見出し画像

「街へ出ろ」と言われても。冬の『Takin' It To The Streets』は玄関で終わる。こたつでみかんの皮を剥く午後とドゥービー・ブラザーズ

重厚な鍵盤が鳴り響き、マイケル・マクドナルドが地を這うような声で「街へ出よう」と歌い上げる。よし、今すぐ外へ飛び出し、何か新しい自分に出会おうではないかと立ち上がった。

玄関の扉を一寸ほど開けた瞬間にすべてを察した。

とんでもなく寒い。

皮膚を刺すような冷気に鼻先を打たれ、冒険心は一秒で霧散した。結局、静かに扉を閉め、厚手の毛布にくるまった。理想の自分は街の雑踏にいるのかもしれないが、現実の僕はこたつという名の楽園から一歩も動けない。

そもそも、この『Takin' It To The Streets』という曲自体、そんな「理想と現実のギャップ」から生まれたような奇跡の一曲なのだ。

一九七〇年代の半ば、ドゥービー・ブラザーズは解散の二文字がちらつくほど行き詰まっていた。看板だった主柱が病気で戦線を離れ、それまで誇っていた豪快な馬力が、今にも尽き果てようとしていたからだ。そんな窮地に、ふらりと現れたのがマイケル・マクドナルドである。

彼は仲間に誘われる直前まで、表現者として生きていくことを半分諦めていた。生活のためにガソリンスタンドで働こうとしていたのだ。当時の彼は、明日の食事にも困り、糊口を凌ごうとしていた、ただの食い詰め者であった。もし彼があの時、整備士の作業着に袖を通していたら、その後の世界は今とは少し違う、もっと退屈なものになっていたはずだ。

彼が持ち込んだこの一編は、それまでの彼らの歩みとはまるで違っていた。それまでは、荒野を二輪車で突っ走るような、土埃の匂いがする連中だった。ところが、この新参者が持ってきたのは、都会の舗装路に似合う、やけに洗練された響きだった。

最初、相当戸惑ったに違いない。自分たちの色が消えてしまうのではないか、と。けれど、彼らはその違和感を面白がることにした。泥臭い連中が、急に背伸びをして都会的な服を着る。その調和のなさが、結果として奇跡的な化学反応を引き起こしたのである。

僕たちはよく、自分はこうあるべきだ、という思い込みに縛られてしまう。今の仕事や生活、自分が選んできた道。そこから一歩でも外れることを、どこか怖がっている。けれど、この曲を聴いていると、そんなこだわりなんて案外どうでもいいことのように思えてくる。

食い詰め者だった男が、ふとしたきっかけで名門の歴史を塗り替えてしまった。彼が、自分はこの場所に相応しくない、と遠慮していたら、この名作が陽の目を見ることはなかった。

「街へ出よう」という言葉は、きっとそういうことだ。自分の部屋でじっとしているのではなく、外の空気に触れて、自分とは違うものと混ざってみる。そうすることでしか見えない景色がある。

この曲が流れてくると、少しだけ足取りが軽くなる。

実際には、こたつの中で足をばたつかせているだけなのだが、心はどこか、遠くの面白い場所に辿り着けるような気がしてくるのだ。

いいなと思ったら応援しよう!