言語化不能【#noteでBL】
実はひっそり「参加したい…!」と思っていた企画。ついに参加です。皆様、よろしくお願いします。
不手際等、何かありましたらお知らせください。どきどきする。
ジャンル
ファンタジー
あらすじ
小説家である僕──陽斗は、文字でしか世界を見ることができない。桜も海も楓も雪も、この世界の全ては僕の眼球を通すと言語化されてしまう。
そんな僕の担当編集である薫は、「言語を超越する一瞬がある」と言い、僕に様々な美しいものを見せようとする。そんな彼の想いに応えることはできず、それでも彼に突き動かされるように僕は彼とともに海へと向かう。そこで、僕が見たものは。
世界が言葉にしか見えない小説家が、言葉を超越する何かを探す「言語化」ファンタジーです。
本編
ふと、振り返るとそこには夏があった。かつての思い出だとか向日葵畑だとかがあったのではない。文字通り、「夏」があった。一画目に横線を引き、二画目に短くはらう「夏」という漢字があった。それは世間的に見ればとても奇妙な事かもしれないが、僕にとってはとてもありふれた出来事だった。
僕は、風景が言葉に見える。世界のありとあらゆるものは僕の眼球を通して言語化され、文字となって僕の脳内にて処理される。難読漢字とそうでもない漢字、ときどき平仮名と片仮名に満たされた風景は、僕からすればありふれたものだった。
つまり、僕の目に写っているであろう風景そのものが「夏」として僕に届いたのだ。分かりづらい? 説明はいつだって難しいからね。
夏の向こうには、「吉野家」と「十字路」が見える。この体質は情報量が多過ぎて、無意識に多くのものをシャットアウトする癖がついた。そうしないと、夏は景色が一面「蚊」や「虻」で満たされてしまう。ため息をつくと、目の前に一瞬だけ「二酸化炭素」の文字がちらついた。
「陽斗さん!」
十字路の向こうから僕を呼ぶ声がして、視界の右端に「薫」という文字が躍り出た。息せき切って駆けてきた様子の彼からは、「二酸化炭素」の文字が細かく何度も吐き出されている。
「薫。今日は早いね」
どうにか呼吸を落ち着けている薫にそう言うと、彼は「はい」と言った。その低くて優しい声が、すっと心に染みていく。
薫は編集者をしている。そして、僕は彼の勤める出版社に何度も小説を持ち込んでようやく連載にこじつけた、しがない小説家。
「いつもは陽斗さんが早すぎるんです。で、書けましたか?」
「今日はプライベートでしょう? 何処かへ連れて行ってくれるんじゃなかったっけ」
薫という文字が、ほんの僅か揺れる。肩を揺らして笑ったのだろうか。僕は文字でしか世界を認識できないから、薫の姿を知らない。どんな顔をしていて、身長はどれくらいで、髪型はどういう風で──。そんなこと、何一つも知らない。それなのにいつの間にか、彼には心を開きつつあった。
「陽斗さんは、何処に行きたいですか?」
薫の草冠が、ほんの僅か右に傾いた。小首を傾げる薫の姿を思い描こうとして、それさえも出来なくてやめる。人の姿を思い浮かべたいと思ったのは、初めてのことだった。
「どこでもいいよ。全部文字にしか見えないし」
僕がそう言うと、草冠が少し沈み込んだ。項垂れているのだろうか。どういう表情をしているんだろう。僕を見つめているであろうふたつの瞳は、どういう色をしているのだろう。
「……でも、言語化できないものもあると思うんです」
薫はそう言ってから、文字を反転させて歩き出す。僕がその後に続くと、薫はゆっくりと、子供に言い聞かせるように話し始めた。
「例えば、海に反射する陽光の煌めき。風に散らされた桜が舞う一瞬。紅く染まる楓の隙間を縫って届く木漏れ日。そういうものは、一瞬でも言語を超越すると思うんです」
「……そうかな」
僕がそう呟くと、薫は急に立ち止まった。文字がぎゅっと捻れて、振り返ったのだとわかる。
「陽斗さんは、自分の姿も文字でしか見たことがないんですか?」
「そうだよ」と応じると、一瞬だけ静寂が訪れた。それから僕らの脇を大型トラックが轟音とともに通過して、空の高いところで烏が二度鳴いた。
「……陽斗さんは」
薫はこちらに向き直ってから、訥々と話し始める。
「陽斗さんは、少し癖のある長い髪をしています。目ははっきりとした二重で、瞳の色は夜の色をしています。背は僕よりも少しだけ高くて、指の長い手をしている。あと……」
「薫」
「陽斗さん。あなたの瞳に映る僕は、たった一文字だけの存在ですか。それ以上には、なれませんか」
