作品群解説:Thinking Experiment
最近Instagramの方でちょっとした試みを行なっています。
Thinking Experimentと称したシリーズで、現在はNo.12まで投稿しています。
とはいえ、画像だけではどういった意図で撮影しているのか分かりにくいと思うので、このシリーズのコンセプトについてまとめていこうと思います。
きっかけ
以前の記事で「これから現代アートとしての写真作品を模索していきたい」という話をうっすらさせていただきました。
今回のシリーズもこの一環で、「ひとつのコンセプトを元に作品群を作ろう」というのが狙いです。
今取り組んでいる作品は長期的な制作となっており、まだまだ表に持ってくることはできません。
ですので、自分の勉強も含めた「カジュアル枠」としてもう一つ作品群を作っていかないか…ということで、今回のThinking Experiment(思考実験)というシリーズを撮り始めました。
着想元
このシリーズの根っこにあるのはマルセル・デュシャンという作家さんの泉(噴水)という作品です。
リンク踏むのが面倒な人のためにざっくり要約なのですが、これは1917年に発表されたアート作品で、既成の便器にR.MUTT 1919という署名のみを入れたものです。
デュシャンは素性を隠した上で、この作品を自身が委員を務めるニューヨークの展示会に出品。
結果として展示はされず(正確には人目につかない裏方に置かれていたそうです)最終的に紛失し、デュシャンは抗議文章を提出した…というのがこの作品に関わる一連の流れです。
一説によると、抗議までの流れがやたら手際が良かったそうで、こういったゴタゴタも含めてのパフォーマンスだったのでは?と言われています。
デュシャンはこういった既製品をそのまま、あるいは少し手を加えて作品としたものを"レディメイド"と称しており、これは作品の美しさよりも思想に重みづけを行う現代アートの原点の一つと言われています。
さて、このレディメイドという概念は、発案者のデュシャン自身「正確に定義付けができていない」と語っています。
つまり、まだまだ再検証の余地が残されている分野です。
この分野に写真で切り込めないか?というのが、このThinking Experimentシリーズの根っことなっています。
我々の魂はどこから来るのか

魂と言っても差し支えないかもしれない
ここからはこの作品群のテーマとなります。
このThinking Experimentの被写体や撮影スタイルはバラバラに見えるかもしれませんが
・日常にありふれた大量生産品(つまりレディメイド)
・尚且つある程度の年数を重ねたもの
をピックアップしています。
物というのは使われることにより個性を持ちます。
元々は無個性な大量生産品であっても、長い年月をかけて使い込まれ、傷や塗装の褪色が加わり、不具合を修理したり現地改修を経て唯一無二の形を得ていきます。

劣化状況は置かれている場所によってまちまちだ
丁寧に掃除されている物もあればゴミだらけなこともある
例えば、僕の乗っている車は元々新車で購入しました。
工場からラインオフして僕の手に渡るまでは他の同じ車種と何も変わらない存在でしたが、何年も乗り続けることによってできた傷やヘタりなど…一つ一つが歴史の積み重ねです。
例えば、助手席のドアの端には僕の彼女が車を降りる際に塀にぶつけてしまった塗装の欠けがあります。
フロントのガードは猛吹雪の日に雪を押し除けて走った際に割れてしまいました。
ボンネットも落雪によりひしゃげ、一度交換しています。
これは僕の車にしかない特徴です。
こういった思い出があるからこそ、くたびれても乗り続けています。

あと20年は乗る予定
また、バイクは中古で購入したのですが、前オーナーが改造を行った跡が各所にあります。
今はその上で僕がアレコレ整備を行ったり、この先のカスタムの計画を立てたりしています。
人気の車種なので定期的に同じバイクと行き合うのですが、自分のものは唯一無二だと感じます。

