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あなたを傷つけた人の末路

【50代からの仏教生活】因果応報。あなたを傷つけた人はやがてこうなる〜仏教の教え〜

こんにちは!仏教ブロガーカネコです。

今日のテーマは、「【仏教版】あなたを傷つけた人の末路」についてお話ししたいと思います。

今日は、読者の方からこんなご質問が届いております。

「私のことを傷つけた人のことを、ずっと引きずってしまっています。インスタで幸せそうにしているのを見るとムカムカします。怒りをずっと抱え込んでいるのも精神的に辛いし、とても嫌なのですが、やめようにもやめられません。何かいい方法はありませんか?」

非常に胸が痛むお悩みですね。これを聞かれて、深く共感される方も多いのではないでしょうか。

どのようなことで傷つけられたのかは分かりませんが、とにかくその人のことがモヤモヤして、イライラして忘れられない。「そんなこと考えていてもしょうがない、放っておけばいいのに」と頭や心では分かっているのに、どうしても執着してイライラしてしまうのですよね。

しかも、その相手がのほほんとInstagramで幸せそうな写真を載せていたりすると、もう我慢できない気持ちになる。本当にお辛い状況だと思います。

ですが、仏教の智慧(ちえ)を知っていただくと、そのお気持ちはだいぶ軽くなるのではないかと思います。仏教の智慧を通して、今日の本題である「あなたを傷つけた人の末路」や、「傷つけられたあなた自身がこれからどうしていけばいいのか」が見えてきます。

ぜひ、最後までお読みください。

今日の目次

  1. 早咲きと遅咲き

  2. 反面教師

  3. 恨みと復讐

1. 早咲きと遅咲き

まず、この質問者の方は何かしら他人の言動によって深く傷つけられました。悪口や非難中傷なのか、嘘をつかれて騙されお金を取られたのか、とにかく嫌な思いをされたわけです。

仏教では、その相手がやった悪い行いのことを「業(ごう)」と言います。お釈迦様はこれを「カルマ」と言われ、中国の人が「業」と訳しましたが、現代の言葉で言えば「行い」や「行為」のことです。

仏教の一貫した教えは、「行いが報い(運命)を生む。自分のやった行いは必ず自分に返ってくる」というものです。 つまり、あなたを傷つけた人のその言動の報いは、必ずその傷つけた本人へ返っていくと教えられているのです。

「いや、そうは言うけど、インスタを見たらあんなに楽しそうですよ!人を傷つけておきながら幸せそうだなんておかしいじゃないか!」 そう思われるからこそ、モヤモヤされているのだと思います。

しかし、これは「蒔いた種が返ってくる時期には差がある」ということなのです。

花にも「早咲き」と「遅咲き」がありますよね。 桜の花でも、2分咲き、3分咲きと最初に咲く花もあれば、周りが満開なのにまだつぼみのままの花もあります。それと同じで、私たちがやった行いの結果も、すぐに現れる人と、しばらく経ってから現れる人がいると説かれています。

努力がすぐに実を結ぶ人もいれば、何年も経ってからようやく実を結ぶ人もいます。悪いことをしてすぐに発覚する人もいれば、何年も経ってから発覚する人もいるのと同じです。

お釈迦様は、この結果が現れる時期について以下の3つを説かれています。

  • 順現業(じゅんげんごう): 今生(生まれてから死ぬまでの間)に蒔いた種が、今生のうちに返ってくること。

  • 順次業(じゅんじごう): 今生に蒔いた種が、次生(次の世)で返ってくること。

  • 順後業(じゅんごごう): 今生に蒔いた種が、次の次の次の世など、ずっと後になって返ってくること。

仏教では、私たちの生命は「三世(過去世・現在世・未来世)」を貫いて旅をしていると教えられます。私たち人間には生まれてから死ぬまでの「現在世」のことしか知る智慧がありませんが、お釈迦様は三世を見通す「仏の智慧」を持っておられました。

たとえば、2人の学生が1日アルバイトをして1万円のバイト代をもらったとします。ファミレスに行って、1人はステーキセットにチョコレートパフェまでつけて豪勢に食べ、もう1人は節約のためにきつねうどんを食べました。 この時、きつねうどんを食べている彼は「あいつばっかり美味しいものを食べやがって!」とは思いませんよね。なぜなら、人生はその日1日だけではなく、明日も明後日もあるからです。「この1万円を計画的に使おう」という先を見据えた智慧があるから、今は節約しているわけです。

もし今日1日しか考えられない動物なら、もらったその場ですぐに全部使ってしまうでしょう。私たちも同じで、この世のことしか分からないから「因果の道理なんて本当かよ」と思ってしまいますが、三世を貫く仏の目から見れば、行為と運命の関係は厳然として存在するのです。

仏教では「業力不滅(ごうりきふめつ)」と教えられます。 私たちがやった行いには「時効」がありません。逃げ回って時効を迎えたら助かる、というものではないのです。善い行いも悪い行いも、その力が運命を引き起こすまで決して消えることはありません。

つまり、あなたを傷つけた相手が、たとえ今この世では悪い結果を受けていないように見えても、決して逃げ切れるわけではないのです。必ずその結果は本人に返っていくのです。

