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【歴史小説】『茶器に秘められた天下』②


第二章 本能寺の炎

京の都で情報戦が繰り広げられる中、宗次郎の元には、さらなる依頼が舞い込んでいた。朝倉家に仕える家臣に続き、今度は六角義賢の密使が訪れたのだ。彼らは、信長が六角氏を討つために兵糧米を調達しているという情報に怯え、宗次郎に助言を求めてきた。「宗次郎殿、どうか信長公の奇策をお聞かせいただきたい。いかにして我ら六角家は、あの織田の大軍を防げばよいのか…」
宗次郎は、その言葉に静かに目を閉じた。彼の手元には、月夜が柴田勝家の屋敷から持ち帰った情報がある。「信長は、奇策を講じます。それは、我らには想像もつかぬような、人智を超えたもの…」
彼はそう言いながら、六角氏の密使に、信長が京へ向かうための最短ルートを記した地図を手渡した。その地図には、六角氏の城を迂回し、一気に京へ向かうための、誰もが気づかぬような抜け道が記されていた。
「これこそが、信長の奇策。六角氏の城を攻めるのではなく、京へ一直線に向かうことで、六角氏の戦意を喪失させるつもりでしょう」
宗次郎は、六角氏の密使に、その抜け道を封鎖するよう助言した。しかし、宗次郎の狙いは、六角氏を救うことだけではなかった。彼は、この情報を流すことで、信長が六角氏を攻め落とすことを避けられない状況を作り出そうとしていたのだ。
六角氏の密使が去った後、宗次郎は月夜を呼び出した。「月夜、お主が探り出した、信長に不満を持つ者たちの情報を活用する時が来た」
月夜は、再び夜陰に乗じて、信長の重臣たちの屋敷に潜入した。彼女は、彼らが抱える不満や不信をさらに煽るような、巧妙な嘘の情報を流していく。「信長様は、六角氏を討った後、長年の忠臣である柴田勝家殿を冷遇し、丹羽長秀殿を重用するとか…」
月夜が流した嘘の情報は、重臣たちの間に瞬く間に広がり、彼らの信長に対する不信感をさらに増幅させていった。
信長の周囲が揺らぎ始めたのを感じ取った宗次郎は、いよいよ最後の計画を実行に移す。それは、信長が最も気に病んでいる「茶器」を手に入れること。「月夜、信長公の弱点は、茶器にある。その茶器を手に入れ、信長公の心を揺さぶるのだ。お主には、その茶器を奪い、我らの元に持ち帰ってもらいたい」
月夜は、宗次郎の言葉に、静かに頷いた。「ただし、茶器は信長公の命よりも重い。決して失敗は許されぬ。そして、いかなる犠牲を払ってでも、生きて帰ってこい」
月夜が光秀の心を揺さぶり、安土の闇に消えた後も、宗次郎の書斎では静かに時間が流れていた。彼は、まるで何もかも知っているかのように、広げられた地図の、ある一点をじっと見つめている。それは、光秀が本拠地とする丹波亀山城と、信長のいる京の都を結ぶ、ごく短い道筋だった。「光秀は、いずれ信長公を裏切るだろう。だが、それだけでは終わらぬ。この乱世、一人の英雄が倒れたからといって、泰平の世が来るわけではない」
宗次郎は、そう呟くと、その日の夜、一人の男を招いた。男の名は、木下藤吉郎秀吉。まだ、天下人となる前の、信長に仕える一武将に過ぎない。
秀吉は、宗次郎の店の奥にある書斎に通されると、その異様な雰囲気に息を呑んだ。「宗次郎殿、お尋ねしたい儀がござる。近頃、京の都に不穏な空気が流れていると聞き及び申した。何かご存知でござろうか?」
宗次郎は、静かに微笑む。「秀吉殿、あなたは、いつか天下人となり、この乱世を終わらせるお方。私にご相談いただくまでもなく、自ずと答えは見えておられるはず」
そして、宗次郎は、秀吉に一つの情報を耳打ちする。「光秀殿は、信長公を裏切るでしょう。その時、あなたが誰よりも早く動けるよう、私はこの情報をあなたにだけお伝えします」
宗次郎は、秀吉に光秀の動きを克明に記した地図を手渡した。それは、光秀が本能寺へ向かうための道筋だけでなく、その後の動きまでを予測したものだった。「この情報を使えば、あなたは誰よりも早く、光秀を討つことができるでしょう。そして、信長公の仇を討ったあなたは、天下人へと近づくはず」
秀吉は、宗次郎に深々と頭を下げた。こうして、宗次郎と秀吉の間には、誰も知らない、強固な協力関係が築かれたのだった。


