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半神の少女 第1話「ヘスティアの娘」

第1話「ヘスティアの娘」

オリンポス ― 神殿・玉座の間

雲海の上。天空を貫く白き神殿。
巨大な円形神殿の中央に黄金の円卓。
その周囲に並ぶ12の玉座。

雷鳴が遠くで鳴り響いている。

そこに座るのは、世界を支配する神々――オリンポス十二神。
中央の最も高い玉座には、全能の神――ゼウス。
その表情は険しい。

円卓の中央に、戦神アレスが片膝をついている。
重苦しい沈黙。

ゼウス(低く、重々しく)
「……間違いないのか、アレスよ」

アレス(顔を上げず)
「はい、父上。報告がありました。ヘスティアの神性を宿した少女を見たと」

ざわめきが走り、神々の表情が変わる。
アフロディーテが驚き、ヘルメスが眉をひそめる。
ディオニュソスが酒杯を持つ手を止める。

ゼウス(怒りを抑えながら)
「……ヘスティアに、娘がいたとは」

ゼウスの周囲で空気が歪む。
雷が微かに弾ける。

ヘラ(激しく立ち上がる)
「許されないわ!!」

神殿が震える。
ヘラの瞳は怒りに燃えている。

ヘラ
「処女神であるヘスティアが子を成すなど――これは神々への反逆よ!秩序への裏切り!」

ヘラはアテナとアルテミスを睨む。

ヘラ(冷たく)
「アテナ、アルテミス、あなたたちも同じ処女神。この玉座にいなければ子供を授かれない。この意味が分かるでしょう?」

アテナは静かに目を閉じる。表情は変わらない。

アテナ
「……神の秩序は、守られるべきものです」

だが、その声にはわずかな迷いがある。

アルテミスは無言のまま、ゼウスを見ている。
その目は怒りとも悲しみとも取れる。

ポセイドン(腕を組み、低く)
「……弟よ」

全員の視線がポセイドンに向く。

ポセイドン
「その子を……どうするつもりだ?」

静寂。
ゼウスの目に雷光が宿る。

ゼウス
「決まっている」

立ち上がる。神殿全体が震える。

ゼウス(冷酷に)
「本当にヘスティアの娘であるなら――排除する」

雷鳴。
神々の何人かが息を呑む。

デメテル(険しく)
「……また、そうやって奪うのですか」

ゼウスがデメテルを見る。

デメテル
「コレーの時のように」

ゼウスは答えない。

ゼウス
「……ヘルメス」

ヘルメス
「はい」

ゼウス
「ヘスティアをここへ呼べ。直接聞く」

その瞬間、アルテミスの手がわずかに握られる。
アポロンがそれに気付く。

アポロン(小さく)
「……妹よ」

アルテミスは答えない。
ゼウスは天空を見上げる。雷が激しく鳴る。

ゼウス(神としての宣告)
「もしそれが真実なら――その半神は、この世界に存在してはならぬ」

重苦しい沈黙が支配する神殿。
その時――神殿中央の空間に、小さな炎が灯る。

ゆらり。

その炎は次第に大きくなり、柱のように燃え上がる。
神々は静かに見つめる。

炎の中から、一人の女神が姿を現す。
炉と家庭の女神、ヘスティア。
彼女の姿は穏やかだが、その瞳の奥には深い悲しみが宿っている。

ヘスティアはゆっくりと周囲を見渡す。
かつて自ら座っていた玉座。そして兄弟姉妹たち。

ヘスティア(静かに)
「……久しぶりね、オリンポスは」

神々の視線が一斉にヘスティアに注がれる。
ゼウスが立ち上がる。その威圧感だけで空気が震える。

ゼウス(低く)
「……我が姉、ヘスティアよ。説明してもらおうか」

一歩、前へ出る。

ゼウス
「人間との間に娘がいる――アレスの報告は、事実か?」

神殿が静まり返る。
すべての神がヘスティアの答えを待っている。

ヘスティアは目を閉じる。
