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十九路坐隱記―― 一局山水

巻頭偈

十九路頭何所有
寂寂中含未畫春
一著風雲忽然起
千生萬滅入毫塵

〔訓〕
十九路頭、何の有る所ぞ。
寂寂の中に、未だ畫かざる春を含む。
一たび著すれば、風雲忽然として起こり、
千生萬滅、毫塵に入る。





或問、棋者何。曰、十九路之山水也。
又問、山安在、水安在。曰、未下一子、山已高、水已深。
問者去。所存者、唯枰與看枰之一人耳。

〔訓〕
或るひと問ふ、「棋とは何ぞ」と。
曰く、「十九路の山水なり」と。
又問ふ、「山いづくにか在る、水いづくにか在る」と。
曰く、「未だ一子を下さざるに、山すでに高く、水すでに深し」と。
問者去る。存する所の者は、唯だ一枰と、枰を看る一人のみ。



序 寂中の萬象

盤、几上に展べらるれば、たちまち乾坤ひらく。一著未だ下らざるに、山すでに彼に高く、水すでに此に深く、聲なくして萬聲、未生の眠りより醒めんとす。

されど第一著以前、山もなく水もなく、敵もなく我もなく、地もなく形もなく、攻守もなく死生もなし。十九路ただ寂寞として、未生の萬象をそのうちに孕むのみ。

この寂、頑なる虚に非ず。霧の封ずる嶺、霜の被ふ野に似たり。本來無一物にして、而も盡藏。何もなきにあらず、ただ形のいまだ兆さざるのみ。日上りて峰々おのづから分かれ、影立ちて谷おのづから成るがごとく、一著、即ち是れ日なり。

古徳云く、「見山是れ山、見水是れ水」と。三十年の參を歴て、また云く、「見山是れ山に非ず、見水是れ水に非ず」と。徹見の後、なほ云く、「依前として見山ただ是れ山、見水ただ是れ水」と。盤上、この三重の山水、つねに相重なれり。

膝下に容るるばかりの一枰、そのうちに乾坤を疊み、四海を浮かべ、古今を藏む。木にして木に非ず。山たり河たり、伽藍たり戰場たり、夢幻たり。

父母未生以前の面目、いづくにか在る。第一著未下以前の盤面、正に是れ其れなり。

一局はじめて起これば、世界にはじめて音あり。こつり、と一子落つ。その音、寂を破るに非ず、寂の底をいよいよ深からしむるのみ。



盤上本無物
寂中藏萬春
一拈天地動
始識未生因

〔訓〕
盤上 本と一物無し。
寂中 萬春を藏す。
一たび拈ずれば 天地動き、
始めて識る 未生の因。



第一 手談

世尊、靈鷲山に在りて華を拈じ、衆に示す。時に衆みな黙然、唯だ迦葉尊者のみ破顔して微笑す。不立文字、教外別傳、直指人心、これ手談の祖なり。

碁人、盤に石を拈じて敵に示す。敵、相應の一著を以て応ず。応の鮮やかなるとき、即ち微笑なり。語らずして、なほ千言を盡くす。

辞は飾らるべし、釋は補はるべし。されど一著は、下されし刹那、もはや遁路なし。これ言にして黙、黙にして證なり。

緩手は、黙せる叱責を受く。咎めの一著、千言よりも嚴なり。されどよく応ずる一著、一句の慰めよりも深し。

「何ぞ此處へ」と詰問さるるとも、まことの一著、終に説き得ず。讀を盡くし、形勢を盡くし、歴年の鍛錬を盡くし、しかる後、僅かに理を離る。理を離るる微處にこそ、手のおのづから生ずるあり。

