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毒を以って毒を制す

あくせくせず、穏やかな一日を過ごしました。朝食はトーストとコーヒーで、食べながらnoteを見たり、本を読んだり、文章を書いたりしました。ずっとこんな風に過ごせたら幸せなのだろうなと思いました。脳内物質がたくさん分泌されるような瞬間的な幸せだけでなく、穏やかな静寂に包まれた幸せもあると思います。長期的にはそういうものを目指していけたら良いなと思うのです。そのために必要なものを日々、集めています。

その中には物理的な物だけでなく、理屈や人間関係といった目には見えないものも含まれています。noteを書くのもその一環で、日々の気づきや理屈を書いておきます。書いておけば、忘れても後で見返すことができます。人間関係も以前より大事にするようになりました。人間関係を維持するのには感謝を述べたり、自分の思っていることをちゃんと伝えたりと言葉で表現することが大事なのだなと思うのです。だから、できる限り、コメントをして、自分の意志を伝えたいとも思います。それはお互いの関係のためにもなるし、やっぱり結果として、自分のためになるのでしょう。言葉の力みたいなものを確かめられるのです。

文章を書いていると言葉遣いで悩みます。例えば、漢字で書くかひらがなで書くか。物か、ものか、で悩みます。大まかなルールとしては、物理的な物質には物と書き、概念にはものと書くようにしています。他にもルールは沢山あるのですが、機会があったら、書き残しておこうと思います。

 傷薬や化膿止めの効能を調べ、毒を少しずつ飲み耐性をつけ、ときに自分から毒蛇を噛ませることもあった。たまに量を間違えて、倒れることもあった。

日向 夏『薬屋のひとりごと』ヒーロー文庫、2014、pp. 47-48

毒を以って毒を制す

文章を書くときはある種の熱に浮かされているものです。勢いがないと書けないものもよく見かけます。ふと我に返るのか、書くのをやめてしまうだけでなく、アカウント毎、削除してしまう方を時々見かけます。それはきっと自分の書いたものに見かねてしまうからなのだと想像します。冷静になって見返すとなんてことを書いているのだろうと思います。こんなものは残してはいけない、と全部消してしまうのです。勿体ないと思いますが、それもまた一つの成長の証とも言えましょう。

私も以前に書いた文章を見返すと恥ずかしくて仕方ないし、消したくなってしまいます。ある程度分量が溜まってくると誰もが陥る現象だと思われます。他の人からしたら、なんてことないのに、自分だけはその未熟さが毒のように効いてくるものです。そして、致死量を超えるとやめることになるのでしょう。

自分の文章を見返したときの恥ずかしさは毒のようなものだと思います。大事なことは、その毒を以って毒を制すること。ちゃんとその未熟さを噛み締めて、自分の糧とすることが続ける上で必要なのだと思います。死ぬほど恥ずかしいのは、スポーツのリプレイのように自分の思考を見せつけられるからでしょう。脂汗が滲み出てきます。それでも踏ん張って、直視して、反省して、少しずつ成長していくしかないなと思うのです。

最初は毒をくらわば皿まで、というタイトルで発想しましたが、一度、悪事に手を染めたら最後まで悪に徹する、と意味合いが変わってきてしまうので、表題に変更しました。


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