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【日刊雑学】人魚のモデルがマナティではないと言える理由【第155号】

水平線の向こう、夕闇に染まる海を見つめていると、ふと奇妙な影が波間に浮かぶ。

「人魚を見た」

大航海時代の船乗りたちが、命がけの旅の途中でそう叫んだ記録は世界中に残っています。現代の私たちは、教科書や図鑑でその正体をこう教えられます。

「人魚の正体は、ジュゴンやマナティの見間違いである」

水面から顔を出して、前肢で子どもを抱きかかえながら授乳する姿が、遠目には人間の女性に見えたのだろう、と。

なるほど、確かに合理的で、賢そうな説明です。

でも、当時の記録や彼らの暮らしを少し深く掘り下げてみると、この「海牛類モデル説」には、どうしても無理があると思えてならないのです。

いくら何でも無理がありませんか。何ヶ月も海で暮らしてきたプロの航海士たちが、あのはっきりとした灰色の、お世辞にも人間そっくりとは言えない動物を、美しい女性と見間違えるなんて。

この「人魚=マナティ説」の裏に隠された、人間の脳の切ないバグについて、少し切り分けて考えてみたいと思います。


 航海士たちの目はそんなに節穴だったのか

物理的な事実から考えてみます。

船乗りたちの言い分として、特に多く残されているのが「髪の長い人魚が岩場にいた」という目撃談です。

ここで最初の強烈な違和感が生まれます。ジュゴンにもマナティにも、髪の毛はありません。肌はつるりとした、あるいはざらざらとした、分厚い灰色の皮膚に覆われているだけです。遠目に見ても、あれを「豊かな黒髪」や「輝く金髪」と見誤るには、相当な視力の限界が必要です。

大航海時代の船乗りたちの視力は、現代の私たちよりもはるかに良かったという説があります。常に数キロ先の水平線を見つめ、わずかな波の立ち方で隠れた岩礁を察知しなければならなかった彼らの目は、生き残るための超高性能センサーでした。

そんな彼らが、至近距離、あるいは望遠鏡の先でマナティを見て、「髪の長い美女だ」と本気で日記に書くでしょうか。

クリストファー・コロンブスも、航海日誌に人魚を見たという記録を残していますが、そこにはこう書かれています。

「想像していたほど美しくはなかった。どことなく顔が男に似ていた」

この率直すぎる感想、妙にリアルです。コロンブスが見たのは、おそらく本物のマナティでした。彼は「これは人魚じゃない、ただの珍しい動物だ」と、ある程度冷静に認識していた節があります。

他の船乗りたちが大真面目に報告した「美しい人魚」は、どこからやってきたのでしょうか。


極限の海がもたらした脳の19ヘルツ

注目したいのが、当時の船の上の、あまりにも過酷な環境です。

数ヶ月に及ぶ航海。食べるものは塩蔵の硬い肉と、虫のわいたビスケット。真水は腐りかけ、ビタミンは完全に不足しています。

当時の水夫たちの多くは、壊血病に冒されていました。
この病気は、体がボロボロになるだけでなく、脳に深刻なダメージを与えます。極度の精神的不安定、うつ症状、そして激しい幻覚です。さらに、保存食の缶詰から溶け出した鉛による中毒や、慢性の睡眠不足、脱水症状が、彼らの脳を限界まで追い詰めていました。

心理的な飢餓感も無視できません。何ヶ月もの間、男だけの閉ざされた空間で、生と死の境目を彷徨う。そんな極限状態の中で、彼らの脳は動くものに対して、強烈な願望を投影し始めます。

認知科学の分野では、人間は強いストレスや恐怖を感じると、無機質なものや動物の輪郭を「人間の姿」に脳内で勝手に補正してしまうバグがあることが知られています。

船乗りたちを襲ったもう一つの敵が、静かな海で発生する低周波音です。
風や船体がきしむ音、あるいは波の振動が、人間の耳には聞こえない「19ヘルツ付近の振動」を作り出すことがあります。この低周波音を人間が浴び続けると、理由のない恐怖感や、誰もいないのに視線を感じる気配、そして視界の端にありもしない影を見るという研究結果があるのです。

彼らが見た人魚は、マナティという実在の動物ではなく、限界を迎えた脳が見せた立体的な幻覚だった可能性が極めて高い。

岩場の上で上半身を反らせて休むアシカやオットセイの濡れた体、あるいは水面を漂う海藻。それらの一瞬のきらめきが、脳の中で「不老長寿の美しい人魚」へと、3Dグラフィックスのように完璧に補正されてしまった。私はそう睨んでいます。


日本の人魚はなぜ魚の味がしたのか

ところが変わって、ここ日本の人魚伝説に目を向けると、話の毛色がガラリと変わります。

西洋の人魚が歌声で男を惑わす美女であるのに対し、日本の伝統的な人魚、例えば有名な「八百比丘尼」の伝説に登場する人魚は、とにかく「食べると不老長寿になる肉」として描かれます。

その外見の描写が非常に生々しいのです。
「頭は人間で、体は完全に魚。声は子供の泣き声のようで、肉はたいそう美味であった」

ここには、西洋のようなロマンチックな恋愛感情や、美しい女性への憧れは一切ありません。あるのは、どちらかというと不気味な未確認生物としてのリアリズムです。

日本独自のこの描写の正体として、最近の研究で有力視されているのが、深海魚の「リュウグウノツカイ」です。

めったに人前に現れないこの魚は、銀色の細長い体に、鮮やかな赤いタテガミのような背ビレを持っています。波打ち側にこれが打ち上げられたとき、当時の人々が「赤い髪をした、この世のモノではない怪物の死体」と認識したとしても、なんの不思議もありません。

じっくり観察すればするほど、ジュゴンやマナティという一つの答えだけで、世界中の人魚を説明することには無理があることに気づかされます。


答えのない海の向こうに

こうして切り分けて考えてみると、人魚伝説は海洋生物の誤認という単純な話ではない気がしてきます。

それは、大自然の圧倒的な広さと恐怖を前にした人間が、自らの心の形を海に映し出した、一種の鏡のようなものでした。

科学が発達し、望遠鏡が普及し、海の底まで衛星でスキャンできるようになった現代、人魚の目撃談はピタリと止まりました。私たちは正体を知ってしまい、海から未知の畏怖が消え去ったからです。

マナティが前肢で子を抱く姿は、生物学的に見れば、水中生活に適応するために骨の重さを最適化した、驚異的な進化の形です。それ自体、ものすごく面白い事実です。

あの暗く、どこまで続くかも分からない大航海時代の海で、壊血病に震えながら水夫たちが見上げた幻の人魚の美しさには、人間の脳が持つ、切ないほどの想像力のきらめきが詰まっています。

もしあなたが、真っ暗な夜の海辺に立つ機会があったら、少しだけ目を凝らしてみてください。脳の錯覚が、波の音の中に、一瞬だけ長い髪の影を形作るかもしれません。私ならきっと、探してしまいます。

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