2. 反面教師

この「因果の道理」を知ると、人から傷つけられるようなことをされた時、2つの思考を持てるようになります。その1つ目が「反面教師にする」ということです。

こんな言葉があります。

  • 「親切は、人にした時に初めて、されてきたことを知る」

  • 「悪事は、人にされた時に初めて、してきたことを知る」

まずは「親切」の方から考えてみましょう。 一番分かりやすいのは「親の恩」です。自分が子育てに悩み、苦労してみて初めて、「親もこんな思いをして自分を育ててくれたんだな」「色々迷惑をかけたな」と、親の恩を知ることができます。 仏教に「和顔愛語(わげんあいご=和やかな顔で優しい言葉をかける無財の布施)」という教えがありますが、これを実際にやってみると、いかに大変かが分かります。そして、自分がやってみて初めて、いつも自分に温かい言葉をかけてくれていた人への感謝の気持ちが湧いてくるものです。

逆に、「悪事」の場合はどうでしょうか。 誰かに心無い言葉をかけられ、自分が深く傷つけられた時。その時になって初めて「そういえば、自分もかつて、この人にされたのと同じようなことをしてしまったことがあったな」と思い出し、懺悔せずにはいられなくなる。

自分が言っている時は無自覚で、相手が傷つくかどうかなんて考えもせずに喋っているものです。しかし、自分が被害者の立場になって初めて、「あんな思いをさせてしまっていたのかもしれない」と、過去の加害者であった自分を悔やむのです。

ですから、人から傷つけられた時は、「自分は同じことをしてこなかっただろうか」「今はしていないだろうか」と振り返ってみてください。 そして、その相手を「反面教師」(悪い行いを見て、自分はああならないぞと戒めにする存在)にするのです。 「私はこれからの人生、ああいうことだけは絶対にしないようにしよう」と固く決意するご縁になれば、人から傷つけられたという辛い経験も、自分を向上させるための大切な縁になると仏教では教えられています。

3. 恨みと復讐は馬鹿げたこと

2つ目の思考は、「恨みと復讐は馬鹿げたことだと知る」ということです。

なぜ馬鹿げていると分かるのでしょうか。それは先ほどお話しした通り、「蒔いた種は必ず本人に返ってくる(自業自得)」という仏教の智慧を知っているからです。

相手があなたを傷つけたのなら、因果応報で必ずその相手自身が苦しむことになります。 わざわざ夜中の2時に起きて、丑の刻参りでワラ人形に釘を打つような労力を使わなくても、放っておけばやった本人のところに返っていくのですから、あなたが復讐のためにエネルギーを使う必要は全くありません。

お釈迦様は次のように言われています。

「まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う」
「愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現れないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現れた時には、苦悩を受ける」

今は報いが現れていないから楽しそうにしているだけです。やがて報いが現れれば苦しむのですから、「どうやって復讐してやろうか」などと考える必要はありません。天に向かって唾を吐くようなもので、必ず本人に降りかかるのですから、気にする必要はないのです。

むしろ、「人を恨む」という種蒔き自体が、あなたにとっての悪い行い(業)になってしまいます。 恨んでいる状態というのは心が非常に不健全ですし、今やるべきことに集中できず、余計なエネルギーを消耗して自分自身が苦しむことになります。質問者の方も「怒りをずっと抱え込んでいるので精神的に辛い」とおっしゃっている通り、嫌な人のことばかり四六時中考えているのは、ご自身にとって大きなマイナスです。

お釈迦様はこのようにも言われています。

「この正しい教えを聞くのでなければ、真理を知ることのできない人々は、誰か他人に対して恨みを結ぶ。人生はこのように短いのに。(中略) 恨みは恨みによっては決して静まらないであろう。恨みの状態は、恨みの無いことによって静まるであろう。恨みにつれて次々と現れることは、ためにならぬということがみとめられる。それ故にことわりを知る人は、恨みをつくらない。」

人生は短いのに、つまらない人のためにずっとエネルギーを使っているのは愚かなことだと思いませんか、とお釈迦様は問いかけておられます。

恨みを復讐で返せば、一時的にスカッとするかもしれませんが、今度は相手が恨みを抱いてまた何かをしてきます。報復の連鎖になり、結局2人ともダメになっていくのです。

これは例えるなら、「バットで足の骨を折られて『ちくしょう!許せん!』と怒り、足を引きずりながら、相手の足をバットで折りに行こうとしているようなもの」です。 とても危なっかしいですよね。まずは自分の骨折の手当てをしなければなりません! 傷つけられたら「傷つけ返さなきゃ」と思うのではなく、まずは「傷つけられた自分の心のケア」を最優先にしてください。相手のことは因果の道理にお任せして、放っておけばいいのです。

「あの時お前がこう言ったからだ!」「お前だってあんなことしたじゃないか!」と言い合っても、収拾がつかなくなり、お互いに疲弊するだけです。 風の音や波の音に「うるさいな!」と本気で腹を立てる人はいませんよね。自分にとって腹の立つことを言われた時も、それを風や波の音のようにサラリと受け流すことができれば、それ以上苦しむことはありません。逆に受け取って投げ返せば、相手はもっと強く投げ返してきて、共に傷つくことになります。

今日は、「あなたを傷つけた人の末路」というテーマでお話ししました。

あなたを傷つけた本人は、やがて必ずその報いを受けていきます。それが仏教の教えです。 ですから、傷つけられたあなた自身は、

  • 「自分はああはならないようにしよう」と自分を向上させるご縁にする

  • 恨みや復讐で共倒れになるような馬鹿げたことはやめて、自分の心のケアに集中する

この仏教の智慧をぜひ知っていただき、少しでもお心が軽くなれば幸いです。

このブログでは、このような仏教の教えを色々な角度からお話ししています。もし学びになりそうだと思われましたら、ぜひフォローをしていただけると嬉しく思います。

今日も最後までお読みいただき、どうもありがとうございました!

--- 仏教ブロガー カネコ ---


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