荒波を超至近距離で見られるため、かの有名な福井の東尋坊よりも見応えがありました(個人の感想です)。

白米千枚田

続いて、白米千枚田(しろよねせんまいだ)に向かいました。

白米千枚田は、輪島市白米町にある棚田で、日本海に面して1004枚もの小さな田が重なり海岸まで続く絶景が、日本の棚田百選、国指定文化財名勝に指定される奥能登を代表する観光スポットです。

道の駅千枚田ポケットパークに車を停め、一通り散策を済ませ、道の駅の軽食コーナーで名物のおにぎりを頬張っていたところ、

その瞬間は訪れました。

令和6年1月1日16時10分、後に令和6年能登半島地震と命名されるその揺れが始まったのでした。

令和6年1月1日16時10分

振り返ってみると、マグニチュード7.6の本震の前にほんの一瞬の大きな揺れがありました。

本当に一瞬。

体感では10秒にも満たない大きな縦揺れでした。

一瞬ヒヤッとしたものの、すぐに収まったのでその場にいた我々も、おにぎりを握るおばさん達も、「びっくりしたねー」などと言いつつそのまま何事もなかったかのように食事を続け、また職務を続けていました。

が、それから数秒だったか、数分だったか定かではありませんが(記録としては4分後)、間違いなくこれまでに体験したことがない巨大な揺れ、横揺れが襲ってきました。

東日本大震災のときに味わった(埼玉県北部)揺れより、言うまでもなく、比べるまでもない大きな揺れでした。

幸いその時にいた軽食の食堂は倒れてくるような棚や落ちてきそうな照明などはありませんでしたが、このクラスの揺れになると、人間にできることなんて何もありません。

避難の為の移動はおろか、立っていることさえできず、身を低くしてただただ揺れが収まるのを祈るのみです。

揺れが収まると、店員さん達が店外に出るよう呼びかけていました。

ふと我に返ったように外に出ると、駐車場では小さな子が泣き叫び、他の観光客も多くが地面にしゃがみ込んでいました。

都市部ではないため、阿鼻叫喚の地獄絵図といったことはなかったものの、騒然としていたことは間違いありません。

そして、駐車場の地面は至る所でアスファルトの地割れが起き、場所によっては50cm以上の段差が出来ています。

千枚田は崩落といった程の被害はないようでしたが、ところどころ大きな亀裂が入っていることが、遠目にも確認できました。

大自然の猛威

その日の宿までは道の駅から約10km、15分程度の場所でしたが、当然受け入れ体制など整うはずもなく、宿泊は断念。

かといってもう日が沈み始める時刻のため、道路状況や津波の状況も読めないなか動くことは極めて危険を伴います。

ここは一旦、車中泊にて夜を明かすことを決断しました。 

念のため、日が沈む前に輪島方面に少し車を走らせて状況を確認します。

私の愛車は悪路の走破性に優れており、ある程度のひび割れや隆起なんて問題ないだろう。あとはスコップの一本でも調達できれば万全だ___

などと考えていた私は、すぐさま自分の愚かさと自然の力の壮大さに打ちのめされることになります。

輪島方面に数百メートル進んだところで、いきなり通行不能とひと目でわかる地面の隆起に出会いました。

一旦そこで車を停め、徒歩にてその先の状況を確認します。

すると、さらに絶望的な状況を目の当たりにしました。

地面の割れ、というより断層が至る所にあり、キャタピラーでもついていない限りは車両が進むことは絶望的な道路状況となっていました。

また、さらにその先まで見てきた人の話だと、橋が崩落しているとのこと。

もはや絶望。

一度道の駅に戻り、夜を明かした後、もう一つのルート、つまり輪島とは反対方向を調べることにしました。

ただし、輪島と反対方向とは内陸から離れる方向であり、極めて薄い望みといえるでしょう。

緊急車中泊

ガソリン残量は6割程度。

一晩過ごすには十分ですが、万一を考えて深夜冷え込みが増す時間帯まではエンジンをかけずに節約をします。

水も電気も使えないためトイレは少々難儀しましたが、道の駅のトイレを使用する際、持っていたライトが活躍してくれました。

千枚田はライトアップのキャンペーン期間中だったため、棚田のライトアップの灯りだけが近辺を照らしているという、なんとも表現し辛い状況でした。

ライトは自動で点灯・消灯する仕組みだったようで、真夜中には完全に灯りがなくなりさらに今後の不安を煽る形となりました。

車中にて過ごしている間も、例の緊急地震速報の不気味なサイレンが幾度となく鳴り響き、何度も車が揺すられました。

ただ、マグニチュード7.6を一度経験すると、それ以外の余震は言葉を選ばず表現すると、まるで”ゆりかご”のように感じられました。

津波についても、かなりの高台にいたことと、海が荒れる気配がほとんどなかったことからラジオで聞こえてくる警報や呼びかけほど恐怖はありませんでした。


【中編】断たれた退路と苦渋の決断
に続く

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