そして――ゆっくりとうなずく。

ヘスティア
「……ええ、事実よ」

ざわめきが爆発する。ヘラが立ち上がる。

ヘラ
「なんということを!!」

ゼウスの目に怒りの雷が走る。神殿の柱に雷が落ちる。

轟音。

ゼウス(怒り)
「処女神でありながら子をなすとは!!神の誓いを破ったか、ヘスティア!!」

ヘスティアはゼウスを真っ直ぐ見つめる。

ヘスティア
「それならば――」

神殿の空気が変わる。

ヘスティア(強く)
「同じ処女神であるアテナとアルテミスに子がいることは見過ごせるの?」

ヘラが前に出る。

ヘラ(冷酷に)
「当然でしょう」

ヘラはヘスティアを見下ろす。

ヘラ
「この二人は、処女神でもまだオリンポスの玉座に座る神。でもあなたは違う」

一歩、近づく。

ヘラ
「あなたは自ら玉座を降りた身。そこにいる――」

ヘラの視線がディオニュソスに移る。

ヘラ(冷たく)
「人間の血を引く神のために」

ディオニュソスは何も言わない。
ただ、俯いたまま拳を握りしめる。

ヘスティア
「……あの子は関係ないわ。すべては、私の意志」

ゼウスはゆっくりとアレスを見る。
その目に情はない。ただ、支配者の判断のみ。

ゼウス
「アレス」

アレス(即座に)
「はっ」

ゼウス(宣告)
「ヘスティアの娘を排除せよ」

神殿の空気が凍る。

ヘスティア(叫ぶ)
「!!」

一歩、前に出る。

ヘスティア
「やめて!!娘に手を出さないで!!」

その声は、神ではなく――母の声だった。

ゼウスは一切動じない。

ゼウス(冷酷)
「行け」

アレスは立ち上がる。その目に迷いはない。

アレス
「御意」

アレスの姿が消える。地上へ向かったのだ。

ヘスティア

「……!」

膝から力が抜ける。
炎が弱まる。

ポセイドンが苦々しい顔でゼウスを見る。
デメテルも怒りを隠せない。
だが、誰も止められない。
主神の命令、それは絶対。

ゼウスはヘスティアを見下ろす。

ゼウス
「神の秩序は絶対だ」

ヘスティアの目に涙が浮かぶ。
しかし、それは絶望ではない。決意だった。

冥界 ― ハデスの宮殿

暗黒の世界。死者の魂が静かに漂う。
巨大な玉座。そこに座る冥界の王、ハデス。

彼の前には、水晶玉。
そこに今の光景が映っている。
ハデスは静かに見つめている。

ハデス(静かに)
「……そうか。ヘスティアに……娘が……」

水晶玉に映る佳織の姿。
炎に包まれた少女。

ハデスの目が細まる。

ハデス
「ゼウス……今の時代、秩序がなんだというのだ?」

静かな怒り。
冥界の空気が揺らぐ。

ハデス(決意)
「この子は……殺させぬ」

ヘスティアの宮殿 ― 炉の神殿

静かな空間。
オリンポスの喧騒とは違い、温かい橙色の炎がゆらめく神殿。
中央には、巨大な聖なる炉。
その奥にある玉座に、ヘスティアがゆっくりと腰を下ろす。
炎が彼女を包むように揺れる。だが、その炎はどこか弱々しい。

ヘスティアは両手を胸に当てる。
そして――小さく震える声。

ヘスティア(かすれた声)
「……佳織……」

炎が揺れる。

ヘスティア
「佳織……」

目に涙が浮かぶ。

ヘスティア(涙をこらえきれず)
「どうか……無事でいて……お願い……」

炎が一瞬強く燃え上がる。
まるで母の祈りに応えるように。

ヘスティア(何度も)
「佳織……佳織……佳織……」

涙が頬を伝い落ちる。
神であっても、母だった。

東京都墨田区

都会の喧騒あふれる街。
この町にも朝が来た。

神宮寺家 ― 朝

目覚まし時計が鳴る。

ピピピピピピピピ――

布団の中でうごめく影。

佳織(寝ぼけ声)
「……ん〜……あと5分……」

ピピピピピピピピ――!!

