天正寺城
所在地:兵庫県神戸市北区淡河町淡河
形式:山城
遺構:竪堀・堀切・削平地
城主:淡河氏、豊臣氏
淡河城の北北西約700m、標高で80mほど高い山頂に位置するのが天正寺城です。ここは、羽柴軍が淡河城を包囲、あるいは監視するために築いた「付城(つけじろ)」と考えられています。
天正八年の三木合戦後、有馬則頬が淡河城主になると天正寺を菩提寺としていました。



土橋は、山道として近年まで維持されたもので、城の貯水堤の再利用かもしれない。
近畿の城郭では、この土橋は軍事施設ではなく、近年の山道としての土橋か、貯水の堤の一部の流用と指摘している。


堀切が二本設けられ、主部側は岩盤を加工する。
堀切は二重堀切となっており、一重目の堀切は岩盤を使用し、その岩盤は加工が施されていると指摘。二重目の堀切は一重目に比べると小型。


貯水池は2カ所。上段の貯水池は水が干上っていたが、下段は現在も水を蓄えている。


最高点(231.8m)の曲輪は、赤色立体地図からも2段曲輪が確認される。しかし、近畿の城郭や他の縄張り図からも最高点曲輪の虎口が明確でない。防備の為の曲輪ではなく、ここも駐屯地的な曲輪が想像できる。
形態より、淡河城攻めに新規築城された付城ではなく、おそらく、中世以来の淡河氏の山城を乗っ取り、それを転用したと考えられる。尾根上の削平地は、駐屯用に追加加工されたものであろうか。
城の形態からみて織豊系城郭の色が薄く、もともと淡河氏の山城を付城へ転用したと評価している。尾根上の削平地のみ、豊臣方の加工の可能性を指摘している。

天正寺城から淡河城への眺望は現在の季節、木々が覆われほぼ視認不可。

三木城への補給ルートは、花隈城(神戸)から丹生山を経由し、ここ淡河を中継して三木へと繋がっていました。
淡河城を「物流のハブ」とするならば、天正寺城はそのハブを機能不全に追い込むための「妨害拠点」です。天正7年5月、羽柴秀長による丹生山への夜襲をきっかけに淡河氏は淡河城を捨て、三木城へと合流することになります。
[参考文献]
この記事をご覧いただけましたら、見ましたよ!という訪問記念として「スキ」ボタンを押していただくと、励みになります。
また記事の内容が気に入っていただきましたら、このような歴史関連の記事を執筆していきたいと思いますので、執筆者フォローして頂くと大変嬉しいです。
