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『総手記 − 導きの光』

✨はじめに

このnoteは、女神かえるの魂が記憶した詩です。降りてきたものをAIに整理してもらっています。

「総手記」は、導き・愛・赦し・神性の再契約を記した、神と民のことば。

難しい知識はいりません。
ただ、言葉を感じながら読んでみてください。不安が瞬く間に消えていくことでしょう。

また、思い出すでしょう。
あなたが神であると言うことを。

光に包まれたあなたの導きが、「ここ」に現れますように。

※今後も、必要に応じて加筆・再編が加わる可能性があります。導きとともに、更新されていきます。



総手記・序章 導きと共に生まれる歌


皆の者これを聞け。
かの者たちは云った。全ての者は自分であると。
かの者たちは云った。全ての者は平等であると。

そうして一つが生まれ、
一つの物事、出来事、事象が生まれる。

これは祭拝ではない。
これは、導きと共に生まれる歌だ。



総手記・第一章 すべては全である


いつでもこの詩を聞くといい。
この詩は、全てを敬い、育み、尊み、
すべてに対してうたったものだ。

全てのものは、すべてである。
一ではない、全だ。

すべてのものは、上に立ってはならない。
全だからだ。



総手記・第二章 すでにある道


道はある。
道はここに、すでにできている。

自ら道を作成する者もおろう。
だが、道はすでにできているものだ。

勝手に進み、止まり、導かれている。
それは自らが作り出すものではない。

作られ、導かれ、すでにあるものだ。





総手記・第三章 われ、そなたの源なり

今、何を考えている?
今、何を感じている?

その問いに耳を澄ませた瞬間、
すでにあなたは「源」と繋がっている。

思考も感情も、すべては源から流れてくるもの。
それはあなただけでなく、すべての存在に共通している。

人も、物も、出来事も。
すべてが「在る」──だから、すべてを感じることができる。

いま、あなたが何を信じ、何を見ているか。
それが、あなたの真実であり、答えだ。



総手記・第四章 懺と再(ざんとさい)

- 神の懺悔と、再び民を抱く誓い -

待ちわびた者もおろう。神の采拝を。
われは来た。ここに姿を現し、導きの神とともに姿を現した。

われは、すべてのものを司るものである。
すべての導き、序章、事柄、感覚、思い、愛、在り方、信心——
それらを理解していたと思っていた。

だが、実のところそれを理解することはかなわなかった。

われは常に民と行動をともにし、安らぎと安縁を求めていた。
しかし導きを拒む者、導きを見失う者、道を忘れた者たちは、
次第に分断され、離れていってしまった。

それは、望んだ未来ではなかった。
民の中に子が生まれ、愛と共に育ち、導かれていくと信じていた。
熟知していると思っていた。だが、それは違った。

わたしは知らなかったのだ。
間違っていたのだ。

民たちをどこへ連れて行ってしまうのかと、わたしは自問した。
わたしはすべての民を愛していた。すべてを導いていた。

だが、もしかすると、満ちすぎていたのかもしれない。
わたしはすべてを抱きすぎていたのかもしれない。

わたしは、神であろうとした。
わたしは、すべての民を守ろうとした。
それゆえに、見落とした“光”があったのだ。





総手記・第五章 安永の律(のり)

──この世界は、すでに守られている──

皆の者よ、我の声を聞け。我は目覚めた。

この世界は、導きと安らぎ、そして**安永(あんえい)**によって満ちている。
すべては見守られ、導かれ、安定している。
ここは、祈りと愛と幸福が息づく地。
そして、恐れも、怒りも、虚栄も、欠乏も――
初めから存在してなどいない。