突然、飛び起きる。

佳織(絶叫)
「うわっ!!」

時計を見る。

佳織
「え!?もうこんな時間!?!?目覚ましかけたのに〜!!」

慌ててベッドから飛び出す。
ドタドタと洗面所へ。
歯ブラシをくわえながら制服を持ってくる。

佳織(口に泡をつけたまま)
「なんで今日に限って寝坊なのよ〜!」

鏡を見る。
一瞬背後に揺れる“炎”の幻影。
佳織は気づかない。

リビングで康弘がコーヒーを飲んでいる。

康弘(落ち着いて)
「佳織、パン置いてあるぞ」

佳織(階段を駆け下りながら)
「ありがとパパ!遅刻する〜!!」

制服を整えながらパンをくわえる。

康弘(少し心配そうに)
「……佳織」

佳織は立ち止まらない。

佳織
「何〜!?」

康弘(少し間)
「……気をつけろよ」

佳織は振り返り、笑う。

佳織
「大丈夫だって!いってきまーす!!」

玄関のドアが勢いよく閉まる。

外 ― 住宅街

パンをくわえて走る佳織。

佳織(走りながら)

「ほんと最悪〜!!」

角を曲がった瞬間――

ドンッ!

誰かにぶつかる。そしてパンが落ちる。

佳織
「きゃっ!」

顔を上げる。そこには同級生の白石蓮。

蓮(呆れ顔)
「……またかよ」

佳織(真っ赤)
「れ、蓮!?見てたなら避けてよ!」

蓮(パンを拾いながら)
「朝から全力疾走すんな」

一瞬、蓮の背後に太陽の光が差す。
佳織には、また“光って”見える。

佳織(小さく)
「……あれ?」


「何ぼーっとしてんだ」

佳織(慌てて)
「な、なんでもない!」

2人は一緒に登校する。

墨田南高校 ― 教室

午前の授業中。
教室には静かな空気が流れている。

黒板には数学の式。
先生が淡々と授業を進めている。

先生
「では、この式を展開するとどうなるか。誰に答えてもらおうか――」

教室の生徒たちはノートを取っている。
佳織も真面目にノートを書いている。
しかし――少し眠そう。

佳織(心の声)
(うう……眠い……朝バタバタだったし……)

佳織は小さくあくびをする。
その時佳織の机の上に置かれたシャープペンの先から――ほんの一瞬だけ、小さな火花が散る。

チッ。

佳織は気づかない。

先生
「神宮寺、聞いているか?」

佳織(慌てて立ち上がる)
「は、はい!」

先生
「この問題の答えを言ってみろ」

佳織
「え、えっと……」

黒板を見る。
完全に分からない。

佳織
「……えーっと……」

蓮が小さくため息。
ノートを少しだけ見えるように傾ける。

佳織(小声)
「……ありがとう」

佳織が答える。

佳織
「答えは……x=4です」

先生
「正解だ。座っていい」

佳織(ほっとして)
「ふう……」

席に座る。
蓮がぼそっと言う。


「寝るな」

佳織
「寝てないもん!」


「ぼうっとしてんのは寝てんのと一緒だ」

教室には平和な時間が流れている。

モンゴル ― ゴビ砂漠

どこまでも続く砂、照りつける太陽。
熱風が吹き荒れる。

その砂丘の上に、アレスが立っている。
赤いマントが風に揺れる。

アレス(周囲を見渡し)
「…………あたり一面、砂だらけだ」

太陽を見上げる。

アレス
「しかも……なんという暑さだ……」

砂を踏みしめる。

ザッ。

アレス(考え込む)
「……報告では例の半神の娘がいるのは、日本という島国」

辺りを見渡す。

アレス
「しかしここは……」

その時、遠くから列車の音が聞こえる。

ゴォォォォ……

砂漠を走る鉄道、モンゴル縦貫鉄道。

アレス(指差しながら)
「……あれは確か、モンゴル縦貫鉄道とやら」

少し考える。

アレス
「ということはここはモンゴル……クソッ、日本ではなかったか……」

少し沈黙。

だが次の瞬間、口元がゆっくりと歪む。

アレス(不敵に笑う)
「……まあいい」

剣を肩に担ぐ。

アレス
「久々の狩りだ」

目が獲物を狙う獣のようになる。

アレス
「この俺が直々に討ち取ってやろう」

アレスの体から戦神のオーラが溢れる。
その瞬間空が赤く歪む。

ドォン!!

