2010年、平和の火(原爆の残り火)と共にギター1本、韓国・陜川(ハプチョン)へ
広島の平和記念公園には、原爆で犠牲になった朝鮮半島出身者を追悼する「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」が建立されているのを知っていますでしょうか。
平和記念公園を訪れる時は、この慰霊碑にも挨拶するようにしています。
改めてこのnoteにも、過去に書いた自分のブログ記事を載せようと思います。
これはいつしか”平和の火”と言われるようになった原爆の残り火で、
キャンドルナイトを行なうキャンドルナイトワンピースという活動に参加したお話。
2010年12月。
福岡県星野村で平和の火を受け取り、
日本各地でキャンドルナイトを行い、
その火を持って仲間たちと共に、韓国・陜川(ハプチョン)を訪れた。
広島で被爆し、その後韓国へ渡った在韓被爆者の方々が暮らす施設へ、
ギター1本を持って向かった旅だった。
当時の朝鮮半島は非常に緊張状態にあった。
渡航の一週間前には、北朝鮮による延坪島砲撃事件が発生。
「本当に行くのか?」
メンバーの中には高校生もいる(母親も参加)。
最後まで判断が揺れた旅だった。
ただでさえセンシティブなイベントなのに、朝鮮半島が緊張状態にある中、
日本人の僕が朝鮮半島で親しまれる「故郷の春(コ・ヒャンエ・ポム)」をハングルで歌う。
「日本人が何をしに来たんだ?」と快く思わない人もいるかもしれない。
なにしろ生まれて初めての韓国。
殺されることはないにしても、殴られるくらいのことはあるかもしれないなと思った。
それでも、先導役としてこの曲を歌うことを断る選択肢は自分の中になかった。
日本人として。
広島人の母を持つ者として。
歌をうたう者として。
自分の責任において、この場所で歌う役割が自分にはあると思った。
何よりただ、故郷の春(コ・ヒャンエ・ポム)」という歌が美しいと思った。
2016年に書いたKackeyブログ↓
主催、吉澤武彦の当時のレポート日記↓
2010年12月3日~5日、陜川に集った日本から9名、韓国から11名の合計20名。
火とともに大切ななにかをそれぞれが受け取ってまいりました。
今回はこの採火合宿について報告の意味を兼ねて書きたいと思います。
今振り返ると、この旅は、自分の音楽人生の大きな原点の一つだったと思う。
共に歌うこと
共に静かに火を見つめること
言葉を超えて、同じ空間を感じること
同じ水を飲み、同じ釜の飯を食うこと
生身の交流があった。
あの時、
ハルモニやハラボジたちが見せてくれた穏やかな眼差し。
そこには、
簡単には語れない悲しみも、
怒りも、
祈りも、
全部含まれていた。
今、自分が
声やジャンベ、植物音楽を通して
「共鳴」をテーマに活動しているのも、
あの旅の体験と、きっと繋がっている。
人の恐怖や怒りや境界線が強くなる時代だからこそ。
自分が伝えたいのは意味ではなく、バイブレーションそのものなのです。
Earth Resonance Artist
Kackey

貴重なアーカイブなので、私の友人で主催者、吉田武彦のブログをこちらにも転載します。
吉田武彦:東日本大震災をきっかけに生まれた日本カーシェアリング協会代表
━━━━━━━━━━ Muzinzo vol.50 ━━━━━━━━━━
PEACE ◆吉澤武彦◆
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12月4日19時頃。陜川原爆被害者福祉会館にいらしゃるハル
モニ(おばあさん)とハラボジ(おじいさん)が平和の火が灯さ
れたキャンドルの周りにゆっくりと集まってくださいました。
そして、完成したのがこのキャンドルメッセージ「PEACE」です。
|今の朝鮮半島に向けて、誰よりも戦争でご苦労を重ねられた方々
のメッセージです。
12月3日~5日、陜川に集った日本から9名、韓国から11名
の合計20名。火とともに大切ななにかをそれぞれが受け取って
まいりました。今回はこの採火合宿について報告の意味を兼ねて
書きたいと思います。
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12月2日。
一足先に私は九州に入り、星野村で「平和の火」を受け取りました。
その日強い雨だったにもかかわらず、役場に着き、担当の末崎さんと
話をしているうちに不思議と雨は止み、火を受け取るとたちまちそれ
まで以上に強い雨が降ってまいりました。
大自然から守られていると思って感謝の気持ちを抱いていると、
フェリー会社から次の日が高波でフェリーが運行できない可能性が
あると連絡がありました。
12月3日。
受け取った火を持ち、集合場所のJR博多駅に朝10時前に着きました。
そこでフェリー会社に連絡をとりフェリーの休航がそこで決まりました。
別のフェリーに変更し、予定より2時間遅い18時に釜山に到着し、
釜山からの参加者達と合流し、バスに乗り込みました。