良き手談、辞を消し、息を澄まし、つひに盤をして問はしめ、盤をして応へしむ。打者は手にして手に非ず、盤は盤にして盤に非ず。

問ありて応あり、応さらに深き問を開く。これ即ち手談の妙なり。談話に非ず、議論に非ず。寂と寂と、互ひに底を量り合ふのみ。



拈華微笑是何情
不立文言句外明
一指落來全意現
無聲却有萬雷聲

〔訓〕
華を拈ずる微笑 是れ何の情ぞ。
文言を立てず 句外に明らかなり。
一指 落ち來たりて 全意現はれ、
無聲 却つて萬雷の聲有り。



第二 劫

佛典に説く。磐石あり、四十里四方。天女の衣、三年に一たび來たりてこれを拂ふ。岩、ことごとく磨り減るまでを、一劫と云ふ。これを磐石劫と謂ふ。

思ひ浮かぶるだに、心倦む。

圍碁はこの無邊の時を、十九路の一目、半粒の米にも滿たぬ一點に閉ぢ込めたり。一點の執、全局を撼かす。互ひに讓らず、いったん離れ、また還る。遠地の一著、時に劫材となりて此に響き、ここの爭ひ、遠きを醒さしむ。

劫は小なり。されど小を裝へる深淵なり。

人の心もまた然り。一念の怨み、一念の欲、一念の利、一念の面目。ただ一念、人生の全局を亂すに足る。

「どうしても取り還したし」、「どうしても讓るまじ」、「ここのみは失ふまじ」。この一念、即ち劫なり。

されば劫に勝つとは、敵に勝つのみに非ず。我が縛らるる所以を看ることなり。劫、盤上にあるが如くにして、實は胸中にあり。一著を爭ふが如くにして、實は己が執と爭ふなり。

而して劫はしばしば、離れざれば進まず。今すぐ取り得ざれば、他處へ趣く。他處の一著、却つて還る道を作る。今取らざることが、後に取り得る路となる。離るる一著のうちに、すでに還る道はひそめり。

執を斷たんがためならず。執の構造を、遠目にしづかに看んがためなり。冷たさは、この迂回にあり。慈悲もまた、この迂回にあり。



磐石三年拂欲摧
一爭何啻劫塵堆
今拋一子非真捨
留待他時再得回

〔訓〕
磐石 三年 拂はれて摧けんと欲す。
一爭 何ぞ啻に劫塵の堆きのみならんや。
今 一子を拋つは 真の捨つるに非ず、
留めて他時を待ち 再び回るを得。



第三 死活

碁人、敵の一團を屠るに、眉ひとつ動かさず。されど屠るは殺しに非ず。死せしめて、なほ働かしむるなり。

「この一團、生けり」、「この一團、未だ危きにあり」、「これ既に救はれず」、「これ捨てざるべからず」。辞のみを聞けば、酷きに似たり。されど盤上の生死、單純なるものに非ず。

救はんとする心、却つて重ねしむることあり。捨てしものが、後に全局を救ふことあり。死せしと見えし一團、形勢の奥にて尚も動くことあり。

死せしものにも、なほ味あり。味とは、消えたるものの、なほ遠くに及ぶ働きなり。

生くるとは、ただ殘るに非ず。死すとは、ただ消ゆるに非ず。死は終點に非ず、變化なり。力の向き轉じ、意の置き處、轉ずるのみ。

一團を捨てて先手を得、一隅を讓りて中央に厚みを得、小命を諦めて全局の息を取り戻す。これ捨石なり。捨石とは、身を以て道を成す者――維摩、疾を示して法を説くに似たり。

人はしばしば、目前のものを救はんとして、全局を失ふ。失ふを厭ふ心、却つて退路を塞ぐ。愛着は美徳なり。されど盤上にては、愛着もまた重荷となる。

されば冷たかれ、と云ふか。然らず。真に冷たき者は、捨てしものを働かすこと能はず。ただ斬るのみにて、意を移すこと能はず。

捨つるとは、見放つに非ず。一團の負ひしものを、別處に移すなり。死を死のままには終はらしめず。これ能ふとき、盤上の死、ほのかに餘韻を帶ぶ。この餘韻を知らざる者、死活を讀み得とも、生死を讀むこと能はず。



殺活從來不在棋
捨身全局妙難知
維摩示疾真消息
一死還含活路遺

〔訓〕
殺活 從來 棋に在らず。
身を捨つる全局 妙 知り難し。
維摩 疾を示すは 真の消息、
一死 還つて 活路の遺るを含む。



第四 坐隱

達磨、少林に面壁九年、影、壁に印すと傳ふ。坐隱の人、盤に對して幾年か。眉白くして、なほ次の一著を待つ。

碁を打つ者、何處へも往かず。山を越えず、水を渉らず、都を出でず。されど盤前に坐すれば、いつしか世間遠ざかる。利害、得喪、昨日の悔、明日の憂、しばらく薄らぐ。殘るは、ただ次の一著を待つ心のみ。