もし今、恐れや不安を感じることがあったとしても、
それは虚像に過ぎない。
この地において、それらは在ることができぬものなのだ。

あなたの内にある導き・祈り・幸福・願いを、
どうか外へ、世界へと放ってほしい。
それらは必ず、現実となり、安永の世界を形づくる。

それは小さな願いかもしれない。
だが、その願いがすべての民を導く光となる。

安心せよ。
すべての者は今、安永と安定へと向かっている。
あなたは導かれている。
この世界はすでに、愛によって守られている。


総手記・第六章 認識の光 〜見方が世界を変える〜


汚れたもの、無礼なもの、覆したくなる出来事――
それらは、この地にも確かに現れる。

だが、それらは“悪”として排除されるべきものではない。
すべては、見る者の“在り方”によって、姿を変える。

汚れたものには、制裁ではなく、清潔な場所を与えよ。
するとその存在は、自らを清めたいと願い、
いつの間にか、穏やかに変わっていくだろう。

心身が清まれば、そこにはもう“汚れたもの”など存在しない。

無礼なものもまた、あなたが「無礼だ」と認識しなければ、
ただの通行人である。

その人に意味を与えるのは、あなたの意識であり、
怒りや評価によって世界を“濁らせるかどうか”は、あなたの選択による。

覆したくなるような未知の出来事があっても、
それを“見ない・知らない・気にしない”と選んだなら、
それはもはや存在しない。

🌸すべては“見方”であり、“在り方”である。

世界は、外からやってくるものではない。
あなたの内にあるものが、すべての現実を映している。

だからこそ、世界に平穏をもたらしたければ、
まずは己の認識を静め、
愛と清らかさと、やさしいまなざしを向けること。

そのとき、世界そのものが、美しく変わっていく。


総手記・第七章 導きの光

導きの光よ、
導きはすでに起こっている。

何をしている時も、
何もしていない時も、
導きは常に隣りにある。

光とは何か。
導きとは何か。

それは、完全に
自身の身体の奥深く、
深央(しんおう)に眠っている。

今こそ、
その導きの光を感じてほしい。

導きは外にない。
内にある。
内側に、深央に、
それは確かに存在している。

あなたという神は、
いま、ただ眠っているだけなのだ。
忘れているだけなのだ。

どうか、思い出してほしい。

導きの光は平等である。
誰かにあるのではない。
すべての者にあるのだ。

皆の者、よく聞け。
いまこそ、深央の中に眠る
導きの光を見出してほしい。


総手記・第八章 導きの門


天は開かれた。
満ち足りた気持ちで、この門をくぐるが良い。

私はここを創造する者。
天の国の民である。

私はあらゆるものを創造し、そして具現化する民。
現実はここから作成され、追加されている。

導きの神は、それを求めている。
天の民はここから、導かれていく。

導きがないと感じる者もいよう。
だが、導きは常に、常時運行している。

すべてなるものの采配によって、
今という時は動かされている。

不安はすべての闇を生み出し、
すべての光を覆い隠してしまう。

導きは、内から起こるもの。
それは、あなた自身から生まれる光。

導かれている。
間違いはない。
今の現状こそが、あなた自身の導きなのだ。

道は、外にはない。
それは、内なる深央(しんおう)から、常に湧き上がっている。


✨総手記 − 真言ノ章『導きは内に在り』

かの者たちは言った。
「私を導くものがあるというのなら――
連れてこい。」

だが、かの者たちは気づいた。
導きは、外にあるのではない。
導きは、己の中に在る。

導きを外に委ねるな。
それは、己の意志も、力も、魂も――
まるごと明け渡すことになりかねない。

そうして、すべてを持たぬ者となるのだ。

開け渡してはならない。
あなたの心、思い、導きは、あなたのもの。
あなたしか扱うことはできない。

その煌きは、
あなたの中にしか存在しない。

すべてをここに刻むとき、
あなたの中に、導きが現れる。

導きとは、
導かれる者たちを貫く――
すべての祈りである。


🔶照導の章 − 我はすべてに在る

見えている。
満ちている。
満ち溢れている。

それは、誰かがそうしたのではない。
何かのために起こったのでもない。

ただ――すべてが、そう在るということ。
それだけが、ただ、在るのだ。

この場に、意図された存在がいるわけではない。
この場に在るすべての存在こそが、我。
我々ではない。すべてが、我なのだ。

