日曜日授業参観事件と映画「十戒」と映画「炎のランナー」 第5回
ここから判決文を見てみます。
本件欠席記載の処分性について
原告児童1は昭和58年4月1日江戸川区立小岩第一中学校に進学しており・・・原告児童2も昭和60年4月に中学校へ支障なく進学している・・・
そして、本件欠席の記載が原告児童らのその後の学校及び社会における法律上、事実上の地位に具体的な不利益を及ぼすということも到底考えられないところである。
よつて、本件欠席記載は、抗告訴訟の対象となりうる行政処分には当たらないというべきであり、その取消しを求める訴えは不適法である。
判決では、小岩小学校が原告児童の欠席を記載したことは、抗告訴訟の対象となりうる行政処分には当たらないとしています。
判決では、小岩小学校が授業参観を日曜日に実施したことについて次のように述べています。
本件授業実施までの手続き
授業参観の意義と目的については、
第一に児童の授業の実際の場面を父母に参観してもらうこと、第二に参観授業の終了後に担任の教師と父母との間で、日頃の学習指導のみならず、生活指導あるいは家庭での生活の模様など児童の教育に関する諸般の問題について、懇談し、意見を交換する場を持つこと、・・・その中でも右第二の点については、母親だけでなく父親と懇談し、父親の意見をも聴取することが学校側にとつて特に貴重なものであることが認められる。
そこで、この授業参観を日曜日に行う必要性について考察する・・・
会社員及び公務員等のいわゆるサラリーマン家庭については日曜日、国民の祝日等の休日には勤務を要しない可能性が高いから、日曜日は、この多数を占める家庭について父母双方あるいは少くとも平日参観ができない父親も参観に来ることができる可能性が大きい日ということになる。・・・
このような理由によつて、本件授業参観を日曜日に設定したことは、平日参観では達せられない授業参観の目的を達成するために必要かつ適切な措置であつたということができる。
判決では、母親と父親の双方が授業参観に参加できるように、小岩小学校が授業参観を日曜日に実施したことは、必要かつ適切な措置だったとしています。
次は小岩小学校の校長先生の裁量行為について、判決が述べた箇所です。判決文の引用が長くなりますが、どこも大事なので引用します。
3 被告校長の裁量行為について
(二) 欠席の回避に伴う原告らの不利益
(1) それにしても、本件欠席記載が原告児童らにとつて好ましくない事実であることは、右(一)のとおりであるが、原告らにおいて同記載を回避するためには、原告児童らを本件授業に出席させるしか方法がないことになる。しかし、原告らが原告児童らを本件授業に出席させるならば、前記1で認定した事実関係のもとでは、原告児童らは日本基督教団小岩教会における教会学校には(その開始時間を大巾に繰り上げる等の特別な措置がとられないかぎり)出席できなくなることは明らかである。
そこで、原告らは、本件授業に出席するか同日の教会学校に出席するかという二者択一の形で本件授業を実施することは、原告らがキリスト教徒として有する信仰の自由を侵すことになり、不法行為に当たると主張する。
(2) 一般に、宗教教団がその宗教的活動として宗教教育の場を設け、集会(本件の教会学校もここにいう「集会」に含める。)をもつことは憲法に保障された自由であり、そのこと自体は国民の自由として公教育上も尊重されるべきことはいうまでもない。しかし、公教育をし、これを受けさせることもまた憲法が国家及び国民に対して要請するところであり、具体的には学校教育法等の関係法規によつて定められたところに従つて、被告校長その他の教育実務の運営に当たる機関において実施することが要求されている行為であることもまた明らかである。そして、右の公教育をいかなる日時に実施すべきかについては、前記2(一)(2)でみたとおり学校教育法施行規則47条とこれを受けた都、区の各規則で定めるところである。その結果、公教育が実施される日時とある宗教教団が信仰上の集会を行う日時とが重複し、競合する場合が生じることは、ひとり日曜日のみでなく、その他の曜日についても起こりうるものである(例えば、教義によつては土曜日を特別に宗教上重要な日とし、あるいは金曜日をそのような日と考え、また、曜日によつてではなく特定の暦日をそのような日として扱う宗教があることは公知の事実である。)。それゆえ、ある宗教教団がその教義に従つて集会を行う日時が公教育の実施される日時と重なる場合には、当該宗教教団に所属する信仰者は、そのいずれに出席するかの選択をその都度迫られることになるが、これをしも公教育の実施が信者の宗教行為の自由を制約するというのであれば、そのような制約はひとり本件授業にとどまらず、随所に起こるものということができる。