しかし、そこから交通渋滞に巻き込まれ結局宿に着いたのは予定より
3時間遅れた22時でした。
宿は韓国の伝統的な家屋の宿舎で、少しでも韓国の文化に触れてもら
いたいという手配していただいたKYCのキム・ドンニョル氏の気持ち
のこもった素敵な場所でした。
そしてこんなに大幅に遅れたにもかかわらず皆さんお待ちいただき、
温かく迎えていただきました。
空に浮かぶ満点の星空の下、出会いを喜び合い、私達は合流しました。
軽い食事を済まし、22時30分から韓国原爆被害者協会のシム・
ジンテ氏から歓迎のお言葉をいただき、プログラムはスタートしました。
その後、カイロや火の取り扱いについて説明を行った後、交流会が
始まりました。スタートしたのは夜中の23時30分頃でした。
それからプルコギや生蠣等豪勢なもてなしを受けてその日は朝方まで
ハングルと日本語が混ざり合いながら語ったり、歌ったりしていま
した。
12月4日。
朝からハプチョン市内の在韓被爆者の方々を訪ねるフィールドワーク
でした。
最初はイ・ジェスクさんという裁判を闘われたハラボジ(おじいさん)
のお話を聞きました。
その後、2世の問題について考えるためにムン・テクチュさんとい
う方のご家族を訪れました。二人のご子息が身体及び精神的な障害
を持ち、自分が亡くなった後の息子達の事を案じて涙ながらにその
言葉にならない辛さを語られていました。
その後、NHK「原爆棄民」に出てこられた手帳をもらえない寝た
きりの被爆者ユ・ドンスさんを訪ねました。番組の中で梅が好きだ
とおっしゃっていたので和歌山出身の深尾親子からお土産の梅セット
が手渡され大変喜んでくださいました。
韓国原爆2世患友会の「平和の家」を訪問した後、陜川原爆被害者
福祉会館を訪れました。
慰霊閣で祈りを捧げた後、韓国原爆被害者協会の設立メンバーで
ある厳粉連(オムプンヨン)さんの体験談のお話を聞きました。
ただ、ここまでのスケジュールで時間が大変押してしまっていて
1時間はお話を伺いたいところでしたが、30分だけになってしまい
ました。
そして、その後に予定していた、他のハルモニ、ハラボジとの交流
は食事の時間が始まるのでこれ以上ここでのプログラムは進められ
ないとコーディネーターとして協力いただいていたKYCのキム・
ドンニョル氏から言われました。
しかし私達が何のためにここに来たかハルモニとハラボジに知って
もらう一番大切な機会なので、必死でお願いして食事の後に時間を
作ってもらえないか交渉していただきなんとか実現できる事になり
ました。
それまでの間、しばらく時間ができましたので、ゆっくりと時間
をかけて福祉会館の敷地内に建てられていた「平和火」と書かれた
モニュメントの前で採火を行うことになりました。
モニュメントに火を灯した時、なんとも言えない気持ちになりました。
「このモニュメントに火を灯し、採火を行おう。」という事をイメ
ージしながら進めてきたからです。
そして、火の約束を改めてお伝えし参加者全員に火を渡していきました。
採火が終わった後、福祉会館のホールに行くとそこに40人程の
ハルモニとハラボジが私達を待っていてくださいました。
与えられた時間が限られているということなので、私の方で簡単に
今回の企画を説明させていただき、参加者全員一言ずつ自己紹介を
していきました。
そして、その間、私達の目の前にキャンドルを置いていき、火を灯して
いきました。
そのキャンドルは「PEACE」と置いていきました。
「山本達雄氏がこの火の中に叔父の命を見出して持ち帰ったように、
私達は広島原爆で亡くなられた朝鮮半島出身の方々の命もそこに宿
っていると思いました。だから私達は里帰りの意味を込めて今、
ここに火を運ばせていただきました。」
と伝え
「この火に宿る命に歌を捧げます。もしよかったら一緒に歌ってく
ださい」
と「故郷の春(コ・ヒャンエ・ポム)」を大阪のミュージシャンKackeyの
ギターでハングルで歌いました。ハルモニとハラボジも一緒にこの火を
見つめながら歌ってくださいました。
Kackeyはこの時のために練習を重ね、行きのフェリーの中でも一人で
練習していました。
【福祉会館での合唱の様子】
歌を歌い終わった後、私の方から一つの提案をさせていただきました。
「今ここに灯したキャンドルはPEACEという文字に灯させていただき
ました。私達がこの活動をしている間に、朝鮮半島が非常に緊張した状態
になりました。戦争で本当に辛い経験をされてきた皆様から、この朝鮮
半島の状態にメッセージをいただけないでしょうか?皆様のメッセージ
は私達の言葉とは重みが全然違います。もし賛同いただければこのメッ
セージの側に来ていただき、在韓被爆者からのメッセージとして写真を
一枚撮らせていただけないでしょうか。この写真をできる限り多くの方
に伝えたいと思います。ご賛同いただける方だけで結構ですのでよろしく
お願いします。」
私の説明から、少し間がありました。
