感情の処方箋 「嫌い」 -色の世界から見る、心の合成色-
好きの反対は「無関心」らしい。
その話を聞いた時「嫌い、ではないの?」と思った。
そもそも反対とはなんだろう?
西の反対は東、上の反対は下。つまり、同一線上の両極端へ向かうベクトルということか。
しかし、そうすると「好き」の反対は「嫌い」ということになる。

世の中のものは、ほとんど相対する二つの性質を持っている。「嬉しい←→悲しい」「明るい←→暗い」「涼しい←→暑い」というように。
これを二元性という。
二元性について、色の世界で考えてみる。

色相環上で向かい合う色、つまり互いに引き立て合う色の組み合わせとして、「紫←→黄」「赤←→緑」「青←→橙」がある。このような関係を補色と呼ぶ。
ところで、この色相環とは何か。デザインなどを勉強した人なら一度は目にしたことがある「RGB」と「CMYK」という文字は、
RGB : Red(赤)、 Green(緑) 、Blue(青)
CMYK: Cyan(シアン(青緑))、Magenta(マゼンタ(赤紫))、Yellow(イエロー(黄色))、KeyPlate(黒)
それぞれの主要となる色の頭文字から来ている。「赤、緑、青紫」は「光の三原色(加法混色)」、「シアン、マゼンタ、イエロー(減法混色)」は「色科の三原色」。
わかりやすく言うと、
・暗闇に光を追加して明るくなっていく → 加法混色
・白い紙などに色科(絵の具など)を足し、足すほど暗くなる → 減法混色

色相環は、このCMYKのうちの「CMY」で作られている。
これら三色を120度ずつ等間隔に配置し、隣り合う色同士を混色して中間色を作ることで、連続的な円環が完成する。
つまり、「見た目の色のつながりを重視」した結果と言える。私たちが見ている世界はこれだ。
対して、RGBは光の世界だ。光とは、波として空間を伝わるエネルギーであり、 その「波長」の違いによって、私たちは異なる色を感じる。
波長を長さの順に並べたものをスペクトラムという。

このスペクトラムの中で、人間の目が捉えられる範囲を「可視光」と呼ぶ。 私たちが「色」として認識しているのは、この限られた波長域だけなのだ。
ここで直感的に思うことは、
「なるほど。この一番短い波長である紫と一番長い波長である赤を繋げて色相環は作られたのだな。」
ということ。しかしここでよく見て欲しい。紫と赤の間に「赤紫(マゼンタ)」は存在しない。
つまり、スペクトラムの両端の青紫と赤色の間を、その二つの色を混ぜた色
を埋めることによって、色相環という「完璧な円」を作っているのだ。

だが、その瞬間、私たちは「存在しないものを存在させている」ことになる。
私たちが見ている世界が光を反射して見えているとするならば、存在していない光が色として存在するのはおかしい。
それなのに、なぜ私たちは色相環を「環」として認識できるのか?
その答えは、マゼンタ(赤紫)にある。
マゼンタはスペクトラム上に存在せず、赤と青紫の光が同時に目に入ったとき、脳が知覚的に合成して見せる色なのだ。
つまり、色相環の一部は、物理的な光の波長ではなく、 私たちの脳が補完して作り出した色で成り立っている。 言い換えるなら「人間が見たいように見ている世界」と言えるのではないか。
ここで話を戻そう。最初の方で「世の中のものは、ほとんど相対する二つの性質を持っている。」と書いた。
この性質を、今度はスペクトラムで検証してみる。
赤の反対の色は何色か?
色相環では「緑」が対になっていた。
しかし、一直線に表現された光の色の世界(スペクトラム)では、 赤と緑は向かい合うこともなく、ただ波長順に並んでいるだけだ。 ここには「対」という概念が存在しない。
つまり、「反対のものが存在する(対になる)」ためには、色相環のように「閉じられた世界」である必要があるということだ。
光の世界では赤に対して反対の色が存在するわけではなく、単独で成り立っている。光の世界は、このように『二元ではない』性質を持っていると言える。赤は誰かの『反対色』として存在しているわけではなく、ただそこにあるだけだ。

そして、ここで大きな二元性を考えなければならない。それはこの世が「有る」と「無い」の対に成っているということだ。
この世が有るとはどういうことか。
それは、自分自身がこの世を「有る」と認識したということに他ならない。言い換えるならば「関心を向けている」ということだ。
故に、「好き」があるこの世が「有る」か「無い」かのどちらかということになり、「好き」の反対は「無関心」ということになる。
そして、「好き vs 嫌い」という対立構造は、は自分が見たいように見た世界の中で脳が知覚的に合成して見せられた感情なのである。
まとめ
私たちが世界を「有る」と認識するとき、そこには「関心」が存在している。 そして比較という作業を通じて、関心の対象を「好き」と「嫌い」のような相対する性質として捉え、二元的な閉じた世界を作り上げてきた。
しかし、光の世界(スペクトラム)が「二元ではない」性質を持ち、赤が誰かの反対色としてではないように、心に湧くすべての感情もまた、本来は対立のない単独の一要素なのだ。
「好き」vs「嫌い」、ポジティブ vs ネガティブ、という対立を外して、自分の世界を構成する、ただ一つの波長として、あるがままに見るということ。
その瞬間、二元性の枠組みから解放され、より自由に、そしてより完全な自分自身と向き合えるのではないだろうか。
