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RIZIN.54 全11試合徹底予想## ―― ベルトが1本も懸からない大会が、なぜ今年いちばん重いのか


「私やサトシ先生は、最初は工場に通っていた」

――クレベル・コイケの16年

勝ったばかりの男が、リングの中央でマイクを向けられていた。

2025年の大晦日、さいたまスーパーアリーナ。クレベル・コイケは5月に王座を失い、7月に朝倉未来に敗れていた。2連敗。36歳。
もう終わりだと書かれていた。
その夜、元王者を判定で下し、久しぶりに勝った。

「次はシェイドゥラエフ選手への挑戦ですか」

少し、間があった。

「シェイドゥラエフ、無理。私、勝てない」

会場のざわめきが、一瞬止まった。

勝った直後である。全国放送である。差し出された挑戦権を、自分から押し返すような言葉だった。

事情を知らなければ、情けない男に見える。


1908年と1989年

1908年、笠戸丸という船が日本を出て、ブラジルのサントス港に着いた。781人の移民を乗せていた。日本人がブラジルへ渡っていく、
その最初の一隻である。

それから81年後の1989年10月、サンパウロで男の子が生まれた。
渡っていった人たちの、子孫の家に。

その2か月後、1989年12月8日。日本の国会で入管法の改正案が通った。
「定住者」という在留資格が新しくでき、日系3世までが、
職種の制限なしに日本で働けるようになる。翌1990年6月に施行された。

祖父たちが渡っていった方向へ、孫たちが逆に流れはじめた。
デカセギと呼ばれた。在日ブラジル人は1990年に約5万6000人、
2003年には約28万人に膨らむ。

1989年に生まれたその子は、14歳のとき、その流れに乗って日本へ来た。

名前を、クレベル・コイケという。


ジャパ

祖父が日本人で、ブラジルで柔道をやっていた。
その縁で7歳から柔道着を着た。

現地の子どもたちからは「ジャパ」と呼ばれた。日本人、という意味で
ある。日本の血が流れているという、それだけの理由でいじめられた。

14歳で来日する。日本では「ガイジン」と呼ばれた。

中学に入ると、同じ日系ブラジル人の子どもたちがいじめられていた。それを見て、学校へ行くのをやめた。

ブラジルでは日本人、日本では外国人。14歳の少年に、帰る場所はどこにもなかった。

学校をやめて、働いた。工場。養鶏場。ゴミ回収。


工場

十数年あとになって、本人がこう語っている。

「ヒクソンやミノタウロ(ノゲイラ)は選手としてブラジルから
やってきて、ショーの試合(ビッグイベント)をやりにきた。
一方、私やサトシ先生は最初日本に来たときは工場に通っていた

(Number Web/布施鋼治・2021年6月23日)

別の媒体でも、同じことを言っている。ヴァンダレイ・シウバや
ミノタウロのように選手として招かれて来たのではない、
と前置きしたうえで、こうだ。

「最初に日本に来たのは、会社員として工場に来た」

(MEGABRASIL・2021年6月16日)

二度、違う場所で、同じ話をしている。この男にとって、そこが自分の出発点なのだろうと思う。

日本人が知っているブラジル人の格闘家は、たいてい招かれて来た人たちだった。ヒクソン・グレイシー。アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ。ヴァンダレイ・シウバ。大晦日のリングに立つために、飛行機で運ばれてきた男たちである。

クレベルは、そちら側ではない。

同じ立場の男がもうひとりいる。ホベルト・サトシ・ソウザ。同い年である。18歳で来日し、静岡県磐田市の工場で鉄を加工していた。深夜残業のある現場だった。

工場に通いながら、稽古をした。二人とも、そうやって始めた。


送迎バス

2004年4月、ひとりのブラジル人が日本に来る。

マウリシオ・ダイ・ソウザ。サトシの一番上の兄で、ボンサイ柔術という道場の創始者の息子である。彼もまた、出稼ぎで来ていた。

磐田で、坂本健という日本人の協力を得て、ボンサイ柔術ジャパンを立ち上げた。

同じ年、14歳のクレベルは、工場の送迎バスに乗っていた。

隣に座ったのが、そのマウリシオだった。

偶然である。座席がひとつ違っていたら、この話は存在しない。出稼ぎで来た柔術家と、出稼ぎで来た少年が、工場へ向かうバスの中で隣り合った。それだけのことで、ひとりの人生の行き先が決まった。

道場に入った。7歳から畳の上にいた体が、そこでようやく置き場所を見つけた。

それでも、まっすぐには進まなかった。

2008年の秋、リーマンショックが世界を殴りつけた。ブラジル人労働者の多くは短期契約の非正規雇用で、不況で最初に切られるのはその人たちだった。派遣切りにあうと、派遣会社の寮に住んでいた者は住む場所ごと失う。帰国が相次いだ。

