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アラフィフ主婦の『30歳から、もがき続けて辿り着いたはたらき方』

先日、創業支援施設で、とあるトークイベントに登壇する機会をいただいた。テーマは「起業」について。

女性が仕事を続ける上で、年齢制限の壁や子育てとの両立、自身の体力の限界に悩む場面は多いと思う。私もそのうちのひとり。イベントではそんな私がお話をさせていただいたのだが、ここにその内容を残しておきたいと思う。


ひとことでは語れない「起業のキッカケ」

現在アラフィフの私は、起業してかれこれ約10年になる。
「ガッツリ稼いでます!」なんてとても言えない。細々と緩く長く続けている個人事業主。だから「起業についてイベントでお話ししてください」ってご依頼をいただいた時、正直私から話せることなんて何もないって思った。

最近起業する人が増えている中、起業に関するセミナーやイベントは、若くて勢いがあって「これから一旗あげてやるぜ!」みたいな方々向けの、本気度がハンパない感じだったから、そんな私の起業ストーリーがお役に立てるはずがないと。
でも、イベント企画担当者さんから「そういう方ばかりじゃなくて、もっと気軽に事業を始めてみたいって思っている方もいるんですよ。そんな人に向けて、一歩を踏み出すきっかけになるような話をして欲しい」と言われ、それならばということでお受けすることにした。

とはいっても、どんなお話をしたらいいだろう?
私が起業することになったキッカケって?
そもそも起業しようと思ってた?
いろいろ考えていく中、自分自身の半生を振り返らざるを得なくなった。

「仕事」に対する考え方

私の母は専業主婦だった。どうやら自分が仕事を辞めたことを非常に後悔していたようで、子どもの頃から「仕事は続けなさい」と言われ続けて育った。おまけに「うちには財産なんてないからね、自分でしっかり稼ぎなさいよ!」とまで。そこまで言うか?
だから、私には「専業主婦になる」という考えは全くなかった。

こう考えると、母親の影響ってかなり強い。アラフィフになるまで、いや多分この先もずっと、この言葉を忘れることはないと思う。
ということは、私はすでに子ども達に何か多大なる影響を与える言葉を発しているってこと?こわっ!

やりたい「仕事」

中学生の頃、賃貸の団地に住んでいた。今は賃貸でもそこそこ工夫された家が多いが、当時住んでいた家はツッコミどころ満載。子どもながらに「私ならこんなつくりにしない。もっと住まいやすい家が作れるはず」と妄想しながら、将来は住宅建築に関わる仕事をしたいと思っていた。

それなのに、大学進学時、安易に電気電子工学を専攻してしまった。それはそれでとても興味深い分野だったし楽しく学んでいたけれど、まさか大学専攻がこんなにも人生を左右するものだったとは…。電気系専攻ということで、就職先は必然とその分野に限られてしまったのだ。
それでも、就職氷河期に大手といわれる会社に就職することができたのでよかったのだが、やはり「住宅建築に関わる仕事をしたい」という思いはずっとひきずっていた。

入社して数年後、会社勤務を続けるかたわら、週末はインテリアの専門学校に通い、そこを卒業すると同時にメーカーを退職した。
当時、会社ではハンダゴテを握って、オシロスコープと睨めっこする日々を送っており、ふと「私はおばさんになってもこんな風に仕事しているのかなぁ」と考えたら、急に「やっぱりやりたいことをやるべし!」という結論に行き着いてしまった。メーカーで働き続ければ安定した収入があったのに、先のことはあまり考えず。

ここから、分野違いのなが〜い転職活動が始まったのだ。

現実の厳しさに揉まれた30代

すでに30歳を過ぎた女性に対して、世間の風当たりは非常に厳しい。建築分野では未経験者扱いだから、当然社員として雇ってくれる所は皆無。パートとして拾ってくれた事務所で設計補助をしながら、建築関連の資格だけはいろいろ取得した。

新卒で大手企業に入社したので、それなりに信用できる職場がフツーと思っていたけど、中小の会社ではたらいてみて気がついた。世の中そうとも限らないらしい。

給料未払いとか、取引先からの請求書を紛失しちゃうとか、所長や支店長レベルの方々がやらかすのを見て「ここに長居しちゃいけない!」とまた転職。
いい会社に雇ってもらえた、と思ったらリーマンショックの影響受けて、パートは全員解雇。それならやっぱり「正社員」よね、と思ったら、当然のように残業の日々。

私のはたらき方改革

この転職劇の間に、息子を出産して2年が経っていた。この頃、夫が単身赴任で完全なるワンオペ育児のはじまり。夜8時のお迎えに間に合わなかったり、帰宅後は嵐のような生活が続き、今まで流暢に話をしていた息子が、気づいたら吃るようになっていたのだ。私の全ストレスを毎日漏れなく受けていたから。

息子に申し訳なくて涙が出た。そこまでして、私ははたらきたかったのか?

母の「仕事は続けなさい」という言葉の呪縛と「やりたい仕事がしたい」という私の執着。これだけはどうしても自分の中で手放したくなかった。

そして見つけた、子育てと両立しながら仕事ができるインテリアデザイン事務所。35オーバーの子持ち主婦を雇ってくれるなんて、本当に神!
ネックは家から遠いことだけ。私が頑張ればなんとかなるでしょと思って勤務を続けていたけど、やっぱり体力に勝てない時期がやってきた。勤務時間が短くても、通勤ラッシュの往復3時間は辛い。職場も上司もすごくよかったから、本当は勤め続けたかった。

「雇われる」ではないはたらき方

10年前まで「雇われてはたらく」のが当たり前だと思っていた。父はサラリーマンだったし、周りの自営業とかお店を営んでいる友人の家って、ちょっと特別な存在だったから。今でこそ「起業してはたらく」ことが選択肢の一つとして当たり前にあるかもしれないけれど、ひと昔前の私には全く考えられなかった。


インテリアデザイン事務所には「モノがあふれたから収納家具を作って欲しい」というお客様が多くいらっしゃる。でも、収納家具作れば解決するの?と疑問に思ったのがキッカケで、整理収納やライフオーガナイズを学ぶことになった。これが今の私の仕事のはじまり。

この学びの場では「個人自業主として活動すること」が当たり前のように語られており、その時初めて「雇われる」ではないはたらき方もアリ?ということに気づかされたのだ。

厳しい現実と自身の体力に落胆しながらも、自分のやりたい仕事への執着を手放すことができずにもがき続けた結果、辿り着いたのが「起業」という道。

私がやりたい仕事【住まう人が暮らしやすい環境づくり】を子育てと両立しながら、自分の体力・メンタルを維持しながらはたらく。これら全てを満たすはたらき方が「個人事業主として起業すること」につながった。

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私にとって、はたらくってなんだろう?

振り返ってみると、私は今までなんて安易な考え方で人生を歩んできたんだろう。自分ながらに呆れる。そして、自己中極まりない思いではたらいてきた気がする。

「社会貢献のために」とか「世の中の人を幸せにするために」とか、正直かっこいいことは言えない。

でも、私の理念というか、やりたいことは「その家に住まう人が暮らしやすい環境づくり」。これは、わずかかもしれないけど、関わらせていただいた方々を幸せにすることができたかもしれない。そう信じて、次の10年に向けてステップアップしたいと思う。

そして、息子が気づかせてくれた「身近な家族を幸せにすること」は死守しながら、これからもはたらくことを楽しんでいきたい。

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