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【生殖記】朝井リョウ|読了

まず率直に言うと、語り手の正体だけでもかなり衝撃のある作品だった。

ただ、ここはあまり詳しく書かない方がいいと思う。

『生殖記』は、何をどこまで知った状態で読むかによって、最初の読書体験がかなり変わる作品だからだ。

なので、語り手の正体については触れずにおきたい。

ただ一つ言えるのは、この語り手でなければ描けないものが、確かにあったということ。

読み始めたばかりの頃は、その設定の奇抜さに驚く。

でも読み進めるうちに、だんだん「変わった設定の小説」を読んでいる感覚ではなくなっていく。

なぜこの視点なのか。

なぜ人間自身の目線ではなく、この距離から人間を見つめる必要があったのか。

その意味が、少しずつ腑に落ちてくる作品だった。


変わった視点だから見える「人間」

『生殖記』では、人の営みや社会、共同体がかなり変わった角度から見つめられている。

語り手は、人間にとても近い。

けれど、人間そのものではない。

そのわずかな距離があることで、人間が普段「当たり前」として受け入れているものが、急に奇妙なものにも見えてくる。

家族。

恋愛。

性。

生殖。

共同体。

そして、普通とされている生き方。

普段はわざわざ疑問に思わないものまで、一度外側から眺め直すことになる。

語り口はどこか淡々としている。

だからこそ、ときどき残酷に感じる。

人間の気持ちに寄り添いすぎない視点だから、こちらが感情で曖昧にしてきたものまで、そのまま見えてしまう。

その距離感が、この作品の大きな面白さだった。


「しっくりくる」という曖昧な感覚

読んでいて特に印象に残ったのが、「しっくりくる」という感覚だった。

自分はここにいていい。

この場所なら、無理をしなくていい。

この生き方なら、自分でいられる。

はっきり言葉にするのは難しいけれど、人はどこかでそういう感覚を求めているのだと思う。

逆に、

なぜか馴染めない。

周囲に合わせているはずなのに苦しい。

間違ってはいないはずなのに、自分には合っていない気がする。

そんな「しっくりこなさ」もある。

本作では、この言葉にしにくい違和感がかなり丁寧に見つめられていた。

何が正しいのか。

何が普通なのか。

どう生きれば、自分にしっくりくるのか。

簡単に答えは出ない。

むしろ、「正しい答えがある」と思うこと自体が苦しさを生んでいる場合もある。

読んでいて少し居心地が悪い。

でも、その居心地の悪さがかなり重要な作品だったと思う。


共同体は、安心できる場所なのか

人は一人では生きにくい。

どこかに属していることは、安心につながる。

家族。

職場。

社会。

友人関係。

さまざまな共同体の中にいることで、自分の立ち位置が見えることもある。

けれど、共同体には息苦しさもある。

同じであることを求められる。

理解し合えることを期待される。

その場所に馴染むために、自分の違和感を飲み込むこともある。

本作では、その安心と窮屈さの両方が描かれていた。

属したい。

でも、完全には馴染めない。

理解されたい。

でも、簡単に「分かる」と言われることにも違和感がある。

一人では苦しい。

でも、誰かと同じ場所にいれば必ず救われるわけでもない。

その割り切れなさが、ずっと作品の中に流れている。

ここを単純に「居場所を見つける物語」にしないところが良かった。


「多様性」で終わらない

朝井リョウ作品として読むと、『正欲』から続いているものも感じた。

多様性。

理解。

普通。

社会の中で生きること。

多数派の価値観から外れたときに生まれる違和感。

でも『生殖記』は、「いろいろな生き方があっていい」と肯定して終わる作品ではない。

むしろ、その先にある厄介さまで見ている。

人には、本当に理解できないものがある。

どれだけ歩み寄っても、分かり合えない部分もある。

善悪だけでは判断できない感情もある。

「理解しよう」とすること自体が、相手を自分の分かる範囲へ押し込めることになる場合もある。

それでも、人は誰かと関わりながら生きていく。

この矛盾から逃げないところが、かなり朝井リョウらしいと思った。

多様性という言葉を掲げて安心するのではなく、

自分は本当に、理解できないものと一緒にいられるのか。

そこまで考えさせてくる。

かなり面倒な問いだと思う。

でも、その面倒さを簡単に整理しないところが良かった。


語り手の仕掛けだけでは終わらない

この作品について語るとき、どうしても語り手の設定が注目されると思う。

実際、自分も最初はそこに驚いた。

でも、読み終えて残るのは、それだけではなかった。

むしろ、語り手の正体を知ったあとに重要なのは、

「なぜこの視点でなければならなかったのか」

ということだと思う。

人間の常識から少し離れた場所にいるからこそ、人間が勝手に作った「普通」を観察できる。

家族も。

恋愛も。

生殖も。

社会も。

当事者の側からだけ見ていたら、あまりにも当たり前すぎて見えないものがある。

そのための語り手だったのだと思う。

奇抜さが、きちんとテーマにつながっている。

そこがかなり良かった。


読後に残ったもの

正直、読み終えた直後に感想をまとめるのは難しかった。

「衝撃作」という言葉は確かに合う。

語り手の設定だけでも十分に強い。

でも、この作品の本質は、その一発の驚きではないと思う。

時間が経ってから、じわじわと考えが戻ってくる。

自分は何にしっくりきているのか。

何にしっくりきていないのか。

どんな共同体に属し、何を当たり前だと思っているのか。

自分が「普通」と思っているものは、本当に普通なのか。

そして、自分には理解できないものと、どう一緒に生きていくのか。

そんなことを考えさせられる。

『生殖記』は、語り手の仕掛けで驚かせる作品でありながら、その奥ではかなり真面目に人間そのものを見つめている小説だった。

何かに「しっくりきていない」感覚を抱えている人には、強く刺さると思う。

読み終えたあとにも、簡単には言葉にできない違和感が残る。

でも、その違和感を消さずに持ち帰らせることこそが、この作品の面白さだった。

☃️ここまで読んでくださってありがとうございました。
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