永禄八年(1565年)六月二日未明。
京の都を、一つの悲鳴が切り裂いた。それは、静寂を破る、凄まじい鉄砲の音だった。
本能寺。信長がわずかな手勢とともに宿泊していたこの寺に、明智光秀率いる一万三千の軍勢が、まるで闇夜から湧き出るように押し寄せたのだ。「敵は、本能寺にあり!」
信長は、突然の襲撃に驚きながらも、すぐさま事態を把握した。「是非に及ばず」信長は、そう一言呟くと、愛用の弓を手に、わずかな家臣たちと共に応戦を開始した。だが、兵力は圧倒的に不利。次々と倒れていく家臣たちを見て、信長は自らの運命を悟った。彼は、最後に寺の奥へと入っていくと、静かに火を放った。自らの手で、天下布武の夢を焼き尽くすかのように。そして、燃え盛る炎の中で、静かに自らの命を絶ったのだ。
本能寺の炎が京の夜空を焦がした翌日、月夜は、疲労の色を見せながらも宗次郎の元へ戻ってきた。「光秀殿は、本能寺で信長様を討った後、すぐさま安土城へと向かいました。そして、安土城を制圧した後、近隣の武将たちに味方につくよう呼びかけております。ですが、多くの武将は、光秀殿に不信感を抱き、味方しようとはしません。光秀殿は、すでに孤立し始めております」
そして、月夜は、もう一つの重要な情報について話し始めた。「信長様が愛された茶器…それは、本能寺の炎の中で焼失したと、光秀殿は発表しております。ですが、それは偽り。茶器は、信長様が最後に自ら手元に置き、持ち去った後、安土城の隠し部屋に秘匿されておりました」月夜は、そう言って、宗次郎に、信長の茶器がまだ現存していることを伝えた。
本能寺の変からわずか十日あまり。山崎の地で光秀を討ち、信長の仇を討った秀吉は、その勢いをさらに増していた。そんな秀吉が、京に戻ったその日の夜。彼は誰にも告げず、ただ一人、宗次郎の元を訪れた。「秀吉殿、わしはあなた様のお力添えなくしては、この天下統一の道を進めませぬ」
宗次郎は、静かにその言葉を受け止める。「秀吉殿、あなた様が天下人となるためには、武力だけでなく、信長公の正当な後継者であることが必要不可欠でございます」
宗次郎は、そう言って、秀吉に信長の茶器の探索を命じた。それは、ただ単に茶器を手に入れるためだけではなかった。彼は、茶器を巡る争いを引き起こすことで、信長配下の武将たちの結束をさらに揺るがし、秀吉が天下人となるための道筋を、さらに確かなものにしようとしていたのだ。
宗次郎は、月夜に新たな密命を下した。それは、安土城から茶器を持ち去った何者かを、徹底的に探り出すこと。月夜は、宗次郎の命を受け、安土城の隠し部屋に残されていた痕跡を辿った。そして、彼女は、一つの結論にたどり着いた。「宗次郎様、茶器を持ち去った者は、我らと同じ、忍びの者。それも、かなりの手練れ。痕跡は、我らの『影衆』にも劣らぬ、見事なものでございました…」
月夜が持ち帰った、安土城の周辺で目撃された不審な男の似顔絵。宗次郎は、その似顔絵をじっと見つめ、何かを思い出すかのように目を閉じた。そして、彼の脳裏に、かつて耳にした一つの噂が蘇った。それは、三河の徳川家康に仕える、伝説の忍び。その男は、信長にも一目置かれるほどの腕前を持ちながらも、決して表舞台に姿を現すことはなかったという。「まさか…あの男が、家康殿の命を受けて、茶器を持ち去ったというのか…」
宗次郎は、そう呟くと、静かに笑みを浮かべた。彼の前に、ついに、彼と同じ知略と、彼を上回る武力を持つ、新たな強敵が現れたのだ。

つづく



『茶器に秘められた天下』を第二章までお読みいただき、ありがとうございます。

宗次郎の物語は、信長が倒れ、いよいよ大きく動き始めます。感想も拝見しました。お一人おひとりのご意見が、創作の大きな励みになります。本当にありがとうございます。

ここから、月夜と半蔵という、宗次郎の思惑を狂わせる二人の登場によって、物語はさらに予想外の展開を迎えます。茶器をめぐる、より複雑な情報戦をどうぞお楽しみに。


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