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AIは賢くなり続けるのですから、私たちも読書して多少なりと知識をインプットしないと

AIの性能がみるみると向上しています。AIに向上心があるわけでもないのに、人間と違って文句も言わずにデータを学習し続けます。その様子を肌で感じ、私も読書をして多少なりともインプットを続けなければと思いました。読書をするのは、機械学習のアナロジーのようなものだと気がついたのです。また一つ、読書することの意味が加わりました。意味が増えれば、それは続ける理由になります。

 結局、本というのは、人とほぼ同じだといえる。本に出会うことは、人に出会うこととかぎりなく近い。それを読むことで、その人と知合いになれる。先生、友達、あるいは恋人と、本によってどんな「人」なのかという違いはあるけれど、ほぼ「個人」である。そして、多くの場合、それはその本の著者であり、またあるときは本の語り手(主人公)といえる。

森 博嗣『読書の価値』NHK出版、2018、p. 56

本を読みたいんだけれどな

読書をしたいんだけれどなという方の意見を時々、耳にします。読みたいんだけれど、読めないようです。回答としては、読むしかない、となりますが。本を読む時間を確保できない、それほど時間がないのかもしれません。と言いつつ、スマートフォンでSNSを見続けているのです。読書を取るか、ネットを取るかの選択に過ぎないと私は思います。ネットの方が手軽で面白い気がするし、そちらを選ばされているという気もします。私はSNSよりは読書の方が面白いと思うので、そちらを選択します。それだけの単純な話なのです。ほかの方の話を聞くと、一様に日々、忙殺されています。忙しいとは? と問いたくなるほどに。

読書は戦略

私は電車で通勤しているときに読書をします。他にやることがないからです。何がなんでも読書をするのだ、という高いモチヴェーションを持っているわけではなく、丁度良い暇つぶしくらいの感覚です。あるとき、ふと顔を上げて周囲を見るとほとんどの人がスマートフォンを操作していました。体感で8割、残りは眠っています。読書をしている人は1割もいません。せいぜいが2-3%くらいでしょうか。

この現実を見て、多くの人は読書をしないのだ、と気づきました。やらないのか、できないのかは知りませんが、ともかくしない。だったら、そこを自分の強みにしようと考えました。他の人ができないことをすれば、それは強みになると思ったのです。それがが私の読書をする意味の1つになりました。打算的に読んでいる部分もあるのです。純粋な動機とは言えませんが、読書を続けられる理由になりえます。

読書は世界を取り込むことに等しい

本には著者の思い描く世界が描写されています。本を読むということは作者の世界を擬似的に体験することです。本を読むと文字というメディアから再生される空間を見られます。良い本ほど、再生される世界の解像度が高い傾向にあります。つまり、読書を通じて、新しい世界を学習していると言えましょう。

今はAIが膨大なデータを人間が及ばない速度で学習しています。もうAIでいいじゃん、自分が学習する必要なんてないじゃんとも思われるかもしれません。それはある意味では正しいことなのかもしれません。ですが、それでは個人の頭の中の世界は成長しません。解像度の低い退屈な世界で生きることに変わりはないのです。私には、それはとても退屈なことだと思ってしまうのです。自分の興味のあることを学び、世界が広がったのであれば、それはAIが賢くなることよりも遥かに価値のあることだと思うのです。つまり、自分の成長のために読書をするという単純な理屈です。興味のないことはAIに学習してもらえばよろしいかと。

終わりのメッセージ

私は自分のために読書をし続けます。成長し続ける人生は幸福なことだと思うのです。少なくとも読書をして損をしたと思ったことはありませんから。

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