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未送信の ラブソング                                   第8章(その4)


隆志が帰って来るまでの数時間、渚は落ち着かなかった。
 
 
夕方の光がカーテン越しに淡く差し込み、部屋の空気は静けさが満ちている。
 
渚の胸がざわつき、呼吸が浅くなる。
 
 

(……本当に、これでよかったのかな)
 
洗濯物を畳む手が、何度も止まった。
 
指先が冷たく、掌にはじんわり汗が滲む。
 
心臓は一定のリズムを保てず、時折、跳ねるように脈打った。
 
 

その時、スマホが震えた。
 
その振動が、心の奥を揺らした。
 

画面には俊樹の名前。
 
 
〈渚……早く会いたい〉
 
短い一文なのに、体の深部が熱くなる。
 
 
喉がきゅっと締まり、息がうまく入らない。
 
渚は震える指で返信した。
 
 
〈……今週末、萩に行きます〉
 
送信した途端、背中がひやりと冷えた。
 
 もう後戻りはできない
 

——胸のざわめきが、足元をふらつかせる。
 
 

渚はすぐに遥香へ電話をかけた。
 
「……もしもし? 渚?」
 
 
「遥香……あのね。俊樹さんに……今週末、萩に行くって伝えた」
 
電話の向こうで、遥香が深く息を吐く気配がした。
 
 
「……あんた、本当に行くんだね」
 
「……うん」
 
「……どうせ、止めても無駄だね。 こっちは“温泉旅行”って話で通しておくから」
 

渚は胸が熱くなり、視界が滲んだ。
 
「……ありがとう」
 
「礼なんていらない。 その代わり、絶対に気をつけなよ。 あんた、今すごく危ない橋渡ってるんだから」
 
「……分かってる」
 
 
電話を切ると、部屋の静けさに潰されそうになった。
 

静寂が、罪悪感をさらに濃くする。
 
(……どうして…私はこんなことを……)
 
心がじんじん痛む。
 
体の中心に重い石が沈んでいくようだった。
 
 

玄関の鍵が回る音がした。
 
隆志が帰ってきた。
 
 
「ただいま。渚、今日は風が強かったな。寒くなかったか?」
 
いつもと変わらない、穏やかな声。
 
その優しさが、渚の胸に堪えた。
 
 
「ううん、大丈夫だよ。おかえり」
 
笑顔を繕ったが、頬がこわばっていた。
 
 
隆志は渚の顔を見て、心配そうに眉を寄せた。
 
「…渚、顔色悪いぞ。……疲れてる?」
 
その優しい言葉に、胸がぎゅっと縮む。
 
 
「大丈夫。……ちょっと考え事してただけ…」
 
 
夕食の準備をしながら、何度も言い出そうとしては飲み込んだ。
 
胸の奥が重く沈む。
 
手元の包丁が震える。
 
 
(ちゃんと言わなきゃ……でも……)
 
 
食卓で、隆志が
 
「今週末、天気よさそうだな。どっか行こうか?」
 
何気なく聞いた。
 
 
その瞬間、 渚の心臓が跳ねた。
 
「……あのね、隆志。 今週末……遥香と萩に、一泊の温泉旅行に行ってこようと思って…」
 
言った瞬間、手が震えた。
 
背中に汗が滲んだ。
 
 
隆志はふっと穏やかに笑った。
 
「いいじゃないか。たまには息抜きしてこいよ。 渚、最近ずっと頑張ってたし。 遥香さんにもよろしく伝えておいて…」
 
疑う気配など一切ない。
 
その無防備な優しさが、渚には痛かった。
 
 
「……うん。ありがとう」
 
声がかすれた。
 
 
そのとき、玄関が開く音がした。
 
恵那が大学のサークル活動から帰ってきた。
 
 
「ただいまー。あ、ママ萩行くの? いいなぁ、萩ってご飯おいしいんだよね」
 
大学生らしい軽やかな声。
 
渚は胸が締めつけられた。
 

「……そうなんだ。お土産、買ってくるね」
 
「やったあ。じゃあ萩プリンと、あと……なんか可愛い萩焼のカップあったらお願い」
 
無邪気な笑顔。
 
その明るさが、渚の心に深く刺さった。
 
 
(……私、何をしてるの)
 

家族の温かさが、逆に渚の罪悪感を押し広げていく。
 
それでも、俊樹の「早く会いたい」という一言が、 渚を萩へと確実に引き寄せていた。
 
 

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