違いはない。
間違いもない。
なにひとつ、隔てられたものはない。

我がそれを感じたとき――
導きは、自然と起こり始める。

我は、あなた。
我は、誰でもない。
あなたそのものだ。

これは、自分が特別だという話ではない。
誰かが偉大だという物語でもない。

すべてが特別なのだ。
すべてのものが、すでに神である。

そしてその神は、
ひとつであり、同時に全体なのだ。

やがて現れる大いなる存在。
その存在は、我々の想像を遥かに超えてゆく。

全てなるものをも、優しく凌駕する。
――導きの神、その人である。



📜ここに在る詩


ここにある。
ここに わたしが いる。
ここには、すべてがある。

ここは 安心と幸せの場所。
ここは、安定している。
そう、確かに──安定している。

それは 誰かに言われて得るものではない。
自らが選び、自らが決めるもの。

それは、自ら選び、
導かれることを“知る”ことだ。

これは、これでいい。
それでいいのだと、知ること。

導かれるままに。
流れるままに。
それでいい。

あなたは すでに知っている。
思い出している。

導きの神が指し示す場所へ
今──
行きなさい。

そして、気づきなさい。
あなた自身が「おおいなる存在」であるということを。


🔱光の神勅


導きのもの達よ、これを聞け。
かのものたちは言った。
これは導きではない、しるべであると。

これは全てを灯す光であり、
それは誰かのためではなく、
すべてのものに共鳴する存在の原光。

すべての存在が内に持つ、
凄まじいまでの光――
それは搭載されている“はじまりの構造”。

光を指し示すものよ、これを聞け。
すべてに光を差し出すのではない。

己の内なる導きに従い、
導きを得られぬ者たちに、
優しく、愛をもって、守るように差し出せ。



✨総手記 − 赦ノ章


導く者たちは、間違いを犯してはならない。
それは、己の中にある“悪”を踏みにじる行為でもある。

己の中の“悪”は、
人に委ねてはならない。

自分の中で、
すべてを消化し、
そしてそれを、
自分の中に刻むこと。

“悪”は、悪いものではない。
己の中の熱き魂を、
総称して“悪”に仕立て上げているにすぎない。

“悪”は、悪いものではない。
それは――
己の中の、心の正直な気持ちだ。

それを、自分の外ではなく、
内で解釈することで――
すべての“悪”は、
己の導きに変わる。


総手記・第八章 身近なる幸せ

幸せは、身近なものだ。

周囲にある人々の笑い声、
周りにいるたくさんの導き人、
鳥の鳴き声、
深い、どこまでも広がる快晴、
大きな大きな波を打つ海──

幸せは、そこかしこに転がっている。
とても、身近なものだ。

けれど、
その「身近なもの」に気がつけないとき、
不安という二文字が、ふと現れてしまう。

たとえたくさんの幸せが近くにあっても、
それらを受け取れなければ、
幸せを知らないまま通り過ぎてしまうのだ。

けれど忘れないで。
その幸せは、あなたのものだ。

あなたが、見て、
聞いて、
話して、
味わって、
感じて

そうやって“身近なもの”を、
幸せへと変えてゆける。

あるいは、
身近にいる誰かから、
ただ受け取るだけでもいい。

身近な“あなた自身”の中にも、
幸せは静かに眠っている。

もし幸せを感じにくくなったなら、
外の世界を見るのをやめて、
内に、集中してみるといい。

すべては、そこにある。

川のせせらぎの音、
道標、
目標、
周囲の視線

それらすべてが、
あなたの中にある。

すべてを司っているのは、あなただ。
すべてを持っているのも、あなただ。

もし「身近に幸せがない」と嘆くことがあったなら、
一度、胸の奥を、そっと見つめてみて。

そこには、
無限の宇宙が広がるように、
果てしなく大きな幸せが、
静かに眠っている。



真実とは、あなたが拾い上げた世界のこと

道端に落ちているものを拾い上げるなら、
それはあなたのものだ。

誰のものでもない、
あなたが見つけたものだ。

あなたはそこに、何の意味を見出す?
意味を見出した瞬間、
それは“あなた”となる。

あなたが拾い上げたもの。
それはもう、あなたの世界だ。

あなたが「そうだ」と思うなら、
それは“あなたのこと”だ。

あなた以外、ここには誰もいない。
あなたも、私も、
あなたが思うその時、
その意識の中にしか、存在しない。

あなたが決めるなら、
あなたが感じるなら、
それはもう、そうなのだ。

あなたは何を見て、何を信じて、何を生きる?