坐隱は逃避に非ず。世を忘るるに非ず。世の雜音を削ぎ落とし、欲と懼れと計算とを、十九路の上に露はにするなり。

盤上に爭ひあり、欲あり、懼れあり、忍辱あり、犠牲あり、虚榮あり、迷ひあり。娑婆の一切、十九路に具はる。

而して稀に、ひとつ澄みたる手あり。その刹那、勝負はなほ續くるに、勝負を超ゆる何ものか、現はる。

何かを得んとせず、何かを示さんとせず。ただ、其處に置かるべきものが、置かれたるのみ。

これ打つ者の手柄に非ず。盤がしばし許せるのみ。天地が、ほんの一刹那、その形を借り通せるのみ。露堂堂、覆ふところなし。

坐隱とは、この一刹那を待つことなり。



面壁九年心自安
不出虛堂萬境寬
偶有一碁清似露
勝負都忘骨自寒

〔訓〕
面壁 九年 心自ら安し。
虚堂を出でず 萬境寬し。
偶たま一碁の清きこと 露に似たる有り、
勝負 都て忘れて 骨自ら寒し。



第五 爛柯

晉の樵夫王質、信安の山中にて、童子數人の對局を看る。斧を地に置きて、ただ盤を看ること、しばし。童子、棗核のごときものを與ふ、これを含めば飢ゑを覺えず。童子曰く、「汝、なほ此にあるか」と。樵夫立たんとすれば、斧の柯すでに朽ちて、苔と化し、衣袖に塵あり。郷へ還れば、知る人みな墓中の人なり。

爛柯は仙譚に非ず。一局が、人より時を奪ふ、しづかなる事實なり。

對局の中、人は時の中に在るに非ず。時のはう、盤の中へ入り來るなり。

序盤の一著、終盤に意を變ず。早きに過ぎし一著、後に咎めらる。何氣なき一著、百手の後に光る。終はれりと思ひし處、再び爭點となる。

過去は過ぎ去らず、未來も未だ來ざるのみに非ず。一切の時、盤上に折り重なれり。

一局打ち終はるや、人少しく老ゆ。勝つとも、負くとも、何かを失ひたり。而して何かを、見てしまひたり。

勝の歡びには、ほのかなる疲れあり。敗の痛みには、いづくか澄める處あり。長き對局の後、人すぐには日常に復し得ず。

水底の月、搖れて消ゆとも、月を見しといふ記憶は殘る。盤上の形もまた、これに似たり。跡を殘さず、されど打ちたる者の内に、ほのかなる冷たさを殘す。

斧の柯、苔と化す。これ碁人のつねの事なり。



信安山色一枰秋
看罷柯爛萬事休
人世幾回曾識面
歸來舊侶盡荒丘

〔訓〕
信安の山色 一枰の秋。
看罷りて 柯爛れ 萬事休す。
人世 幾回か 曾て面を識る、
歸り來たれば 舊侶 盡く荒丘。



第六 間

馬遠、絹一幅に山を畫く。山、絹の隅に偏り、餘白廣し。世にこれを「馬一角」と號す。されど絹を看るに、山高く、雲深し。餘白あればこそ、山立つなり。

圍碁において最も大切なるは、形に非ず。形と形との間にあり。

一著と一著との距、近きに過ぐるか、遠きに過ぐるか。響くか、響かざるか。息あるか、塞がるるか。

この間、見ゆるが如くにして見えず、數ふるが如くにして數へ得ず。されど巧みなる者は、この間を聽く。

盤上に音あり。ただし耳に聽く音に非ず。未だ置かれざる一著の音なり。其處へ置けば響き、其處へ置けば濁り、其處へ置けば、遠き一團、息をする。

一局は、見ゆるもののみにて成らず。むしろ未だ置かれざるものに支へらる。

打たざること、一著と成るあり。急がざること、攻と成るあり。離るること、近づくと成るあり。

間を知らざる者、ただ埋めんとす。不安なれば近づき、懼るれば守り、惜しめば繋ぎ、悔やめば取り還す。

盤、埋めて滿つるものに非ず。空きたる處こそ、全體を支ふ。

文殊、不二の法門を維摩に問ふ。維摩、默然として一語なし。文殊嘆じて曰く、「乃至、文字語言有ること無し、是れ真に不二の法門に入るなり」と。維摩の一默、震雷の如し。文殊なほ及ばず。語られし辭よりも、語られざる沈默、つねに重し。手談の極致、また此處に在り。