しかし、宗教行為に参加する児童について公教育の授業日に出席することを免除する(欠席として扱うことをしない。)ということでは、宗教、宗派ごとに右の重複・競合の日数が異なるところから、結果的に、宗教上の理由によつて個々の児童の授業日数に差異を生じることを容認することになつて、公教育の宗教的中立性を保つ上で好ましいことではないのみならず、当該児童の公教育上の成果をそれだけ阻害し(もつとも、学業の点のみであれば、後日補習で補えないものではない。)、そのうえさらに、公教育が集団的教育として挙げるはずの成果をも損なうことにならざるをえず、公教育が失うところは少なくないものがあるといえる。
このような見地から、学校教育法施行規則47条等の前掲関係法規は、公立小学校の休業日に授業を行い授業日に休業しようとするときの手続を定めるに当たつても、右宗教上の集会と抵触するような振替えを特に例外的に禁止するような規定は設けず、振替えについての公教育上の必要性の判断を「特別の必要がある場合」との要件の下に当該学校長の裁量に委ねたものと解されるのである。
したがつて、公教育上の特別の必要性がある授業日の振替えの範囲内では、宗教教団の集会と抵触することになつたとしても、法はこれを合理的根拠に基づくやむをえない制約として容認しているものと解すべきである。このように、国民の自由権といつても、それが内心にとどまるものではなく外形的行為となつて現れる以上、法が許容する合理的根拠に基づく一定の制約を受けざるをえないことについては信仰の自由も例外となるものではないと解される。
以上の意味において、かつその限りにおいて、原告らの教会学校における集会や信仰上の活動が前記(一)のような態様での不利益を被るという形で制肘される結果になつたとしても、そのゆえに本件授業が原告らに対して違憲、違法となるものではなく、原告らの被る右の不利益は原告らにおいて受忍すべき範囲内にあるものと言わざるをえないのである。
渋谷の某司法試験予備校では、この判決文の一部を抜粋して、3行を黄色のマーカーで塗って終わりです。それでは判決の内容を理解できません。判決文を実際に読んでみると、黄色でマークしたいところがたくさんあります。判決文のここも大事。この箇所も大事。
原告の澤正彦牧師さんは裁判で「公教育の宗教教育に対する特別配慮義務」を主張しました。判決は「特別配慮義務論」を一蹴しています。
(3) 原告らは、教育基本法9条を根拠に、公教育の担当機関は宗教教育に対する特別の配慮をすべき義務があり、宗教教育に参加する者に対して公教育上の授業に出席を強制する結果となるような授業日の振替えをしてはならず、宗教教育を受けるために授業に出席しなかつた者に対して少なくとも欠席の扱いをとるべきではないと主張する。
なるほど、教育基本法9条1項は、宗教に関する寛容の態度と並べて宗教の社会生活における地位を教育上尊重すべきことを規定しているが、その趣旨とするところは、宗教が人間性を培う上で重要な役割を果す契機の一つであるにもかかわらず、その重要性の認識がともすれば日常生活の利害の追求の中で稀薄化し、なおざりにされる恐れがあることに鑑みて、人格の完成をめざし国家及び社会の形成者としての資質を育成しようとする教育の目的(教育基本法1条参照)的見地から、社会生活における宗教の地位の尊重について配慮を促したものと理解される。したがつて、右規定は宗教的活動の自由に教育に優先する地位を与えたり、その価値に順序づけをしようとするものではなく、政治的教養(その涵養に必要な活動を含む)の尊重(同法8条1項)をうたうのと同様の趣旨に出たものにほかならない。それゆえ、この規定から、日曜日の宗教教育が本件授業の実施に優先して尊重されなければならないものと根拠づける原告らの主張は採用できないものと言わなければならない。まして公教育の担当機関が、児童の出席の要否を決めるために、各宗教活動の教義上の重要性を判断して、これに価値の順序づけを与え,公教育に対する優先の度合を測るというようなことは公教育に要請される宗教的中立性(同法9条2項)に抵触することにもなりかねない。したがつて、原告らキリスト教の信仰者が日曜日には公教育に対する出席義務から解放されて自由に教会学校に出席する(させる)ことができるという利益が憲法上保護されるべき程度も、先に述べた公教育上の特別の必要がある場合に優先するものではなく、本件欠席記載を違法ならしめるものではないというべきである。
日曜日授業参観事件の判決では、原告の澤正彦牧師さんが「公教育の宗教教育に対する特別配慮義務」を主張して、判決ではその「特別配慮義務論」を不採用にしました。
しかし、その後の剣道実技拒否事件では、「公教育の宗教教育に対する特別配慮義務」が認められてしまいました。
以上で、判決文の引用は終わりです。
次回は、判決文を読んだ感想を書きます。
