あの駅は、町と空港の境目だった
私の最寄り駅は、いま「天空橋駅」と呼ばれている。
かつての空港跡地では再開発が進み、
イノベーションシティとして新しい街が動き出している。
未来へ向かう準備が、静かに整えられている場所だ。
けれど、私の記憶の中での駅は少し違う。
そこにあったのは――
「天空橋駅」の生みの親ともいえる駅、
羽田空港駅だった。
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働く人のための終点
1970年代。
京浜急行の終点だったその駅は、
今の空港ターミナルとは離れた場所にあった。
飛行機に乗る人の多くは東京モノレールを使い、
京急の羽田空港駅は、どちらかと言えば“働く人の駅”だった。
空港スタッフ、整備に関わる人たち。
駅からさらにバスに乗り、飛行場へ向かっていた時代。
羽田空港駅なのに、
羽田空港ではない。
その少し不思議な距離感が、
当時の羽田らしさだった。
蒲田までの数駅は座れる。
だが乗り換えたその先は、満員電車だった。
終点であり、
同時に一日の始まりでもあった。
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爆音の町
私の家は、滑走路の延長線上にあった。
着陸寸前の飛行機が、
窓の向こうをかすめるように低く飛ぶ。
テレビの音は聞こえない。
窓はガタガタ揺れる。
やがて騒音対策として家に変化が訪れた。
国の補償でサッシが入り、
エアコンも設置された。
生活は確かに快適になった。
けれどその頃には、
爆音さえも日常の音になっていた。
地元の人は「静かになった」と言い、
外から来た人は「うるさい」と言った。
同じ音でも、
記憶が違えば感じ方も違うのだ。
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漁師だった父
父は昭和8年生まれの漁師だった。
海苔、あさり、穴子。
海は仕事場であり、生活そのものだった。
船の上で空を見上げ、
「あんな鉄の塊が飛ぶなんて信じられない」
とよく言っていた。
空港が広がり、海が埋め立てられ、
景色は少しずつ変わっていった。
時代は空へ向かい、
父の世界は静かに遠ざかっていった。
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羽田空港駅は、海老取川の手前にあった。
川を越えた先で、
空港はさらに未来へ向かいはじめた。
そしてその場所に生まれたのが、
いまの天空橋駅だ。
駅は名前を変え、姿を変え、
町も空港も新しい時代へ進んでいった。
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境目だった駅
あの駅は、
町と空港の境目だった。
海と空の境目だった。
父の時代と、
私の時代の境目でもあった。
今はもうない。
けれど――
私の記憶の中では、
あの駅は今も静かに残っている。
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そして今、
天空橋駅は私の新しい始発になった。
境目だった場所に、
新しい風が静かに流れている。
私は、この駅が好きだ。
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