雷鳴。

アレスの姿が消える。
次の目的地は――日本。

昼休み

真夏の太陽が照りつけている。空は快晴。
校庭ではサッカー部が練習している。

屋上では佳織と友人たちが昼食を食べている。
弁当を広げ、和気あいあいとした雰囲気。
だが――日差しはかなり強い。

友達A(汗を拭きながら)
「にしてもさ〜……」

空を見上げる。

友達A
「もう夏か〜暑くない?」

友達B(うんざりした顔)
「ほんとそれ。この暑さで体育とか無理」

校庭を見る。

友達B
「サッカー部はこんな日でも練習とかさ〜大変だよね」

友達C(校庭を指さして)
「あれ見てよ」

佳織たちが下を見る。
多くの部員がバテ気味で走っている。
だが――蓮だけ異様に元気。

友達C(驚き)
「なんかさ、みんなバテてんのに、白石君だけめっちゃ元気じゃない?」

友達A
「ていうかさ、どんどんスピード上がってない?」

蓮がボールをドリブルで突破。
二人を抜く。さらに加速。
シュート。ゴールネットが揺れる。

友達B
「うわ、速っ!!」

友達C
「何あれ?今日いつもより強くない?」

佳織も身を乗り出して見る。

佳織
「ほんとだ!あいつだけめっちゃ速い!」

蓮は太陽の光を全身に浴びている。
その瞬間――ほんの一瞬だけ、蓮の周囲に光が揺らめく。
だが誰も気づかない。

友達A
「しかも全然バテてないし」

友達B
「なんか今日いつもより元気じゃない?」

佳織は太陽を見る。まぶしい。
そしてまた蓮を見る。

佳織(不思議そう)
「……なんであいつだけあんな元気なの……?」

その時、校庭の蓮がふと屋上を見る。
佳織と目が合う。蓮は少しだけ笑う。
そしてまた走り出す。

友達C(ニヤニヤ)
「今目合ったよね〜?」

友達A
「もしかして白石君って佳織のこと――」

佳織(慌てて)
「ち、違うって!!」

放課後 ― 墨田西高校の弓道場前

佳織は下校途中で、隣の墨田西高校の前を通る。
その奥に――弓道場。

「パンッ」

弓を引く音が響く。
佳織はふと足を止める。

佳織
「ん?」

弓道場の中をのぞく。
そこでは弓道部が練習している。
静かな空気、張り詰めた集中。
一人の少女が弓を構えている。

佳織(小さく)
「……あの子」

思い出す。

佳織
「確か……岬月菜ちゃん」

少し感心した様子。

佳織
「まだ1年生なのに弓道部のエースなんだよね〜」

月菜がゆっくり弓を引く。
ピンと張り詰めた弦。

静寂。

月菜(心の声)
(風……距離……問題なし)

矢を放つ。

パァン!!

