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「弱さ」って演出だったんだ。

【更新履歴】
2024/01/10   公開
2024/02/04 表現に問題があった部分を大きく改修。

こんにちは。ねこぐらしと申します。

最近、近くでマンション建設の工事が始まりました。

その振動で愛猫がびくびくしております。

今日の私の書きたいテーマは

「個人の弱さとはなにか」


ではテーマを語る為に、急ですが大多数の方に共感頂けるような悩みや弱みをつらつら並べてみます。

・朝起きるのがつらい。
・昼間に猛烈に眠くなって仕事や作業どころではない。
・就業直後の会議で船を漕ぐ。
・電車でうっかり乗り過ごす。
・やっとの思いで家に帰ってもなんの気力もわかない。
・片付けがままならず、部屋が汚れていく一方。
・布団に入るもなかなか眠れず、長時間スマホをいじってしまう。
・気絶したように入眠するため、寝た気がしない

すみません、大分ネガティブなことを並べてしまいました。

これらの悩みって

なんとかしたいと考えてはいるけれど
慢性化しちゃってるので解決に動くまでが億劫。


ひとつひとつのダメージは微細だけど、積み重なることで確実にダメージが蓄積していく。精神的にも肉体的にもしんどくなっていく。


時間をかけて原因を探し出し、ひとつひとつを紐解いていけば、トレーニング(場合によっては治療すること)で改善するかもしれない。

現代での神経症や精神疾患はしっかりカテゴライズされていて、それぞれ専門家に相談できればベター。

・起床に関することであれば起立性調整障害
昼間のウトウトであればナルコレプシー
電車や片付けの方面でいえば注意欠如・多動症(ADHD)

ただ、私は悔しいことに、この分野の専門家ではありません。

わたしなりに考えた

「個人の弱さとはなにか」

について書き記していきたいのです。



まずは弱さを大まかに分類してみます。

  • 経済的困窮

  • 人間関係(社会性)

  • 病気などの身体的・精神的問題


これらの3点が、弱さの大別とします。

その中でも今回が触れたいのは人間関係(社会性)


最近関わり合う人が増えていて、その人の魅力はなにかについて自然と考える時間が増えつつあります。

私の素の性格はというと、非常に内向的で興味の主体が常に自分。

交流分析の構造でいえばPAC(親・大人・子供)の内、子供(child)優位にあたります。

交流分析とは、自分自身の人間関係やコミュニケーションの傾向を知り、対人関係の問題を解消したり、トラブルを回避したりするための心理療法のことです。

交流分析とは?自我状態とエゴグラムを用いた活用方法を紹介
© 2011 Schoo Inc.


交流分析でいう親(Parent)気質は常に周囲に気をつかい、あくまで主体を相手に置ける人柄が特徴的。


子供(child)自分を主体として立ててくれる親(Parent)気質の振る舞いが大好きなのです。こんな感じ両者の関係が合致していれば、自然と円滑なコミュニケーションが育めます。

相手が魅力的に見える瞬間というのは、この交流分析の構造が、バランスよくカチッとハマった時なのです。



もちろん、日常の中でずっと子供(Child)であり続けるなんてことはできません。

大人(Adult)に弱みをみせてしまうと文字通り弱みをにぎられることになったり、敬遠されてしまったり…。

子供(Child)同士に見せる弱さは競合や争いだったり、いじめにつながってしまったり…。(テレビドラマとかでよくある陰湿な嫌がらせを想像すると、イメージしやすいかも…。)



ひとつケースを出してみましょう。

子供優位の人がいます。その人に対し冒頭で挙げたような悩みを打ち明けてたら、子供優位の彼(彼女)はどう対応するでしょう?

  • 一緒に悩む?

  • 苦しみを分かち合う?

  • 解決方法を提示する?

⇓例えば、こんな悩み⇓
・朝起きるのがつらい。
・昼間に猛烈に眠くなって仕事や作業どころではない。
・電車でうっかり乗り過ごす。


おそらく子供全開で対応した場合、

「俺はそんなの余裕だから、今から俺のいうアドバイスを実行してみて!」


と回答される可能性が高い。


いや、間違いではないと思います…!

でも、なんだか根本的なところがズレている気がしませんか…?

その正体は『悩みを打ち明けたはずの自分が、主体じゃなくなってる』ことへの違和感です。

子供優位の人が主体の話になってしまっている。

ここで求められるのは、親(Parent)『主体を相手に譲る力です』

相談をしているのはあなたなのだから、フォーカスするべきがどちらか、それは明白です。

少なくとも、お悩み相談は子供(child)で応じてはいけない、ということですね。




さて、個人によって優位な属性があることは説明しました。

ですが、人間は自分の中にPAC(親・大人・子供)の要素三つを持っています。

たとえば、子供時代に見てきた親の対応だとか、大人たちの対応を自然と学んでいく。すると子供の中にも、親や大人の種はすくすくと育っていく。


その時々、どの要素で、どう対応していくか。

適切な構造(レイヤー)を選ぶ瞬発力が、対話やコミュニケーションおいて恐ろしく重要です。

恐ろしくと表現したのは、私もこの切り替えをうまく出来ずに、絶えずバッドコミュニケーションをしてしまうから…。


相手のレイヤーをよく観察して

→甘えるポイントを見極める!
→甘えてはいけないポイントを見極める!
→甘やかすポイントを見極める!

そして、これらを上手に切り替えるコト!


