僕がこの場所で、言葉を紡ぎ始めた理由:ありがとう日記 #0
「いま、新規の受け付けはしておりません」
受話器の向こうから聞こえる淡々とした断りの言葉。不登校になった子供のために、必死の思いで精神科や心療内科を探していた僕の心に、冷たい風が吹き抜けました。
今の世の中がどれほどの痛みを抱えているのか、その現実に直面し、ただただ立ち尽くすしかありませんでした。
どんな現実も、受け止め方次第で変えられる
最初、僕はその状況を「絶望」だと思いました。
けれど、ふと立ち止まって考えたのです。
「断られた」ということは、今の僕たちにはまだ、自分たちの力で向き合える余地が残されているということではないか。
「人が多い」ということは、私たちは決して一人ではなく、多くの仲間と共にこの時代を生きているということではないか。
どんなに厳しい現実も、自分の「考え方」一つで、それは自分を追い詰める凶器にもなれば、自分を育てる糧にもなる。そう確信したとき、暗闇の中に一筋の光が見えた気がしました。
「心は傷付かない、磨かれている」
僕は、日々の暮らしの中で修行を続けています。
雨の日のバイク通勤、家計を支えるための節約、そして、トイレの便器に手を入れて洗う布おしめ。
かつての僕なら「汚い」「苦労だ」と切り捨てていたこと。
けれど、無心におしめを洗っていると、自分の中にある余計な見栄や自我が、水と一緒にさらさらと洗い流されていくのを感じます。
心は、外からの出来事で傷付くような柔なものではない。
むしろ、困難に揉まれるたびに、余計なものが削ぎ落とされ、より透明に、より強く「磨かれていく」ものなのだと。
この日記が、誰かの灯りになれば
子供の不登校。それは、家族にとっての大きな「磨き」の始まりでした。
この経験を通じて得た気づきや、日々の暮らしに潜む小さな「ありがとう」を言葉に留めておきたい。
それが、かつての僕と同じように立ち止まり、震えている誰かの心を、少しでも温かく、軽やかにするきっかけになれば。
そんな願いを込めて、今日から「ありがとう日記」を始めます。
当たり前の毎日に感謝を込めて。
