感情のボルテージと「好き・嫌い」の選択
今日のテーマである「感情のボルテージが上がる」という表現は、あまり聞き慣れない言葉かもしれません。 私が学んでいる「SSD理論」は、感情を言語化するだけでなく、ストレスが体に症状として出る前に、体が「言葉」として教えてくれていることを学ぶ学問です。
その体の声を紐解く方法として、足を上げる「leg lift up テスト」や、こめかみにある「反射点(ツボのようなもの)」を確認する方法があります。問題が起きている箇所にピンポイントで迫っていくアプローチです。
私の場合、感情のボルテージがすでに上がっている時、特定の反射点が「あたたたっ!」と痛むことがあります。そうなると、強い孤独感や寂しさ、悲しさに襲われ、感情の針が振り切れて、非常に辛い状態になります。ポジティブな盛り上がりではなく、どちらかと言えば「早く手放したい」と思うようなネガティブな辛さが、強く湧き出てくるのです。
「感情」と「好き・嫌い」の決定的な違い
しかし、そうやってボルテージが上がることで、色々な気づきも生まれます。その時に考えていたのは「感情」と「好き・嫌い・嫌(いやだ)」の違いについてです。
「寂しい」「嬉しい」「怖い」「悔しい」といった感情に対して「好き・嫌い・嫌」は、その奥に別の感情を含んでいることが多いように思います。 例えば、「この人といると楽しいから『好き』」「不安にさせられるから『嫌い』」「怖くて楽しくないから『嫌(いやだ)』」といった具合です。
ここからが面白い発見なのですが、通常の「感情」は役割が終われば消えていきます。不安は安心に変われば消えますし、悲しみも整理がつけば卒業できます。 一方で「好き・嫌い・嫌」は、きっかけとなった感情が消えたとしても、残るような気がするのです。「もう不安にさせられないけれど、でもあの人のことは嫌い」というように。
つまり、「好き・嫌い・嫌」は感情そのものではなく、「これを選ぼう」「これは選ばない」と決めるための「選択の感覚」なのではないか。そう考えると、私の中ですごくしっくりきました。
感情のボルテージが上がる「2つの理由」
朝からボルテージが上がってあんなに辛かったのに、こうして考えがまとまると、今はもう全く辛くありません。自分でもゲンキンなものだと思いますが、これも私の特徴であり、良いところかもしれません(#^.^#)。
結論として、感情のボルテージが上がる時には2つの意味があると感じました。
その人の持ち味(発見、思考、創作など)を発揮させるため
まだ気づいていない自分を理解させる「自己分析」のため
感情研究の第一章が終わったと思ったら、すぐに第二章の幕が開いてしまいました。今はまた新しい気づきをまとめているところです。
こうした一見マニアックな話に興味を持って、最後まで読んでくださる方がいることは本当に嬉しいです。これからも私の気づきをシェアしていきたいと思います。ありがとうございました(#^.^#)