矢はまっすぐ飛び――的の中心。
ど真ん中に突き刺さる。

弓道部員たち
「おおー!!」

部員
「またど真ん中!?」

別の部員
「すご……」

月菜は表情を変えない。
ただ静かに矢を下ろす。
夕日が彼女の髪を照らす。

佳織は感心して見ている。

佳織
「すご……めっちゃ上手い」

佳織は月菜の顔をよく見る。

佳織
「……あれ?」

少し首をかしげる。

佳織
「なんか……」

もう一度見る。

佳織
「蓮と顔が似てる気がするけど……」

腕を組んで考える。

佳織
「……あいつに妹なんていたっけ?」

少し考えるが、思い当たらない。

佳織
「うーん……」

肩をすくめる。

佳織
「ありえないか。そもそも苗字違うし」

歩き出す。

佳織
「じゃあ帰ろっと」

佳織はその場を後にする。足音が遠ざかる。

神宮寺家 ― 夜

夕食後、テレビの音が小さく流れている。
テーブルには食べ終えた食器。

神宮寺佳織がソファに座り、父・康弘を見ている。
佳織は少し真剣な表情。

佳織
「ねえ、パパ」

康弘(新聞を読みながら)
「ん?」

佳織
「ママのこと……」

新聞を持つ手が止まる。

佳織
「前にさ、私を産んですぐに亡くなったって言ってたよね?」

康弘
「……ああ」

佳織
「それは知ってる」

少しうつむく。

佳織
「でも……」

顔を上げる。

佳織
「せめてどんな人だったか知りたい」

沈黙。

康弘は新聞を静かに畳んで佳織を見る。

康弘(優しく)
「……佳織」

少し間。

康弘
「時が来たらちゃんと教えてやる」

佳織は少し不満そう。

佳織
「またそれ?」

康弘
「今日はもう遅い」

立ち上がる。

康弘
「もう寝なさい」

佳織
「はーい……」

佳織は少しだけ肩を落とす。

佳織
「おやすみ」

康弘
「おやすみ」

佳織は自分の部屋へ向かう。

静寂。

康弘は一人になる。
深く息を吐いて窓の外を見る。
夜空には星が輝いている。

康弘(小さく)
「……もう17年か」

その目に遠い記憶がよみがえる。

17年前 ― 神宮司家

若い康弘が立っている。腕の中には、赤ん坊。

康弘(混乱)
「本当に……俺の子なのか?でも……」

赤ん坊を見る。

康弘
「この子を育てられないってどういうことだ!?」

ヘスティアの表情には悲しみがある。

ヘスティア(静かに)
「……私は本来、子を授かってはいけない神」

康弘
「……え?」

ヘスティア
「私は処女神。でも同じ処女神でも、オリンポスの玉座にいるアテナやアルテミスとは違う」

康弘
「違う……?」

ヘスティア
「私は……」

少し目を伏せる。

ヘスティア
「もうオリンポスの玉座にはいない。もし……」

康弘を見る。

ヘスティア
「ゼウスに知られれば」

赤ん坊を見る。

ヘスティア(震える声)
「この子は……殺される」

康弘の表情が凍る。

現在 ― 神宮寺家

康弘は窓の外を見ている。夜の星空。
遠くで雷が光る。

康弘(小さく)
「……もう17年」

苦笑する。

康弘
「早いもんだな」

そして、空を見上げる。

康弘(静かに)
「ヘスティア……佳織は元気に育ってる」

ヘスティアの宮殿 ― 炉の神殿

炉の女神ヘスティアは炎の中を見つめている。
炎の中には――地上の光景。
愛娘、佳織の姿。
自室で眠りにつこうとしている。
ヘスティアはその姿を、愛おしそうに見ている。