馬遠縑端餘白賒
不施一筆見山霞
枰中妙在空虛處
維摩一默震恆沙

〔訓〕
馬遠 縑端 餘白 賒かなり。
一筆を施さずして 山霞を見る。
枰中の妙は 空虚の處に在り、
維摩 一默 恆沙を震はす。



第七 勢

庖丁、文惠君のために牛を解す。十九年、刃なほ新たなり。骨に逆らはず、節に從ふ。手の趣くところ、肯綮を解き、奏刀すれば牛、おのれ崩る。曰く、「臣の好む所のものは道なり、技より進めり」と。

良き手また然り。盤面を押し曲げず、すでに其處へ向ひつつあつた流れを、僅かに明らむのみ。打たれたる刹那、看る者おもふ――ここの外、なし、と。

されどこの「ここの外、なし」は、自由なきに非ず。むしろ自由の極まりたる處に、ただ一條の道、立ち現はるなり。

人は遁れたし、避けたし、別の道を選ばまほし。されど、どうしてもその一處に行き着いてしまふ。圍碁の一著、また斯くのごとし。

ただし、初めより定まりてあるに非ず。無數の可能、無數の搖れ、迷ひ、躊躇、その果に、ひとつの著點、立ち上がる。

良き一著は、命令に非ず、啓示に非ず。長き沈默の後に殘れる、最も靜かなる必然なり。

庖丁の刃、骨を割らず、おのづから節に入る。良き手、形を破らず、おのづから道に就く。



庖丁解牛十九年
刃發如新理自然
不曲盤面從其勢
一著天成似悟禪

〔訓〕
庖丁 牛を解くこと 十九年。
刃を發すること新たなるが如く 理自然なり。
盤面を曲げず 其の勢ひに從ふ。
一著 天成 悟禪に似たり。



第八 終局

杜陵、嘗て吟ず。「國破れて山河あり、城春にして草木深し」と。

一局終はりて、盤上の山河また在り。傷もまた山、未練もまた水、悔いもまた雲、遺恨もまた靄なり。

終局は、爭ひ消ゆるに非ず。爭ひが、各々の場所へ收まるなり。

盤上の一切、悉く和らぐに非ず。傷は殘り、未練は殘り、「あの處は失せたり」と思ふ場所も殘る。還り得るならば還らまほしき一著もあり。

されど、一局は終はる。終はるとは、勝敗の決するのみに非ず。散り在りし時間が、ひとつの風景となるなり。

ヨセに至れば、爭ひは細り、聲は低くなる。されど細き處にこそ、一局のかたち定まる。

序盤の迷ひ、中盤の闘ひ、劫の執、捨てたる一團、急ぎたる一著、待つべかりし一刹那、見えざりし手筋、見えながら打ち得ざりし處。これら一切、終局の盤面にしづかに沈めり。

勝てる者、ただ勝てるに非ず。負けし者、ただ負けしに非ず。半目の差に、夜の眠り破るることあり。勝ちてなほ悔い、負けてなほ言ひ譯を探す。かかる濁りもまた、盤上の霧なり。

一手ごとに散りしもの、消えしもの、捨てられしもの、見落とされしもの、すべて終局に至りて互ひに押し合ひ、沈み合ひ、一幅の景と成る。その景、讀み盡くし得ず、道理も一筋ならず。されど確かに、成れり。

