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私の中にあった「生きづらさゲーム」

次女が赤ちゃんの時、指しゃぶりしながらひとりで寝てくれたことに、私は驚いた。
長女の赤ちゃん時代は、いつも抱っこしていた。微かな物音で目を覚ますので、息を潜めて行動した。次女は横で長女が泣いていても、そのまま眠り続けていた。
同じ親から産まれた子でも、こんなに違うのだと不思議に思った。

そんな娘たちを育てながら読んだ本で、「HSC・HSP」という気質があることを知った。繊細で、刺激を受けやすく、人の気配や空気の変化を敏感に拾ってしまう気質。
読んだ瞬間、子どものことより先に「これは私のことだ!」と思った。そして長女もきっと、そうなのだと知った。

私は自分が「生きづらさ」を感じて生きていたことに、ようやく気がついた。
その時に初めて、自分と向き合い「良くがんばってきたね」と握手を交わせたような気がする。
それからは、自分の内面を見つめていくように努めた。
そうすると私は、自分を生きづらくさせるゲームをしていることに気がついた。

ひとつは、悲劇のヒロインゲーム
自分をかわいそうに見せたり、発言をすることで、気にかけてもらおうとする。
根っこには、子どもの頃に「お母さんにもっと見てほしい」という思いが残っていた。
弟妹たちより自分を見てほしい時に、「体調が悪い」「辛いことがある」と訴えれば、気にかけてもらえた覚えがあった。
原因がわかると、このゲームはほとんど手放すことができた。

そしてもうひとつが、罪悪感キャッチゲーム
誰かが不機嫌になると、「私のせいかな」「あれを言ったからかな」と、真っ先に自分の中で罪悪感を感じようと探してしまう。どうにかしようとしてしまう。
子どもが痛い思いをすれば、「私がこうしてれば」「あの時に伝えておけば」そんなふうに、思ってしまう。
時には私になんの責任もないことさえ、自分の責任を探して、罪悪感を感じようとしてしまっている。

人が不機嫌になることに恐怖を感じてしまうので、私が調整できるなら調整したい。そんな思いが働いているのだと、今の私は理解している。だからそろそろ、このゲームもやめていきたい。
「わたしはわたし、あなたはあなた」
そう唱えて、少しずつ変化させていきたい。

生きづらさを感じていたと気づき、それらのゲームを自分がやっているとわかった時から、私の心はずいぶん軽くなった。

だけど私の生きづらさの中には、優しさや思いやりも混ざっている。すべて手放したら、それは私ではなくなってしまう。

押しつぶされるほど抱えすぎていけないけれど、人を生きづらくさせるくらいなら、自分が少々生きづらい生き方をする方がいい、と思う私もいる。

私は他にも、生きづらさゲームをしているのかもしれない。
ふとした時にそれに気がついて、また自分の謎解きが始まったりするから、それはそれで面白い。

そんなふうに、自分の心のかたちを少しずつ変えながら生きていくことが、実は楽しいのかもしれない。

今は、そんなふうに思えている。



春野ましゃこさんの企画に、参加させていただきました。
生きづらさについて、考えを深めるきっかけになりました。ありがとうございました!

#ここがわたしの生きづらさ

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