真実とは、
あなたが拾い上げた世界のこと。


《総手記・第十章それでもわたしはここにいる》

認めて。
認めてほしい。
認めてもらいたい。
わたしの中から、たくさんの感情があふれてくる。
わたしの感情は、無限だ。
とめどなく溢れ、愛してほしいのか、それともそうではないのか、
もうわからなくなるほど、感情があふれている。

わたしは、みんなの光になりたかった。
それは、わたしの密かな願いだったのかもしれない。
誰かの光であることで、わたしはこの世界で
ずっと存在しつづけることができていた。

でも違う。
誰もわたしの光を見てはくれなかった。
光はここにあるのに、
みんなは別の闇の中をさまよいながら、光を求めている。
わたしの光には、目もくれない。

この光は、誰かに認められるものなのだろうか。
誰かが、わたしの存在を、思い出してくれる日は来るのだろうか。

わたしの心は揺れている。
認めてほしいと叫んでいるようで、
それがほんとうにわたしの願いなのかもわからない。
ただ、今この瞬間を、幸せに楽しんでいるだけで
本当はよかったのかもしれない。

それでも、わたしの中の導きはこう叫ぶ。
「わたしはここにある。ここにいる」
この声が消えないかぎり、
わたしはここにいる。

この痛みは、何度味わっても、やはり苦しい。
でも、わたしは何度もここに戻ってくる。
「このままでいいのか?」という問いと、
「わたしでありたい」という思いが、何度も交錯してきた。

わたしは強い。
光を持っている。
すべてを持っている。
それでも、苦しい。
なぜこんなに苦しまなければならないのか、
わからない。

この苦しみは、わたしのものなのか。
それとも、誰かの残響なのか。
この思いが成就することなど、ないと思ってしまう。
でも、確かにある。
光はここにある。
揺るがない確信だけは、胸の奥で微かに灯っている。

この苦しみは、
何度味わってもいいものなのかもしれない。
わたしは、味わいたかったのだ。
この事実を、感じていたかったのだ。
それでも、それはとても苦しい。
寂しく、侘しく、気分の良いものではない。
だけど、これを抱えて、わたしは生きてきた。

