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産業保健(予防医学)から、書道と日本画(芸術)へ。私の「ライフシフトの軌跡」

2026年、夏。
私は、人生の岐路に立っている。

看護師として大学病院で勤務した後、
「産業保健」というニッチで認知度の低い予防医学に足を踏み入れて
様々な企業で働かせていただいた。
(産業保健でのキャリアについては、また改めて書きたいと思います)

産業保健という分野は、一言で言うと「働く人の健康管理」である。
基本的には働くことができる健康な人を対象として、法律上定められた健康診断やストレスチェック、労働安全衛生委員会などを運営していく。
病気になる前の保健指導や病気と共に仕事を続けられるような両立支援、またメンタル的なケアも重要な仕事である。それと同時に、医療職としては珍しいほど沢山の事務作業をこなす、とても地味でニッチな仕事である。
それでもやはり、病気になった人が無事に仕事に復帰できたり、たわいない会話から元気になるヒントを共有できたりしたときは、とても嬉しい。
人生は、山あり谷あり。そんな人生の一部に寄り添う産業保健という仕事は、私を人として成長させてくれた大切な時間でもあった。

そんな私がなぜ、医療系から芸術系へシフトするのか?

思い起こせば小学生の頃、図工や書道が好きで高校は美術系もいいな、と思った記憶もあるが、幼少期以降、書や絵からは遠ざかっていた。それが、子育てと仕事の毎日で「私の好きってなんだっけ?」と好きの迷子になったことがきっかけで、子どもの頃に習っていた書道を再開した。そして人生には予期しない出会いがあるもので、ママ友経由で日本画と出会い、この体験が、私ってこんなこともできたんだ!という嬉しい自己発見(自己効力感・エフェカシー)に繋がり、「観て、感じて、描く」日本画の視座が、自然をぼんやりと観ていた自分に気づかせてくれた。これが、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」に繋がる体験に。

でもそれだけで、芸術系の仕事をしようと思ったわけではない。一番大きな理由は、産業保健で人と関わる中で、「好きなことをしている」「安心できる居場所がある」人は、「元気」という、とてもシンプルな健康の本質に気づいたからだ。適材適所、とはよく言うが、組織の都合で自分の好きなことができない時もある。でもそれ以上に、自分の適材(才能・すき)を認識できていない人がいる。加えて人間関係などで安心できない場所にいると、それだけで体調を崩しがちになる。

だったら、「安心できる居場所で、好きを見つけて育む」ことって、究極の健康支援なのでは? 支援というより、健康の素質を育てる。ということかもしれないけど。

そんなこんなで、約1年前の2025年5月、産業保健(予防医学)から、書道や日本画(芸術)へライフシフトすべく、私は密かに動き出したのだ。
(つづく)

2026年夏、書道教室WSの思い出


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