このことを踏まえてマルセル・デュシャンの泉について再度考えてみましょう。
確かにデュシャンが使ったのは既成の何の変哲もない便器なのですが、彼がサインを入れストーリーを作り、(用途外ではありますが)この便器をアート作品として"使用"したことにより、「唯一無二の個性」を持つに至ったとも捉えることができます。
つまり、泉に限らずですが、レディメイドは作品として定義付けられた時点で中古品となり、画一な大量生産品という枠組みを離れ各々の個性を持つ…というのが今の僕の持論です。
もしかすると、こういった個性は「魂」に近いものかもしれません。
さて、われわれ人間も当然のように個性があり、同じ人間というのは1人もいません。
なぜでしょうか?
少なくとも私のようなマス層は同じような環境で生まれ育っています。
似たような家庭に生まれ、同じような学校に通い、同じ言語と教科書を使って同じ教師から学び、同じような会社に就職し、同じように死んでいきます。
このような道筋を見ると、全員大体同じような考え方の人間であってもおかしくないと感じますが、現実には様々な人がいます。
寄付やボランティアに勤しむ善人もいれば、犯罪を犯す人もいますし、そこまで行かずとも不道徳で浅はかな行いというのは毎日目に入ります。
こういった我々の魂の違いはどこからくるのか。
レディメイドを撮り続け検証していくことでヒントが見つかるのではないか?というのが、この作品群のコンセプトとなっています。
幸いというべきかは分かりませんが、たいていの工業製品は我々より寿命が短いです。
人間をゆりかごから墓場まで観察し検証するには何世代も同じことを続けなければいけませんが、レディメイドであれば比較的容易に一生を追うことができます。
このコンセプトは人によっては「当たり前だ」と切り捨てられる考え方ですが、インターネットやAIが発達し、人が人の領域を越えようとしている現代で、我々は本来どんな生き物なのかを再度探究するというのは、僕の中では意味のあることに思えます。
画作り
ここからは撮影に関しての話です。
コンセプチュアルとしてアプローチするのであれば、正直画のクオリティはどうでもいいのですが、Instagram上の作品群を見る方でこの記事に触れる方は少ないと思いますので、最低限の美意識は持って制作を進めています。
とはいえ、高額なボディやレンズは手が届きませんので、代わりにフィルターやオールドレンズを活用し、所謂「エモい」画に持っていくよう意識しています。

なお、こんなものをひたすら撮っている姿は不審者そのものである
地域的に車で"どこの誰か"一瞬でバレるので、一番の障壁は田舎特有の社会の狭さかもしれない。
最近この用途でのお気に入りはブラックミストフィルターです。
光を印象的にすることができますし、あえて解像度を落とすようなアプローチのフィルターですので、レンズの性能やノイズに拘る必要もありません。
現在使用しているキットレンズで十分良い画が吐き出せます。
また、オールドレンズについても同じことが言えます。
多少滲んでようが、解像感が最新機種に劣ろうが「いやぁ、これタクマーで撮ってるんすよね…」って言うと大体の人が「なるほど。拘りだね。味だねぇ。」と納得してくれます。
言ってしまえばこんなモンただその辺に転がってた骨董品で、性能も現代のレンズには劣るのですが…このオールドレンズという"肩書"は中々都合がよく便利なものですので、積極的に利用していこうと思います。

おわりに
カジュアル枠と書きましたが、この企画も長期的なものです。
恐らく答えなんて出ないでしょうし、撮っていくうちに考えが変わったり、意味がないとやめてしまうかもしれません。
外に見せることを意識している物でもなく、私自身の勉強という面が強いです。
とはいえ、「人間とはいったい何なのか」というのは音楽をやっていた頃から僕の心にしがみついている命題でもあります。
ここに写真でどのようにアプローチできるのか…少しずつ思考を形にできればと思いますので、楽しく見守っていただけると幸いです。
最後に、この記事は有償設定としています。
企画に興味を持っていただけたら、よければ少しカンパしていただけると幸いです。
機材は現在のもので十分なのですが、北海道の撮影活動は燃料費との戦いです。有効に使わせていただきます。
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