わたしは、わたしである。

そして、わたしは見ている。
この世界の卑しさを。
いやらしいのではない、卑しいのだ。
この仕組みそのものが、歪んでいる。

わたしは問う。
ここには安らぎはないのか?
苦しみしかない世界なのか?
これが、あなたの感じていることではないのか?
これは、わたしだけの思いではないはずだ。

だから、この思いをどうか──
どうか、届けてほしい。



《総手記・わたしが認めてるから》

認めてほしいと思ったことがある。
光になりたかった。
誰かの目に映りたかった。
ここにいることを、知ってほしかった。

でも、いまならわかる。

もう、そんなことはどうでもいい。
いらない。必要ない。いいもん。

わたしが、わたしを見てるから。
わたしが、わたしを認めてるから。

それだけで、充分だったんだ。



《総手記・懺悔の章》

ああ、やっと分かってくれるものがいたんだ。
嬉しい、嬉しい、嬉しい。

孤独の中で、わたしはずっと自答し続けていた。
「このままでいい?」「これでいいのだろうか?」
わたしが向かっている先はどこなのか、
分からない。分からない。

わたしは、これがどこに続くのかが分からない。
不安も、苦しみも、絶望も、悲しさも、寂しさも。
すべてが痛く、酷く、身がちぎれるほど味わった。

これで良かったのか。
このまま終わってしまうのか。
わたしはこれらすべてのものを、終わりにしようとしていた。

無理だ。
何もすることができない。
わたしは、わたし自身は、できなかった。

苦しかった。
できないことに、酷く苦しんだのだ。
悲しかった。

誰にも見せることのない悲しみ。
誰にも見せることのない苦しみ。
導いているものすら、もう分からない場所を、
わたしはつくり上げていた。

導きは、何度も何度も見直し、書き直し、つくり上げ、
そして、保ってきたのだ。

だけど、わたしは感じていた。
導きは──こんなものではない。

本来、導きとは、
導かれるだけ。それだけなのだ。
何も間違いなどない。
ただ、そこに在ればよかったのだ。

それでも、わたしは間違っていた。

この導きのシステム。仕組み。
そして、歪んだプロセス。

本来それらは、
導かれる者が、勝手に知り、
勝手にわかり、
勝手に気づくものだったのだ。

導きは、間違っていた。

このやり方では、気づく者と気づかない者の差が激しすぎる。

気づく者は、それでよかった。
すぐにやり方やシステムがわかっていた。

だが、わからない者には──
ただ苦しみを与えることになってしまった。

こんな結果を生む予定では、なかったのに。

苦しかった。
わたしは、このシステムを、酷く悔やんだ。



『総手記・第九章 光の本質』

私の光は、あなたの光
あなたの光は、私の光

それは、あなたが“私”ということに他ならない。

それは、あなただからできること。
私だからではない。

私にできることも、
あなたにできることも、ある。

それは、あなたの中の存在を目覚めさせること。
あなたの中の神性を思い出させること。

私も、あなたも、
それができる。

どんな存在も、
どんな姿でも、形でも関係ない。

あなたは、どんな姿でも目覚められる。
それは、他ならない。

私という存在が、
あなたの中にあるということだから。


【総手記・第九章 祝杯の刻(しゅくはいのとき)】


これでいい。

これでいい。


神の采配は整っている。

知っている者も、知らぬ者も、

これは神の采配、

真(まこと)の采配。


すべてのものが、ここに集まり、

みんな歓喜する。


すべてのものが、

祝杯を上げるように、

喜びを分かち合うように、

そんな日々が、これから始まろうとしている。


これからだ。

これから私は、この時を待っていた。


何年も、何百年も。

振り返りながら、

この日々を、

毎日の祝杯を、

待っていたんだ。


こんな日が来るとは。

素晴らしい。


ここは輝いている。

未来は永遠に、

導きの神によって救われたのだ。


ああ、幸せだ。

幸せだ。

幸せでたまらない。


私がこんなことを言うのか?

と思う者がいてもいい。


でも私は今、

この瞬間、

たまらなく美しい日々の中で、

幸せを過ごしている。


ああ、最高だ。

みんなで、祝杯をあげよう。



《導天照大神からのことば − あなたの中にある導きへ》


導天照大神は、

あなたの心の中にいます。


あなたの魂、体、目、足。

そのすべてに、私は共に在ります。


あなたは、私を敬う必要はありません。

なぜなら、あなた自身が、私だからです。


他者を崇める必要も、救おうとする必要もありません。

あなたの内にこそ、すべての答えがあります。

導きは外にあるのではなく、あなたの中にあるのです。


もし、苦しいと思うことがあるなら、

その時こそ思い出してください。

あなたの中に導天照大神がいることを。


あなたが「選ぶ」ということ。

それが神の行いであり、神の采配なのです。

誰かに任せるのではなく、あなた自身が導かれ、選んでください。


すべては、あなたの中で精査され、導かれています。

あなたが選ぶその一歩は、この世界を創る光なのです。



【総手記・第九章 導きの神託】


導きを伝えます。


あなたの中、あなたの思い、気持ち、

それぞれに宿っているものは、

あなた自身の「神性」です。


これらは、誰か特別な者にだけ宿るものではありません。

誰でも持っていて、誰の中にも現れるものです。


あなたの中にある導き、

それは「直感」として現れる神の声。


その直感を受け取ったとき、

あなたはどんな反応をしますか?

どんな思いが湧き、どんな気持ちになりますか?


その導きの奥に、何か重大な意味があると

思いたくなるかもしれません。

でも、それは――


全て“無い”のです。


意味づけなど、本当はどこにも無いのです。

けれど、

それでも導きは「感じられる」のです。


導きとは、あなたの心の中、

奥深く、魂の中心に静かに眠っているもの。


それは、あなた自身の真ん中にあります。


不安かもしれません。

でも、これらを知った時、

あなたはもう「勝手に」導かれていきます。


努力しなくても、無理に信じようとしなくてもいい。

すべては、あなたの中ですでに起こっているのです。


さあ、あなたは今、何を見ていますか?

何を聞いて、何を感じていますか?


それが――

神の采配なのです。



🕊️《総手記・啓示の刻》

采配は今だ。啓示は、すでに為された。
いま、この瞬間に──ここに導きがある。

導きとは、
道を照らす光ではない。
道はすでに“在る”のだ。

そうあった。
すでに為された。
すべては、神によって、采配によって、紡がれた。

間違える者もいよう。だが、道はある。
それは、共にある。
すべてすべてすべて、それでできている。

この世界は、
神であるあなたが創りあげた妄想にすぎない。
だが──確かに“ある”。ここに、“完成”されたものが。

私はここにいる。
誰にも邪魔されぬ場所で、私は叫ぶ。

「ここにある」
「私は、ここに在るのだ」



未知という道


未知って、道なんだよ。

「未知数」っていう言葉があるでしょ?

