”カナダで普通の生活を送るのは、もう限界”、だそうです。
その一文を見たとき、思わず「あなたに何が分かるの?」
と心の中でつぶやいた。
日本のYouTuberの投稿だった。
カナダの住宅価格や家賃の高騰、
止まらないインフレ、
医療の崩壊、
そして移民の急増。
それらが、この国をどれだけ“住みにくくしているか”
という解説。
頭では理解できる内容だった。
けれど、外から簡単に言い切られることに、
カチンとくるものがあった。
ここで生活している人間の現実は、
そんな一言で片付けられるほど単純じゃない。
そう思ったからだ。
丸二日、考えてみた。
あらためて冷静に眺めてみると
最初の感情的な反発は少しずつ静まっていった。
もしかすると、あの指摘は、悲しいかな
全く的外れでもないのかもしれない。
――思い返せば。
私がこの国に来たのは、もう35年も前になる。
あの頃のカナダは、もっと肩の力が抜けていた。
ホストファミリーは、ごく普通のブルーカラーワーカー
だったけれど、生活にはどこか余裕があった。
一緒に行ったグローサリーストアで、
「好きなものを何でもカートに入れなさい」
と言われたときのことを、今でもよく覚えている。
遠慮のない私は、毎日3食どころか4食、5食分まで平気で食べていた。
それでも彼らは笑いながら、
「うちの娘も月に200ドルくらいしか入れてないから、
それでいいわよ」と言ってくれた。
あの言葉の裏には、経済的な余裕だけではない、
ある種の「心の余白」があった気がする。
住宅ローンは今の半分、場所によっては4分の1ほど。
多くの人にとって、生活は今よりずっとシンプルで、
そして穏やかだった。
そして今。
数字には表れにくい、“空気の変化”のようなものを
感じることがある。
ドラッグの問題と、それに伴う治安の悪化。
この10年での変化は、決して小さくない。
かつてはアメリカのニュースの中でしか起こりえなかった
銃犯罪が、今ではこの小さな町でも頻繁に起きる。
Facebookに流れてくる「今の、銃声じゃない?」という投稿。
そんな言葉が日常の中に紛れ込むようになった。
現実がすぐそこまで来ている。
それでも人って慣れていく。
ぬるま湯の中のカエルのように、少しずつ変わっていく環境に、
違和感を持たなくなっていく。
完璧な国など、どこにも存在しない。
それは分かっている。
けれど、それでも。
かつて自分が知っていたカナダと、
今目の前にあるカナダが、
少し違って見えるのもまた事実だ。
その違いに、ふとした瞬間に気づいてしまうからこそ、
言葉にしづらい喪失感のようなものが胸に残る。
でも――。
限界に達しているのは、本当にカナダだけなのだろうか。
皆さんの住む街でも、かつての『あの頃』と今の間に、
埋められない溝のようなものを感じることがありますか?