交流分析においてはこの能力が重要だとされています。



ただ、このレイヤーを見極めるというのが非常に難しい。。。

「弱さ」というカードをどう適切に切るかにかかっています。


しかし、慢性的な悩みであればあるほど、問題が心の奥のほうにしまい込まれて、うまく表にでてこなくなりがち。


特に、弱みは「自身の至らなさ」「人として恥ずべきもの」と誤認してしまうケースもあります。

自分の中で「弱みを隠さなきゃ!」と全力で警鐘を鳴ってしまえば、ますます表にはでてこなくなる

そうして甘えるタイミングを見失って負のスパイラルが始まってしまったら、弱みが呪いのように奥底から人生を蝕み続けるかもしれない。


だからこそ、弱さを見せるのにも工夫や努力が大切ですね。



しかし、文章におこしてみるとかなり奇妙なものです。

もう一度書きますね。

弱さを見せるのに工夫や努力が必要。

・・・

どうでしょう?

思わずクエスチョンマークを5,6個つけてしまいそうなセンテンス。

これって弱さではなくて、むしろ「強かさ」ではないのかな~と首をかしげてしまいそうです。

もちろん「強かさ」に昇華できればそれに越したことはありません。

ですが、それって本質的な弱さの話からは大分かけ離れているような気がします。


ちょっと自分でも分からなくなってきましたので、試しにchatAI君にも意見を聞いてみました。


弱さをアピールする場面として、恋愛や人間関係の形成過程での自己提示の場面を想定します。この場合、ある程度の弱さを見せることで相手からの同情や保護欲を引き出す効果が期待できます。ただし、度が过ぎると信頼を失うリスクがあるので、上手なバランスが必要です。

具体的には、些細な困難に対する手助けを求めることが有効と考えます。例えば、事務作業を行う際に、文房具の使い方やPC操作などで分からない点があれば遠慮なく相手に尋ねる。これはある種の無力さを示す行動ですが、致命的なイメージダウンにはなりません。

また、悩み事や辛い出来事についても適度に話すことで、精神的な弱さを示唆できます。ただし、プライバシーに関わるものは控えめにしておく必要があります。考え得るトピックとしては、人間関係のストレスや簡単な健康問題などが無難でしょう。

これらの弱さ表現を通じ、相手からの支えを得つつも、基本的に自立しているという印象を残すことが大切です。過剰な被害者意識の表出は信用を失いかねません。弱さのアピールはほどほどが肝心なのです。

対話型AI:Claude2

この後に次の一文が続くんですが

「上手に弱さを演出すれば人間関係を深める効果が期待できるでしょう。」

対話型AI:Claude2

とchatAi君は締めくくっています。

おおむねchatAi君と同意見だったことに胸をなでおろしつつ「演出の問題」という、見解がえられました

どうやら、弱さという素材をどう演出することかが大事だそうです

うーん。

これを残酷と捉えるか希望と捉えるかは、かなり意見が分かれそうなところですね。

この回答にあぁそうかと納得した反面、私の課題は一つ増える結果になりました。

結局のところ、交流分析で言うところの「弱さ」って「大人(adult)のレイヤーの範疇に収まる」という条件付きの弱さなのでは?と思ってしまったのです。

いうなれば、PAC(親・大人・子供)の三要素のさらに上位のレイヤーに、全てを包括する大人(Adult)構造がある感じ。



子供(Child)のレイヤーを選択するにしても、大人(Adult)の中に入っている子供(Child)しか使えない。

これが「子供としての弱さを演出」することそのものである気がします。

枠の外にでていてコントロールできない「子供」

ではこれの制御が効かない人は、根っからの親(Parent)に任せるしかないのでしょうか…。

そう考えると、途端に社会が窮屈なものに思えてきました。



弱み(子供)が少なければ少ないほど、それだけで居心地の良い大人(Adult)社会
であるのが、現実のように感じてしまいます。


ただし、コントロール不能な弱みを持っていたとしても、腹を割って話せるコミュニティに所属しているならば、個人の問題は大きく低減できます。

同じ弱みを持つ当事者同士が話を聞いたり発表したりする自助会が、まさにその典型でしょう。包括的な大人(adult)としてのレイヤーを取り払うことで、心理的な安全を確保しています。


ここまで無策で書いてきて、なんなんですが、この問題の根はとても根深いですね…。



私も一時期は心療内科に通っていた時期がありました。

結果として、複雑に絡み合った問題を解きほぐし、ある一点の改善は見られましたし、辛い時期を乗り越えるキッカケを頂けました。

しかし、根本的な何かが解決した感覚は、まったくありません。

その頃から私は、患者の地域社会への復帰をミッションとしている医療機関と個人の生きづらさを助力する自助的なコミュニティとでは取り扱う問題自体がまるで違うことに気付きました。

この事に関しては、かなりの時間一人で考え続けたと思います。

しかし、私も結局は、子供(弱さ)を隠す選択をしてしまった気がします。


弱さと個人一人で向き合うことに、ある種の徒労感を覚えていた、というのが正しいでしょうか。


安心安全のコミュニティに所属しない限り、弱さの克服は無理ゲーに等しいと思ったからです。



さて、長くなりましたが、話をまとめます。

  • 弱さは魅せ方と演出次第。

  • 私たちは大人(レイヤー)から脱却できない(してはいけないという先入観の元、社会活動が成り立っている)

  • 安全かつ安心なコミュニティの形成が、適切なコミュニケーションを育む。

  • 孤立は個人の弱みを心の奥底に閉じ込めるが、その状況を作り出すのも救い出すのも、大人(Adult)社会そのものである。難しい。

私の抱いた印象はこんなところでしょうか。

しかし、交流分析の構造が頭の片隅になれば、「あ、今この人は子供(child)をわたしに見せているかも!」と、気づけるかもしれません。

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