薫という文字が小刻みに震えている。文字でしか世界を見れなかったからこそ、彼が発した声の色とそこに込められた意味はわかるつもりだった。そして、その言葉を聞いて胸の中に生まれた感情がたった一文字で表せるということも、僕はもう知っていた。
薫という文字の向こうに、高く昇って行く途中の太陽という文字が見える。夏という文字も、風景のひとつひとつもシャットアウトされていき、僕の視界には薫だけが浮かび上がっている。その草冠はがっくりと項垂れている。洟を啜る音が夏の喧騒の合間に聞こえて、薫が泣いているのがわかった。
「君の気持ちは、嬉しいよ」
項垂れていた草冠が、跳ねるように起き上がる。
「でも」
「……はい」
「僕には、君も文字でしかないんだ。父も母も、僅かばかりの友人も皆、僕にとっては文字でしかなかった。僕にとっての世界は文字なんだ。そこに、恋や愛なんてない」
「……でも」
「わかってくれ」
草冠が、またがっくりと項垂れた。それを何度か左右に揺らして、薫は努めて明るい声で言った。
「……今から、海に行きませんか」
僕は「いいよ」と頷いた。こうして、僕らは海へと向かった。
薫の運転する車の助手席から、僕はずっと景色を見ていた。車内には古いブルースが流れていて、薫は少し「そういう」雰囲気を作るのが下手なのだと思って心の内で苦笑いをした。
海猫、鴎、浜萱草、磯菊、砂浜。全てが文字で構成されたこの世界で、僕は小説家になるしかなかった。今更、文字を超越する存在なんて、僕の人生にできるわけがない。たとえ隣で鼻歌交じりに車を運転する彼が僕を強く望んでいるのだとしても、僕には誰かを愛することはできない。
窓を開けて海猫が鳴くのを聞きながら、この胸の中に生まれてしまった感情をどうにか言語化し続けた。
「着きました」
車を降りた薫は、僕を置き去りに歩いて行ってしまう。僕はそれをゆっくり追いかけながら、彼の向こうに広がる文字の海を見ていた。
薫は砂浜の上で立ち止まると、僕の方を振り返った。
「……どうですか? 文字を、言語化できるものを超えてはいませんか?」
「……残念ながら」
僕が首を振ると、薫は「そうですか……」と言ったきり黙ってしまった。どうやら砂浜に座り込んだ様子の薫の隣に腰を下ろして、僕は海を見た。
きっと、僕ではない誰かが見たこの景色は本当に美しいのだろう。海に反射して煌めく陽光だとか、砂浜で逞しく咲く花々だとか、そういうものが人々の心を動かすのだろう。
どうして、どうして僕はこういうふうに生まれたのだろうか。花々も風景も、慕ってくれた人さえも、文字としてしか処理できない。こういうふうに宿命づけられた意味は、何処にあるのだろうか。
「陽斗さん」
不意に名前を呼ばれて、我に返る。薫は真っ直ぐ海を見たまま、僕の名前を呼んだようだった。
「僕、また探します。陽斗さんの宿命だとか運命だとかが言語化できないほどに美しい景色を。美しい場所を。……たとえ、僕がそういう存在になれなくても」
「……献身的だね。というか、狂信的だ」
「そりゃそうです。陽斗さんと、その才能に惚れていますから」
「僕の才能?」
「ええ。僕らとは見えている景色が違っても、陽斗さんが書く情景は何処までも美しい。人の心の細かい機微を描く技術にも秀でている、僕にとっての憧れです」
「……照れるね」
僕が笑うと、薫は「本当のことですよ」と言ってこちらを向いた。その瞬間を、僕は永遠に忘れないと思う。
眉のすぐ下まで伸びた、真っ直ぐな黒い髪。そこから見える瞳は夜というよりも朝焼けの色をしていて、数字だけで知っているはずの彼の年齢よりもずっと大人びて見えた。強い夏の陽光が彼の白い右頬を照らしていた。優しく微笑んだその顔は、僕が初めて見た生身の人間の顔だった。
二度瞬きをすると、僕はあっと言う間に文字だけの世界に引き戻された。呆気にとられる僕に、草冠が少し傾いた。
「どうしました?」
「……なんでも、ないよ。大丈夫」
ぎこちなく笑ったであろう僕に、薫は微笑みを返したのだろうか。たった一文字のその向こうに、もうあの微笑は見えない。
「薫」
「はい」
「次は、君も見たことのないような綺麗な花を見せてくれ」
「……はい!」
薫という文字が、歌うように揺れている。次はいつ、あの微笑に会えるだろうか。そうして見えた景色を、世界を、僕は言葉にできるだろうか。
運命でさえ、この希望を言語化できない。
了(3,310字)
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