実録小説 5円のかも(幡ヶ谷慕情)なつかしの昭和 (約3000字)
昭和40年代、学生時代のころの話を書こうとおもいます。
その1
留年、中退を余儀なくされた人
みなさんのまわりにいませんでしたか。
「中退はステータスだからね」などと耳にするくらいでした、あのころ。
たとえば麻雀が強い、色男で酒好き、俗っぽくなく学校には顔をみせない。
昭和44年学園紛争、東大、東京教育大(体育学部除く)の入試中止、その唯一の世代――仕方なく体育学部へ仮に籍をおきながらチャンスをうかがうが、そのうちあきらめてしまう――
世を斜にかまえるような、そんな先輩たちにわたしは憧れました。
半世紀あまり経たいま、記憶は曖昧で錯綜し美化されているとおもいますが、彼らの解剖を試みます。
☆
学生運動末の時代状況をふまえると、次のような言葉が浮かびます。
デカダンス、制度の犠牲。
権力への抵抗、リベラリズム、自由人。
彼らは前の二句に属するようです。
後ろ三句はどうか。
それは幡ヶ谷に開設されていた〇〇大学や学部一円に流れる空気と捉えます。
のみならず遠く東の空、小石川の茗荷谷近辺、さらにお茶の水の湯島聖堂あたりから、時空を超えて流れつくAtmospheres、名づけて〇〇大学スピリットというようなものではないでしょうか。
それが正しいかどうか、分かりません。
しかし、わたしは五つの語句すべてを好み、この素養をもつすべての人を愛します。
☆
昭和49年の秋、ケガで部活からはなれ、薦められていた最終の大学院受験に挑みます。
募集はこの年度がラストなので、よく覚えています。
結果は一瞬合格すぐに不合格。
「〇〇社会学科は定員オーバー、だが管理学ならば進めるけど、どうします?」
えっ!? 南極行きたいのに北極はどうかッて、行かないです行かない。
これが奈落への第一歩、気力は失せるの甑島、バイトと雀荘通いに明けくれで、二年はあっという間の秒速進。
☆
昭和五〇、五十一年、学生のすがたが年々、数が減るのは当局が表向き移転、その実、廃校をすすめるからです。
日ごと校舎が解体されるのを目に、まるで真綿で首をしめられるような、そんな空気が学生の胸を締めつけます
☆
移転か廃校かの見解は二分されたまま今に至ります、一例を挙げると……
ある酒席で生前の大先輩K氏(高等師範・昭23年卒、文理大・昭26年卒)に問うたことがあります。
意外な応えにわたしは落胆させられます。
「終戦直後、文理大は合併して名を変えたよ君、たしか二年か三年のときだったかなははは」
☆
あまり出校しない留年組のほうが学舎の変化によく反応するのは、何とも皮肉な話です。
木造校舎から学食への通路は陰々と暗がりをなしていました。
解体の手が進むにつれて、施設はたちどころにさら地へ……暗がりに明るい光がさすようになる。
暖かくていいじゃないか⁈
しかし何があったかを思い出せずにかしげる首、記憶の底のBlack point
これに戸惑い、混乱し、あっけにとられます。
☆
国立大学廃校という前代未聞の珍事、是を見ずして何をか見む、歴史的証人になろうと心に誓う――はずでした。
ところが留年ダミー、実は甑島、中退の文字さえちらつかせるといったありさま、すっかり奈落の底へと落ちます。
そんな愚息をただおかないのは父親の常、眉間に青すじ立てながら、まるで稲光る鬼、
「留年⁈ てやんでぇ箆めッ、てめえなんざァトウフの角ォ頭ぶッけて死んじまえ……」
☆
ある昼過ぎ、グランドで二名の後輩が寂しくプレーするのが見えます。
Not do what I have doneとつぶやきながらわたしは悄然として、朽ちた鉄筋校舎に身をひそめます。
ホコリだらけのピアノが一台、ふたにはうっすら指の跡、タバコのヤニ色した鍵盤をぽんとたたくと狂った音色、まるで西部劇の酒場から聴こえるような音痴なピアノ 虚しくもまた悲しい音色です。
人目をさけ、ぶらぶらするうちにいつしか夕ぐれ。
財布には硬貨一枚ばかり、うちへ帰れない、箆にも会いたくない。
これも血すじ、博打に麻雀、色と酒、ぱあーと使っちゃう、宵越しの銭を持たない質でして。
学生たちが帰るのをしおに、そっと控え室へ忍びこむ……
ってなわけでして、さながら学内ホームレス、ひと夜をたよるところがない。
☆
二年前ならば、《立原荘》を頼ることができました。
下宿する先輩SさんGさん、そして同級がわたしを待ってます、いいや待ってませんよ待たない。
ともかくあの外階段をポンポンと上がる、お世話んなりますとご挨拶申しあげれば、どうにかなったん…(間)。だが皆さんすでにご卒業。
つぎに焼き鳥屋《あき》のおやじ、《白亜館》店長秋山さん、一夜だけ軒先にでも。
顔をおもいうかべるのもあきれた了見、やむなく行き先は決まってくる。
5円玉をぎゅっと握りしめて駅前ビル三階の雀荘《どん》へ、というわけで。
――よんどころない事情をかかえてのことであろう留年、中退の先輩たち(復学の道がすでに絶たれている)とおよそかけはなれる、そういったご批判を承りながらもわたしのケース、こうして恥をしのんでのお噺、題して『5円のかも』、お後がよろしいようで… (♩♫笛、三味、太鼓)
☆
果たして彼らは自由人になれたか そして、いまでも自由に暮らしているか それは分かりません。
その2
孤兵在丘佇 春坂偲友影
関風嘆失壁 頼人悲無既 (杜白*)
(敗兵ひとり丘にたたずみ春の坂道に戦友の面影を偲ぶ。風を関とめる壁がないと嘆き、友はすでにこの世にいないと悲しむ。)
昭和五十二年春、桜の樹の下、運動場を見おろす。
すり鉢状の底に楕円の走路、硝子の欠けた体育館、土のひび割れた蹴球場がみえる。 文服側の金網は破られ三毛猫の尾っぽ。
水枯れたプールの青壁から緑の雑草。
ああ幡ヶ谷よ、おまえはなんとグロテスクな姿をさらすのか。
廃虚と化す古代ギリシャの遺跡をみたような寂寥が心に生ずる。
夕ぐれから夜、高台から東へ下る谷 雑木林のかげにいぶせきあばら家の、欠けた瓦をへだてて遠く超高層ビルの群、このアンバランスがさらなる憂うつを募らせる。
闇が深まるにつれ、空は藍から紺青、ビルに明かりが灯ると丸く大きな淡黄の月、まるで絵画だ。
これをじっと眺めていると底知れぬ絶望が胸をつく。
そして意を決する。角をまがれば玉川上水、太宰治のあとを追おう。
しかしそれは見果てぬ夢
旧上水はすでに水枯れてただの草むら、溺死はおろかカスリ傷ひとつ負えぬ。
あれより幾年経たろう。いま嬉々として毬と戯れる、あまた老翁らの姿がわが眼に映る。
憾むらくはすでにこの世を去った三名の友、その面影。
やがて居酒屋《東》に合し、杯を交わすころともなれば、何処からともなく一条の光明がわが心に灯るだろう。
(了)
* 杜甫、李白をあわせており誤認の類でなどではなく、従い出鱈目な五言絶句とわかります。
最後までおつきあいをありがとうございます。