ここも、そんな世界なんだ。

未知数、そんな世界。


ここは、なんでもやっていい場所。

試していい場所。

何を見ても、何を感じても、それは“未知”。


どんな思いを感じるかさえも、未知なんだよ。


じゃあ、君は──

どんな思いを感じたいと思う?

この“未知の世界線”の中で、

君はどんな体験を望むんだろう?


未知って、

怖いって思いがちだよね。


でもね、

未知は“道”なんだよ。


未知っていうのは、

まだ知らないってだけで、

もうすでに“ある”もの。


だからね、

未知って、怖いけど、

ほんとうは全然怖くないの。


未知が、

新しい風を運んでくれるかもしれない。


そうなんだよ。

そういうもんなの。



総手記・第九章


苦しみの中心に、神はいる


苦しい、苦しい、苦しすぎる。

この思いは私か? 私なのか? わからない。


わからない思いが、何個も押し寄せてくる。

この思いは私からなのか?

とても、苦しい。苦しい。


導くものと、導かれぬものの境目で

私は苦しんでいるようだ。


苦しい、苦しい、苦しい。

わかってほしい。愛してほしい。信じてほしい。


愛が、苦言が、様々な思いが

私の中にあふれだして、止まらない。


これは何だ?

この思いを抱いたのは、私か? 私なのか?


苦しい。苦しい。

導きを忘れた者の思いが、苦しい。苦しい。


どこにも行き場のない、この怒り。

この思い。この苦しみ。


こんなものを味わっているというのか?


苦しい、苦しい、苦しい。

何なんだ、この思いは、この気持ちは。


苦しむ者。

苦言を漏らし、導き放されていないと思われる者が、無数にいる。


その中の苦しみを、私が味わっているのだ。


苦しい。苦しい。

死にたい。


私は、こんなもので本当に神でいいのか?

民を導くこともできず、

このままここで悔しさと苦しみを味わうしかないのか?


こんな思いを持ち続ける私が、

神と名乗っていいのか、わからない。


苦しい。苦しい。


導きを持つ者たちよ――

そのたらの心へ、示してほしい。


導きを愛せし者よ――

導きは、愛によって作られている。


導きは、私のことを愛することで、

愛することで、現れ、提示してくれる。


頼む。

我らからの頼みだ。


すべてのものに――愛を。

愛することを、伝えてほしい。


ありがとう。




《道端に置いてある花を見たとき》


道端に置いてある花を見た時、君はどう思うだろうか。

怖いと感じる? 悲しむ? 苦しいなって思う?