消えながら續き、續きながら變じ、終はる刹那に全體現はる。讀み得る者にはこれを讀み、讀み得ざる者にも、何故か冷たき餘韻のみは殘る。

石を器に還す音あり。盤、ふたたび何事もなかりしが如き面をなす。

されど打ちたる者は知る。其處に山河あり、風あり、爭ひあり、死あり、生あり、劫あり、沈默ありき。而して最後に、ただ一條の靜寂のみが、戻り來たれり。



局終枰面尚乾坤
傷是青山恨是痕
收子一甌渾似洗
歸來只有寂無言

〔訓〕
局終はりて 枰面 尚ほ乾坤。
傷は是れ青山 恨みは是れ痕。
子を收むる一甌 渾て洗ふに似たり。
歸り來たれば 只だ寂の言無きのみ有り。



結 無言の山水

圍碁は勝負なり、遊戯なり、技藝なり。讀みなり、形なり、息なり。されど深きところにて、圍碁は一坐の禪に近し。

經に曰く、「應に住する所無くして、而も其の心を生ずべし」と。住すれば即ち縛、無住なれば即ち遊なり。

勝たんと欲する者は勝に縛らる。負けじと欲する者は敗に縛らる。攻むる者は攻に縛らる。守る者は守に縛らる。捨つる者は捨つるに縛らる。悟らんと欲する者は、悟に縛らる。

その一切を經て、なほ一著を下す。

その一著、僅かに澄みたるならば、其處に辭ならざる文あり。手を以て談じ、間を以て息し、盤上に一刹那あらはれて、たちまち消ゆるものあり。

圍碁とは即ち、十九路に現じ、十九路に滅する、無言の山水なり。



巻末頌

落子無聲山自現
千生萬死作前因
斧柯化盡空相見
局了棋枰月又新

〔訓〕
子を落として聲無く 山自ら現ず。
千生萬死 前因と作る。
斧柯 化し盡くして 空しく相見る。
局了りて棋枰 月又新たなり。





右、坐隱の記一巻、もと和語の草稿に出づ。今これを刪定し、句を煉り、章ごとに頌を繋けて、聊か五山の餘風に擬す。漢文・訓ともに古雅を旨とし、正字を交へ、歴史的假名遣ひに從ふ。

文、古を慕ふと雖も、未だ古に及ばず。盤上の山水、もとより言詮を絶す。況んや言を以て言外を寫さんとするをや。

読む者、請ふ、語を逐ふことなかれ。しばらく盤面の寂に就け。

跋頌

強將俗語擬高人
欲寫山河未及眞
局罷更無容喙處
夕窗寂寂萬峰新

〔訓〕
強ひて俗語を將つて 高人に擬す。
山河を寫し得て 未だ眞に及ばず。
局罷りて 更に喙を容るる處無し。
夕窗 寂寂として 萬峰新たなり。



略注

一、坐隱・手談――『世説新語』巧藝、「王中郎以圍棋爲坐隱、支公以圍棋爲手談」に本づく。本篇二章の題、即ち此處に淵源す。

二、拈華微笑――世尊、靈山會上に華を拈じ、迦葉獨り破顏す。不立文字・教外別傳の謂。『無門關』第六則「世尊拈花」。

三、見山三段――青原惟信禪師の語。未だ參ぜざるは山是れ山、參ずるに及んで山是れ山に非ず、休歇を得て山祇だ是れ山、と。

四、維摩一默――『維摩經』入不二法門品。文殊の宏辯を承けて、維摩默然たり。後人「一默、雷の如し」と評す。

五、維摩示疾――同經方便品。維摩、病を現じて法を演ぶ。捨石の喩、また此に取る。

六、磐石劫――經中の譬喩。廣大の磐石を、天衣の久しき一拂に磨り盡くすを一劫とす。碁の劫、その語と相通ず。

七、面壁九年――菩提達磨、嵩山少林に面壁し、影、石に印すと傳ふ。

八、爛柯――任昉『述異記』。信安の樵夫王質、童子の棋を觀るうち斧柯朽つ。圍碁の異稱「爛柯」の出。

九、庖丁解牛――『莊子』養生主。十九年、刃なほ新たにして、天理に依り、肯綮に從ふ。技を超えて道に進むの喩。

十、露堂堂――禪語。一切を露呈して、一毫も覆藏する所なきをいふ。

十一、馬遠――南宋の畫家。一隅に景を寄せ、餘白を活かす畫風を以て「馬一角」と稱せらる。

十二、國破山河在――杜甫「春望」。亂離の世、ただ山河の依然たるを詠ず。

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