クレベルの両親も、ブラジルへ帰る決断をする。

18歳の彼だけが、日本に残った。

家族のいなくなった国で、ナイトクラブの用心棒として働いた。夜の街で喧嘩を繰り返し、もめ事を重ねた。見かねた次兄のマルコス・ヨシオが、破門を口にする。

そこで泣いて止めたのが、サトシだった。

自分が一緒にいるから、もう一度チャンスをあげてほしい。そう頼み込んだ。

クレベル・コイケがいまリングに立っているのは、この一度のとりなしによる。

その年の9月、プロデビュー。初戦は一本勝ちだった。

ソウザ兄弟とアパートで金を出し合い、共同生活をしながら、技を磨いた。


29本

殴り倒す選手にはならなかった。首を絞め、腕を極める選手になった。

これまでの勝ち星のうち、29が一本勝ちである。倒すのではなく、極める。爆発ではなく、相手が畳を叩くまでの静かな作業。

学校へ行かなかった少年が、16年かけてそれだけを磨いた。

強かった。ただし、誰も呼ばなかった。

2017年、ポーランドまで行ってKSWという団体の王座を獲った。
それでも日本での扱いは変わらない。当時を知る団体関係者の証言がある。

「知名度はないけど、クレベルは以前から強かった。ぶっちゃけ、対戦を嫌がる日本人選手もいましたね」

強すぎて、有名でない。だから試合が組まれない。

工場から来た男が、日本の格闘技の輪の外に立たされていた期間は、
10年を超える。


「YouTuberじゃない」

2021年6月13日、東京ドーム。

ようやく呼ばれた相手は、朝倉未来だった。当時、日本でいちばん見られている格闘家である。

クレベルは三角絞めで極めた。朝倉は落ちた。

そしてリング上で、こう叫んだ。

「(私は)YouTuberじゃない。fighterだよ!」

工場に通っていた男が、いちばん有名な男を絞め落として、初めて全国に向けて言った言葉がそれだった。

同じ夜、倒した相手についてこうも話している。

「タップしないと、壊れちゃう」

「彼はスピリットのあるホンモノの漢だよ」

その3日後のインタビューでは、自分を押し上げたものについてこう語った。

「わたしが一番信じているのは、人のモチベーション」

「わたしの生徒たち、ジム、家族のおかげで、わたしもここまで来ることができたので、みんなもそれができると思う」

33歳でRIZINの王座に就いた。一度手放し、35歳の大晦日に鈴木千裕を破って巻き直した。

サンパウロでジャパと呼ばれ、日本でガイジンと呼ばれた男が、日本でいちばん人の集まる大晦日に、ベルトを腰に巻いていた。

いまも磐田に住んでいる。2014年に結婚し、子どもが4人いる。


62秒

2025年5月4日。

ラジャブアリ・シェイドゥラエフという25歳が、目の前に立った。

キルギス出身。19戦19勝。しかもその全部がフィニッシュ決着で、判定までもつれたことが一度もない。持ち上げ、叩きつけ、壊す。そういう勝ち方しかしない。

試合は1分2秒で終わった。

クレベルは殴られて倒れた。打撃で倒されたのは、
キャリアで初めてだった。

16年かけて手に入れたものが、62秒で消えた。

2か月後、朝倉未来に判定で敗れる。かつて絞め落とした相手への、4年越しの再戦だった。2連敗。36歳。今度こそ終わったと言われた。

そして大晦日に勝ち、あの一言を口にした。

シェイドゥラエフ、無理。私、勝てない。

14歳で国を出て、学校をやめ、工場と養鶏場で働き、家族に置いていかれ、破門されかけ、10年以上誰にも呼ばれず、それでもベルトまで歩いた男が、自分の負けをごまかさなかった。

都合のいいことを言える人間ではない。それだけのことである。


続き

ざわめいた会場で、クレベルは話を続けている。

「なんで1年間、私待っている。シェイドゥラエフは契約終わって、UFC行く」

ここで、話の中身が変わる。

シェイドゥラエフのRIZINとの契約は、残り2試合しかない。

このままなら、誰にも負けないまま、あの怪物はアメリカへ行く。数年後、こう振り返ることになる。あの頃とんでもない選手がいた、日本の誰も勝てないまま、いなくなった、と。

無敗という伝説だけが残り、決着だけがどこにもない。

クレベルが焦っていたのは、自分の負けではない。その空白のほうだった。

年が明けた1月10日、自身のYouTubeでこう言っている。

「この階級で、私だけが、彼を止めることができる」

10日前と真逆である。手のひら返しだと笑われた。

だが続きを聞くと、話は違ってくる。いまのフェザー級は打撃の選手ばかりで、寝技で戦える選手がいない。だから誰も止められない。そう言っていた。

自分は強い、とは一言も言っていない。

あの怪物の下に潜り、腕や首を狙える人間が、この階級にはもう自分しか残っていない。言っていたのはそれだった。

力の話ではなく、残っている人数の話である。

勝てないことと、行けるのが自分しかいないことは、両立する。


20歳:秋元強真

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