するとやがて床に座っていたハルモニが一人立ち上がり、そして
もう一人が立ち上がり、立ち上がったハラボジが他のハルモニに
声をかけて、そんな風にその場にいたほとんど全員のハルモニと
ハラボジがゆっくりとキャンドルの側まで来てくださったのです。
この少しの間には、いろんな葛藤があったのかもしれません。
原爆の火はいわば、自分達やご家族を焼いた火でもあります。
この火に過去の辛い体験を思い出された方もいらっしゃると思います。
またぱっと来たばかりの日本の若造が提案するという行為自体、
無礼を感じ反感を持たれたかもしれません。
様々な感情を受け入れて立ち上がってキャンドルメッセージに
ご参加いただいた事に感動し、心から感謝しながら写真を撮らせ
ていただきました。
メッセージについて厳粉連おばあさんは言ってくださいました。
「私達の望みは世界平和です。若い人が立ち上がってくださって
心強いです。私は私のできることをやります。お互いがんばりま
しょう。」
キム・ドシクおじいさんは、ご自身のカメラでこのキャンドルメッ
セージの写真を撮り、そのSDカードを取り出し
「これも使いなさい」
と言って優しく渡してくださいました。
他にも様々なハルモニが私や参加者達の周りに来てくださり、「ありがとう。
がんばってくださいね」と握手をしてくださいました。
その後、ジャンベミュージシャンのカッキーに加え、大阪からの参
加者、夏見(ハニ)ちゃんが韓式の太鼓を即興のセッションで合わし、
参加者が次々に歌いだし歌と踊りでそこは一つのすばらしい空間に
なりました。
私は最初、限られた時間しかないと聞かされていたのですが、そ
の時は誰も時間など気にする人はいませんでした。
そんなすばらしい体験を経て私達は宿舎に戻り最後の感想シェア
を行いました。
日本と韓国の高校生から60代の方まで世代を超えて集まった20名。
それぞれが在韓被爆者の方々の悲しみやご苦労の大変さを感じ
それぞれが火の重みを感じ
それぞれがそこに集った仲間との絆を感じたよい感想会でした。
その中で水原(スウォン)から参加してくださった李 大洙(イ・デス)
さんは夏至のキャンドルナイトでは星野村の合宿に参加することを宣言
してくださいました。また、8月はハプチョンでぜひ一緒にこの火で
キャンドルナイトを行いたいと言ってくださいました。
結局この日も朝方まで飲み明かし、殆んど眠らずに朝の6時30分の
バスで帰ってまいりました。
現地のコーディネートを一手に引き受けてくださったKYCの金
ドンニョル氏は寝不足で目を真っ赤にさせながら、朝方まで私達
にラーメンを作って下さろうとする姿には感謝を通り越して感動
すら覚えました。準備及び現地で色々とご対応いただき心から感謝
の気持ちでいっぱいです。
KYC
http://tgkyc.or.kr/html/
12月5日。
日本からの参加者のうち5人はそのまま広島に行き、その足で日本での
最初の採火セレモニーを開催しました。
参加者は少なく、私達の説明もまだ整理ができていない状態で、情報
としてはきちっとお伝えできたかは反省が残るところですが、私達が
感じた事は誰もが一生懸命伝えた上で火を渡しました。
韓国人慰霊碑の前で被団協の坪井直代表委員にお渡しさせていただいた
火で最初のキャンドルナイトを開催しました。
キャンドルナイトは慰霊碑の前で火を灯し、静かに「故郷の春」を歌う
だけの小さなキャンドルナイトでした。
そんな小さなキャンドルナイトからこの後61会場で開催されるキャ
ンドルナイトが始まりました。
大阪に帰ってきてから、どうだったかと何度か聞かれました。
私の正直な感想は、「まだまだ分からない」という気持ちです。
目の前で涙を流された方もいます。話をしている中で怒りがこみ上げて
こられていた方もいらっしゃいました。
でも、私達が直接話を聞いたこの時までにこの方々は何百回も何千回も
怒りと悲しみと不安の中で涙を流してきたのです。
私が感じた感情はほんのその一端であり、その感情の大きさは私には
おしはかる事のできない大きく激しいものだと思うのです。
ハルモニとハラボジは皆さん本当に穏やかな顔と心で私達に接して
くださいました。本当の穏やかさというのはそうした激しい感情を
経た後に生まれてくるものかもしれないと思いました。
今、私の側に平和の火が灯っています。
朝と夜、燃料のベンジンを補給するとき、人差し指を口元に当てて
「シー」
っと頭と心を静める事をやっています。
静かな状態でないと見えない世界がその火の奥には広がっている
のです。
もしよかったら
「シー」
と言って頭と心を静かにして改めて「PEACE」の写真を眺めてみてく
ださい。
このひとりひとりのハルモニとハラボジは
影で何百回、何千回と悲しみや恨みや苦しみや怒りや不安の中で
涙を流してきました。
そんなハルモニとハラボジの火を見つめる姿から
深く優しく静かなメッセージがそこからにじみ出て見えてくるでしょう。
もしよかったらぜひ一度
「シー」
ってやってみてください。