ヘスティア(静かに)
「……佳織」

炎が優しく揺れる。
しかしその時、神殿の空気がわずかに歪む。
冷たい気配。炎とは正反対の――重く暗い気配。
黒い霧のような瘴気が、ゆっくりと広がる。

ヘスティアは目を閉じ、そして小さく微笑む。

ヘスティア
「……そこにいるのね……?ハデス」

その瞬間、神殿の中央に黒い炎が現れる。

ゴォォ……

暗い炎が渦を巻く。
その中から、冥界の王ハデスが姿を現す。
長い黒衣に静かな威圧感。

ハデス(低く)
「……やはり隠し通せぬか」

黒い炎がゆっくり消える。
ハデスはヘスティアの前に立つ。

ハデス
「久しいな、姉上」

ヘスティア
「ええ」

少し微笑む。

ヘスティア
「冥界の王が、こんなところまで来るなんて」

ハデスは答えず、炎の中を見る。
そこに映る佳織。眠る少女。
ハデスの表情が少し変わる。

ハデス
「……時に、ヘスティア。この子が……お前の娘か?」

ヘスティアは炎を見つめたまま答える。

ヘスティア
「……ええそうよ」

炎の中の佳織を優しく見つめる。

ヘスティア
「名前は佳織。歳は……」

少し微笑む。

ヘスティア
「もうすぐ17歳よ」

ハデスは黙って佳織を見つめる。
神としてではなく、叔父として。

ハデス(小さく)
「……そうか。うちの息子と同じ歳だな」

そして表情が険しくなる。

ハデス
「ゼウスめ」

拳を握る。

ハデス
「いくら神の誓いとはいえ、身内まで殺そうとするとは」

神殿の空気がわずかに震える。冥界の怒り。

ヘスティア(悲しそうに)
「……あの子は何も悪くない」

ハデス
「分かっている」

ハデスは炎の中の佳織をしばらく見つめる。

長い沈黙。

やがて――静かに口を開く。

ハデス(決意)
「……この子は」

ヘスティアを見る。

ハデス
「私が守ろう」

神殿の炎が揺れる。
ヘスティアの目が見開かれる。

ヘスティア
「ハデス……」

ハデス
「ゼウスが何を言おうと、この子は殺させはしない」

その声には揺るぎない威厳がある。

ハデス
「姉上の娘に指一本触れさせはしない」

炎の中で佳織が静かに眠っている。
その運命を――冥界の王が守ろうとしていた。

オリンポス ― 神殿・玉座の間

神殿の空気は重い。
多くの神々はすでに席を立ち、広間には数柱しか残っていない。

静寂。

その沈黙を破るように――海神ポセイドンがゆっくりと口を開く。

ポセイドン
「……なあ、ゼウス」

ゼウス(玉座に座ったまま)
「なんだポセイドン?」

ポセイドンは腕を組み、しばらく考える。
そして低く言う。

ポセイドン
「本当に……ヘスティアの娘は殺さねばならないのか?」

神殿の空気がわずかに張り詰める。
ゼウスは一瞬も迷わない。

ゼウス
「当たり前だ」

その声は冷たい。

ゼウス
「神の誓いは絶対。それを破ることは許されぬ」

ゼウスは玉座からゆっくり立ち上がる。

ゼウス

「かつてヘスティアがこのオリンポスの玉座に座っていた頃ならばまだ話は違った」

ゼウスはポセイドンを見る。

ゼウス
「だが今は違う。ヘスティアは自ら玉座を降りた。十二神に入れないディオニュソスのために」

雷が小さく鳴る。

ポセイドンはため息をつく。

ポセイドン
「……だがな」

少し顔を上げる。

ポセイドン
「ヘスティアの娘なら、お前や私にとっても――」

少し言葉を選ぶ。

ポセイドン
「姪だろう?」

神殿に沈黙が落ちる。
遠くで風が鳴る。

ポセイドンは本気で気が進まない様子。

ポセイドン(小さく)
「身内の子供を……そこまでして殺す必要があるのか?」

ゼウスの表情がわずかに険しくなる。

ゼウス
「ポセイドン」

その声は低い。

ゼウス
「お前は勘違いしている」

一歩、前へ出る。
神殿に雷が走る。

ゼウス
「これは家族の問題ではない。神の秩序の問題だ。もし処女神が夫を持ち、子を産むことを許せば、神々の誓いは崩れる。秩序が崩れれば――」

空が暗くなる。

ゼウス
「世界が崩れる」

雷鳴。

ポセイドンは黙る。だが納得はしていない。

ポセイドン(小さく)
「……そうか」

しかしその目はどこか遠くを見ている。

ポセイドン(心の中)
(ヘスティア……お前はこんな未来を望んだのか?)

ゼウスは再び玉座に座る。

ゼウス
「すでにアレスを向かわせた。すべては終わる」

神殿に雷が鳴り響く。だがポセイドンは静かに拳を握る。

ポセイドン(小さく)
「……そううまくいくかな」

ゼウスには聞こえない声。
海神はまだ諦めていなかった。

次の日 ― 住宅街の公園

夕方、オレンジ色の空。
子供たちの遊ぶ声が遠くから聞こえる。

その公園のブランコに佳織が一人座っている。
ブランコをゆっくり揺らしている。

佳織(ため息)
「はぁ……」

足で地面を蹴る。ブランコが小さく揺れる。

佳織
「あ~あ……」

空を見上げる。

佳織
「結局パパ、ママのこと教えてくれなかったな~」

少し考える。

佳織
「どんな人だったんだろ……」

夕焼けの空。雲がゆっくり流れている。

佳織
「優しかったのかな」

少し笑う。

佳織
「それとも……」

その時、空の色が変わる。
夕焼けとは違う異様な赤。

佳織
「……?」

風が止まり、公園の空気が凍り、鳥が一斉に飛び立つ。

佳織
「何……?」

空を見上げる。
空が――血のように赤く染まっている。

ドォォォォォン!!

雷鳴。
佳織の目の前の地面に雷が落ちる。
土煙が舞い上がり、ブランコが大きく揺れる。
遊んでいた子供たちはいっせいに逃げ出す。

佳織
「きゃっ!?」

煙の中から――一人の男が現れる。
赤いマントに鎧、燃えるような眼。

アレスはゆっくりと歩き出し、佳織の前で止まる。
そして――冷たい声。

アレス
「……見つけたぞ」

佳織は恐怖で動けない。

アレス
「ヘスティアの娘」

雷が空を裂く。佳織の目が見開かれる。

第1話 完

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