【短編】夜色
梨名さんはぼんやりと、窓の外を見ている。静かに広がる夜の海を見つめるその横顔を、僕は珈琲を飲むふりをしながら盗み見た。
「私の顔、何か付いてる?」
窓の外を見たまま、梨名さんが言う。ばれていたのか、と僕は観念する。
「僕を惹きつけるフェロモンが付いています」
「面食いめ」
「梨名さん限定です」
「誰にでも言ってるでしょ」
「僕は一途ですよ」
「それは、まあ、知ってる」
「ゾッコン」
「古いわ」
梨名さんはそう言うと、僕をまっすぐに見据えた。僕は面食らって、珈琲に咽る。梨名さんは僕の様子をひとしきり楽しんでから、ゆっくりと僕に訊いた。
「珈琲の色って、何色だと思う?」
僕は、自分の珈琲を見つめる。珈琲の色は、珈琲の色。でも、そう。たとえるならば
「夜の色……ですかね」
「夜はもっと、きらきらしているような気もするけど?」
「だから、です」
「どういうことか、教えて?」
梨名さんは、ゆっくりと自分のカップを持ち上げて、小首を傾げた。たった一口の珈琲を飲むその仕草に、僕の心はすっと惹き込まれる。鼻腔をくすぐる珈琲の香りと、目の前にいる女神。これ以上の幸福が、どこかにあるというのだろうか。
「……ねえ」
「あ、すみません。梨名さんに見惚れてました」
「馬鹿。 ……でも、そうね。さっきの答えが面白いものだったら、私をずっと見つめててもいいよ」
「はい?」
「ずっと、見つめててもいい。だから、教えて?」
僕は長く息を吐き出して、答えを整理する。図らずも訪れた、千載一遇の好機。ここで失敗はできない。梨名さんを見つめる。美しさに、眩暈がする。
「……夜は、どこまで行っても夜で、闇なんです。ネオンライトで照らしても、炎を焚いても」
「……それで?」
「どんな灯りさえ飲み込んで……いや。幾億の灯りを飲み込むことで、夜はその美しさを増す。珈琲も一緒です。人生の甘味も苦味も飲み込んで過ごす人々にこそ」
「……心身に深く沁み渡る……と?」
「……まあ、そういうことです」
梨名さんは「そっかあ」と呟いてから、天井を見た。「んーーー」と言いながら、足をぱたぱたさせている。不意に見せる子供のような仕草に、僕の情緒は不安定になる。女神なのか天使なのか、はたまた小悪魔なのか。そこのところは、はっきりさせてほしい。
「四十点」
梨名さんは僕を見ないまま、そう呟く。
「……残念です」
僕が言うと、梨名さんは「ただし」と言いながら僕を見つめる。
「一途な君に免じて、六十点加算しよう」
「それは、つまり……」
「満点、だね」
「梨名さんをずっと見つめてても、いいと」
「できる限り遠くからね?」
「それは、詐欺ですね」
「誇大広告と言ってくれる?」
梨名さんは微笑む。どこか楽しんでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
「ところでさ」
「はい」
梨名さんは、また一口珈琲を飲む。
「次は、珈琲の香りについて話しましょう?」
小首を傾げた梨名さんの頬を、店内に差し込む月明かりが照らしている。流れているジャズが、梨名さんの言葉と共に、ほんの一瞬途絶える。
「今度の商品は?」
「……そうね。『私と一日を共にする権利』とか?」
「誇大広告ではないことを祈りますよ」
「言っておくけど、私の一日は六時間だけだよ?」
「六時間あれば、まあ十分です」
「何に十分なのかしら」
「……ここでは言えないことです」
「変態」
「その言葉、甘受します」
「ド変態め」
梨名さんは楽しそうに笑った。
僕は脳内で必死に言葉を探していた。変態と罵られてもいいから、僕はこの人のそばにいたい。珈琲のカフェインとは別の理由で覚めた頭をフル回転させながら、僕は目の前の女神を見つめた。
了(1467字)
あとがき
やっと参加できたー!!!
ずっと書きたかったの! やっと書けた。
「梨名」は、先日卒業を発表なされた櫻坂46の井上梨名さんよりお借りしました。いのりちゃんがいてくれること、いてくれたこと。その重みを痛感する数日でございます。いのりちゃんの未来が、きらきらした未来でありますように。
なんでしょう。
珈琲のお話ではあるけど、僕の性癖の話にもなってない? 大丈夫? コンプライアンスに触れない?
……まあ、いいや。
楽しんでくだされば幸いです。カフェインレスコーヒーで我慢しよう。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは、通院費と岩手紹介記事のための費用に使わせていただきます。すごく、すごーくありがたいので、よろしくお願いします。チップって名前にちょっとだけ違和感ありません…?