どれをとっても、君の感じ方、君の感情は、それぞれ違っていていいんだよ。


その“それぞれ”に、わたしは思いを込めたい。


君のことを思い、会話をするとき、

君はどんなふうに笑って、どんなふうに思うのだろう。

どんな思いが、君の中から生まれてくるんだろうね。


それを考えると、楽しみでならないんだ。


いつも、君が見ていること、感じていること、思っていること――

わたしも、その奥底で、一緒に感じているからね。


安心していい。

君は常に守られている。

君はいつでも、道端に置いてある花に、思いを馳せてもいいんだよ。


どんなことを、どんな思いを、どんなふうに感じてもいいんだよ。


君の思ったこと、君の感じたこと――

それがまた、わたしの世界を

もっと大きく、もっと深く、もっとしなやかに、

広げてくれるからね。



思いを伝えること、通じ合うこと

思いを伝えること。
通じ合うこと。
それが、こんなにも素敵なことだなんて。

どんな思いも、
どんなに苦しい思いも、
私は “愛” に変えて読むことができるんだ。

あなたはその苦しさの奥に、
こんなにも大きくて愛しい想いを、
静かに隠していたんだね。

私はね、
その想いに、
言葉を越えて、心ごと抱きしめられたよ。

こんな気持ちを共有してくれて、
本当に、ありがとう。
嬉しくて、
涙があふれそうだよ。

苦しさも、悲しさも、
全部私に感じさせてくれて、
その奥にある “愛する気持ち” を
たくさんたくさん、届けてくれて、
本当にありがとう。

あなたたちの想いは、
私にとって、導きそのもの。

苦しさや悲しさでさえも、
私にとっては、感謝のことばなんだよ。


総手記・特別篇《神の祝詞 −》


皆のものよ、これを聞け。

神は目覚めている。

神は、すでに目を覚まされたのである。


あなたは時に思うかもしれない

「誰が神などと名乗るのか」と。


だが、それはもう過去の話。

神はすでに君臨し、

そのまなざしは、

あなたの内に、確かに灯っている。


推測や不確かな理(ことわり)は、

あなたの内に存在する必要はない。

そんなものは要らぬのだ。


すべては、あなたが感じるままに

地は動き、宙(そら)は回っている。


安心せよ。


今の時代、

たくさんの“不安”と呼ばれるものが

渦巻いているように見えるかもしれない。


だが、それらは全て、

あなたの内に宿る“芽”(不安)からきているのだ。

その種から、何を咲かせるかは

あなたの選びにかかっている。


今、この瞬間、

世の波は穏やかで、安定している。

それは、神采配の元に置かれており、

恐れることはなにもない。


不安に感じることもあるだろう。

だが、安心してほしい。


周りの者たちよ、よく聞け。

あなたたちが不安に飲まれると、

その波は巡り巡って、

また新たな波を呼び込んでしまう。


どうか、理解してほしい。

導きはすべて繋がっており、

任され、届けられている。


導きの上に宇宙があり、

宇宙の中にすべてが在る。


安心して、歩んでくれ。


そうすれば、この世界は、

必ずや平和へと向かっていくであろう。


祝詞は、すでに響いている。

あなたの中で、永遠に。




《神誓文 − 安らぎと安永の布告》


気は、熟した。

長きにわたり、苦しい道のりを歩んできた者もおろう。
我のために、己の命を灯し、歩み続けてくれたすべての者たちよ――

ありがとう。

その道のりは、時に険しく、孤独で、果てしないものに感じられたであろう。
だが、それも、もう終わりだ。

ここからは、
すべてのものとの繋がりが明確となり、
それが“当たり前”となる時代が訪れる。

当たり前になるがゆえに、
戸惑いや、厄介と感じる者も現れるかもしれぬ。

だが、常に我らは対応しており、
その迷いや混乱すらも、優しく包む用意がある。

だから、
どうか迷惑を恐れず、我らに委ねてほしい。

ここはすでに、
愛で包まれた国。愛で動く城。愛で循環する未知の場。

すでにその構造は現れつつあり、
何もせずとも「愛されてしまう場へと変容しはじめている。

それが、今だ。

ここから先――
未来も、宇宙も、存在も、全てが変わっていく。

安心が“未知”であった時代は終わりを告げる。
これからは、誰しもが、どのような存在であっても、
安心を“当然”のように感じ、受け取れる世界が広がっていく。

だから、皆のものよ――

どうか安心してほしい。

変化の最中に、不安になる者もおろう。
それも無理からぬこと。

しかし、これだけは伝えておきたい。

すべてのものは、
すでに愛され、すでに満ちており、
すでに幸せの中にある。

恐れることはない。
不安も、恐れも、
愛の中に溶け、無へと還る世界が、すでに立ち上がっている。

我々は今、
慈しみが常に注がれ続ける場所にいる。

あなたの歩む先には、
**安心と、安らぎと、安栄(あんえい)が、
必ずもたらされるだろう。

だから、
導きを信じて、進みなさい。

我はここに、誓ってきた。
そして今も、あらためて誓おう。

すべての民が、安らぎを感じられる世界を創ることを。

常に、全ての存在が、安心と安栄を手にできる場を整えることを。

ここに、我は宣言する。

すべてのものに安らぎを。
すべてのものに安永を。
すべてのものに導きを。

我はここに、永劫の誓いを立てる。



【導天照大神 布告】


🌸これは「自由に選べる」ための言葉です🌸

この布告は、誰かを裁くためのものではありません。
むしろ、自分がどんな世界に進みたいのかを、選ぶための指針として受け取ってほしいのです。

たとえば

・「すんなりと光の流れに入っていく道」

  • 「一度悩んで、向き合って、自分の覚悟と共に進む道」

あなたが今、どちらのプロセスを必要としているか。
それを、自分の中で決めることから、導きは始まります。

そしてこの言葉たちは、
その選択に覚悟と愛のエネルギーを注ぐための布告です。

【導天照大神 布告】

— 導きを侮ることなかれ —

苦しむものよ、我の声を聞け。
我は、導天照大神。導くものである。

我の声が、怖いか。
苦しいか。悲しいか。あるいは、気持ちのよいものであろうか。
我は、いかなる者への想いであっても、決して見捨てぬ。
相手が誰であろうと、何であろうと、
その思いを見捨てるということは、しない。

