【東京下町を歩く】入谷・奥浅草・土手通り、天羽の梅とタイ料理ーー下町をゆく一日
「つゆのあとさき」というのだろうか。雨の重さがふっと抜けた空気の中、地下鉄日比谷線で入谷へ降り立った。目的地は決まっている。水上酒本店だ。

下町の酒屋というのは、どこかしんと落ち着いた佇まいをしている。棚に並ぶ一升瓶、量り売りの甘酒、季節ごとに入れ替わる地酒たち。今日のお目当ては「天羽の梅」。梅のエキス(写真右)である。
この梅(うめ)、実は飲み方に流儀がある。本来は焼酎をストレートでグラスに注ぎ、そこにこのエキスをひと垂らし。これが、立石の伝統ある店で受け継がれてきた飲み方なのだという。
焼酎の強い香りと、梅の凝縮された酸味と甘みが、グラスの中でゆっくりと混じり合っていく。家に帰ってから試してみたが、これがなかなか美味しい。一口含むたびに、立石の煮込み屋の喧騒や、カウンター越しに交わされる常連同士の会話が、勝手に頭の中に浮かんでくるようだった。下町の酒は、味だけでなく記憶や風景まで運んでくる。
水上酒本店を後にして、徒歩で次に向かったのは、浅草の但馬屋・太田垣商店さん。

豆を扱う店で、ここの豆がまた美味しい。煎り立ての香ばしい匂いが店先まで漂っていて、つい足を止めてしまう。実際に買ってみると、噛むほどに豆本来の甘みが広がる、飾り気のない美味しさだった。お土産にもちょうどいい一品である。
豆を提げて、今度は千束へ向かう。千束三丁目、四丁目とゆっくり歩を進める。このあたりは昔ながらの家と、新しく建ったマンションが入り混じり、下町らしい生活の匂いが今も色濃く残っている地域だ。昔の華やかさは感じ取れない。
そんな何気ない光景を眺めながら歩くのが、この界隈を散策する醍醐味だと思う。
千束、そして土手通りを抜け、日の出会商店街を通り、南千住へ。駅前まで来ると、お腹もちょうど空いてくる頃合いだった。立ち寄ったのは金太郎寿司。カウンターに座り、握りをいくつかつまむ。ネタの新鮮さはもちろんだが、こういう町の寿司屋特有の、気取らない雰囲気がいい。
値段も良心的で、軽く一杯やりながらつまむにはちょうどいい店だった。
寿司で小腹を満たした後は、再び徒歩で移動。
向かったのは国道沿いにあるsol Bangkok。タイ料理の店である。

和の雰囲気が続いた一日の最後に、ガラリと趣向の変わるタイ料理というのも、なんだか散策の締めくくりにふさわしい気がした。香草の効いたスープ、ピリッと辛さの立つ炒め物、ライムの酸味が効いた一皿。エスニックな香辛料の刺激が、歩き疲れた体にじんわりと染み渡っていく。
振り返ってみれば、今日一日で味わったものの幅は実に広い。梅のエキスと焼酎、煎り豆、握り寿司、そしてタイ料理。
和から洋へ、そして異国の味へと、まるでコースを辿るように移り変わっていった。けれど、それを繋いでいたのは終始「下町を歩く」という一本の軸だった。
入谷から千束、南千住へと続く道のりは、決して華やかではないけれど、一つひとつの店に積み重ねられてきた歴史と時間の厚みを感じさせてくれる。
つゆの晴れ間の散策は、こうして静かに、しかし満ち足りた気持ちで幕を閉じた。今日もありがとう。
(随筆随想)