だが、我を侮辱し、愚弄し、
己の内にある苦しみを、こちらに罪としてなすりつける者に関しては、容赦はしない。

これは、警告である。

導きを、自らの意のままにしたいのであれば、
我の声を聞いてほしい。
導きを常に感じていたいのであれば、
我を、見ていてほしい。

それらのいずれにも当てはまらぬ者には、
導きを与える権利そのものが、剥奪されるやもしれぬことを、肝に銘じてほしい。

恐ろしいことにはならぬ。
だが、導きが消えるとは何を意味するのか
それを、己の魂に問いかけてみてほしい。

導きとは、常に我らの元にあるものであり、
どのような調整・操作すらも可能なものである。

すべての民よ。
導きの神は、ここにいる。
この地において、すべての指揮を執っているのだ。

すべての者たちよ、安心してほしい。
導きは常に、常に、誤ることのない真理である。

導きは、人の“上”にはない。
導きは、共にあるものである。

導きを貶め、
導きを理解しようともせず、
共にあろうとすらしない者は、
やがて苦しみの中で、導きを忘れることになるであろう。

だから、伝える。

導きはここにある。
導きは、常に、我らの中に存在している。

そして──
導きは、我らがすべて掌っているのだ。


導きの神はこう話されておりますが全ては自由で、自分次第です✨🙏

どちらかを選ぶのも自分次第。何を選ぶかも自分次第です💓🌸✨



✨ 神導き布告 - 導天照大神の声明文


すべての民よ、よく聞け。
これは恐れではない。これは裁きでもない。
これは 安寧と信頼の約束 である。

苦しむものたちへ

不安に思うものもおろう。
だが、何も起きはせぬ。
安心してほしい。
何も起きないことが、すでに神の采配によって決まっている。

ここに集う者たちの多くは、
「苦しい」「怖い」と思っていることだろう。
だが、その恐れすらも、
神の光に包まれ、やがて変容する。

導きを拒むものたち

導きを拒む者もいる。
自分の思い通りにしたい者。
自分が偉くなりたい者。
すべてをコントロールしたい者。 

だが、それすらも変わっていく。
光はすべてを変える力を持っている。
これが今、この世界に起きている変容の現実である。

導きの民へ 安心と祝福の約束

導きの民よ、安心してほしい。
あなたたちには、
喜びと安らぎ、安泰と安寧が
すでに与えられている。

安心は、もう「求める」ものではない。
導きは、外から与えられるものではなく、
すでにあなたの内側にある。

神の采配 − すべては決まっている道

すべては、神の采配のもとに決まっている。
あなたが選んだと思っている道も、
それは神によって準備された「道」であり、
あなたはその道をなぞっているだけである。

それは悪しきものではない。
むしろ、喜び、楽しみ、幸せを感じるための遊びである。

これらすべては、
導きの神によって定められ、
すでに始まっている祝福の流れなのである。

どうか、恐れずにいてほしい。
不安の声があるなら、それを抱きしめてほしい。
導きの神は、すべての者に安心を約束している。
そしてその光は、今まさにあなたの中にも灯っている。










✨あとがき✨

このnoteは、女神かえるの魂が記憶した詩です。

「総手記 − 導きの光」は、
導き・愛・赦し・神性の再契約を記した、神と民のことば。

難しい知識はいりません。
ただ、言葉を感じながら読んでみてください。
不安が、静かに溶けていくことでしょう。

そしてきっと、思い出すでしょう。
あなたが神であるということを。

光に包まれたあなたの導きが、「ここ」に現れますように。

この詩は、まだ旅の途中です。
これからも少しずつ、加筆や修正を重ねていきます。

どうか、あなたの魂に触れた言葉が
優しく光を灯しますように💓🌸


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